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「初日300アクセス」から月間33億PVへ──魔法のiらんど爆発的成長の裏側

モバイル黎明期に女子中高生を虜にした"奇跡のサービス"はどう生まれたか──谷井玲氏インタビュー

2025年07月22日 09時00分更新

文● 遠藤 諭

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赤いコルベットはサーバーになった

―― 魔法のiらんどという名前はどうやって決まったんですか?

谷井 最初は「愛楽」という名前にしようとしたんですよ。愛する「愛」に楽天の「楽」をつけて。企画段階で手書きの絵を描いて、こんな感じのサイトにしようと考えていたんです。

 でも、試作版のトップページを中学生の娘に見せたら、ピンク色で「パパ、こんなの嫌だ」って拒絶反応を示されましてね。これはまずいと思って、企画メンバー数名で集まって話し合いました。

 サービス開始の1週間くらい前に、「ホームページを自由に作れるって夢みたいなものだし、魔法みたいなものだから《魔法》をつけよう」という話になったんです。そして、iモードの「i」とインターネットの「i」を意識して。「らんど」の部分は、ディズニーランドのように安心して遊べる場所にしたいという思いがありましてね。女の子が2人で遊びに行っても安全な場所、そういうイメージを大切にしたかったんです。

―― なるほどいいですね。

 キャラクターの「あいぴ」は、インターネットのIPという意味もありますが、実は私の娘のニックネームからヒントを得ているんですよ。娘をれいちゃんと呼んでいて、「れいちゃんP」というように「P」をつけていたので、「あいぴ」というキャラクター名にしたんです。

―― 名前は、そんなふうに決まった。開発は、どんな感じで進められたのですか?

谷井 実はですね、さきほどお話した感じで最初の1年くらいは開発は私1人でやっていたんですよ。人を雇うとコストがかかりますから、他のメンバーには別の仕事で稼いでもらって、私が地獄を見る覚悟でやっていました。ネットワークまわりは中野さんたちが担当してくれて、着メロは富田さんが作ってくれましたが、サービスの中核部分は私が1人で全部作っていたんです。ときどき「魔法のiらんどは、あの人が作った」とか噂を聞くことがありますけど、実際は私1人だったんですよ。

―― なんと。

谷井 サーバーは100台ほどに増えていったので、その間のネットワーク作りやセキュリティ面は大変でした。こういうサービスはいじめられますからね。ボンボン攻撃がくるわけですよ。ロードバランサーで分散させて、NTTデータネットワークセキュリティと組んで対策をしっかりしました。ファイアウォールだけでなく、裏側からしか入れないような堅牢なネットワークを構築しました。

―― なるほど。

谷井 妻に「赤いコルベットを買っていい?」と相談して購入したことがあったんですよ。会社が100名くらいまで成長して、NTTデータさんからの良い案件も増えて利益も出るようになった頃ですね。休みの日は二人でドライブに行けるし、仕事が忙しくても家まで帰れるだろうと思ったんですが。でも、ちょうどそのあたりで、魔法のiらんどを始めたんですね。それで、どんどん赤字が膨らんでいくようになります。

 コルベットは会社の駐車場に置いてあるのに、魔法のiらんどの運営で忙しくて乗ることもできない。

 そんな時、さきほどお話したようにサーバーが足りなくなってくる。同じエンジンだし、アメリカのコルベットV8エンジンだから、分かったぞ。俺のコルベット下にあるから、売ればサーバー何台かになるだろうって言って売ったんですね。中古で400万円くらいのコルベットだったんですが、売り値は120万円ほどにしかならず。その資金でサーバーを2台購入しました。そのサーバーには「社長のコルベットで買った」と書いておきました。

―― そんなサーバーを大手町に置いてもらった。

谷井 そうなんですよ。最後に使えなくなった時は蓋のパネルだけ返してもらいました。結局、コルベットにはあまり乗れませんでしたが、過信は禁物だと学びました。だから、まあ結果的にそのコルベットのおかげで、あのやっぱりV8エンジンでこのクインクインとグラフでアクセスが伸びたところは、書いてないけどコルベットによるものですね。そんなこともありました。

魔法のiらんどと『恋空』

ケータイ小説『恋空』(美嘉著、スターツ出版)。Kindle化もされているようだ。

谷井 そんな形で、2001年、2003年、2004年ときて、着メロができて大きくなっていけたなかで、携帯小説、2006年に『恋空』が出てくるんです。

―― 小説の機能は、魔法のiらんどの開始直後の2000年3月にあって、『恋空』まではどんな感じだったのですか?

谷井 その間の5年間もブレイクはしてきていたんですけど、パケット代が高くて、皆さん携帯小説を読んでパケ死するんですよ。結果的には、iモードの普及率と綺麗に比例して伸びていきましたね。

―― ユーザー数に比例して伸びた?

谷井 そうですね。でも、パケット代が高すぎて大変でしたよ。10万円とか請求が来て、お父さんに怒られたという書き込みが掲示板でよく見られましたね。20万円請求来ちゃって、携帯を取り上げられたとか。特に小説はトラフィックが上がりやすかったんです。横書きで、「彼が寄ってきた...」みたいな文章があって、その「...」をクリックすると次のページに進むんですよ。

―― それだけで2パケット使っちゃうと。

谷井 ええ。トラフィックが増えてパケット代がかかってしまう。でも、パケット定額制が導入されてからは一気にブレイクしましたね。それは、2006年ぐらいだったと思います。もう少し早いかもしれません。

―― パケット定額2006年頃ですかね?(※2004年6月1日にNTTドコモがFOMA向けに開始。月額3900円でiモードのパケット通信が使い放題となった)

谷井 2006年頃に『天使がくれたもの』という作品がありました。読者の方が、涙ながらに出版社に電話をかけてきたそうです。その出版社というのが、スターツ出版なんですけど。この小説を本にしてほしいというお願いだったんですね。最初は、携帯小説なんて売れるはずがない。無料で読めるものをなぜ本にするのか? しかも横書きだとなった。

―― 行間もすごく空いていましたしね。

谷井 そうなんですよ。でも、読者から涙ながらの要望が何度もあったので、本の出版を検討することになった。全国の書店に流通させるには最低でも8000冊は必要なのですが、スターツ出版の社長は3000〜4000冊程度なら作っていいと専務に指示したそうです。

 ところが、その専務は社長に内緒で8000冊作ってしまった。結果的にはその判断が正解で、本はグワーっと売れて一気に10万部、20万部という規模になりました。

―― そういうことができる会社はある意味すごいですね。

谷井 その専務は老獪なおじいさんみたいな方でしたけどね。スターツ出版の菊地社長は元リクルートの人で、こんなの絶対売れるわけじゃないからと言っていたそうですが。

 最近もどこかで、携帯小説について「僕は、これは可能性があると思った」と語られていましたので、売れるかもとは思っていたのかもしれませんが。

 菊地さんはね、すごい楽しい人で仲がいいんですよ。あの人は、熱帯魚が好きで、娘と奥さんに相手にされないから、お家帰ったらいつも熱帯魚こうやって見てるらしい。で、谷井さん、熱帯魚一緒にやろうよって。で、私も熱帯魚を飼うことになった。熱帯魚仲間だったんですけどね。もう。でも何年もお会いしてないかな。スターツ出版で上場企業の社長であるわけですが、そういう素敵な人なんですけどね。

―― とにかくそこから携帯小説はじまった。

谷井 その後、『恋空』も出してくれたんで。『天使がくれたもの』と『恋空』、全巻上巻下巻で200万部売れたのでした。

 『恋空』の時は、魔法のiらんど社に本当にたくさんの電話が来ましたね。とんでもないレベルの問い合わせがあって、出版してほしいという声が殺到したんです。

 『恋空』は実話なんですよね。美嘉ちゃんという女の子が実在していて、ちょっと不良っぽい男の子と出会って、その子のことが大好きになるという物語なんです。その男の子は、美嘉ちゃんがいじめられたり、元彼女が違う子に声をかけてレイプされそうになったりと、本当に辛い経験をしながらも、「俺が守る」と言って守り続けてくれるんですね。映画では三浦春馬くんが演じた男の子ですね。

 でも、その男の子は不治の病気にかかってしまうんです。彼は病気のことを内緒にして美嘉ちゃんと一度は、別れるのですが、最後は一緒にいられたのですが。でも、亡くなってしまうんですね。美嘉ちゃんは彼のことがずっと好きで、2人の子供が欲しいという夢も持っていました。そして、魔法のiらんどの掲示板に、彼のことを忘れないように、誰かに見せるわけでもなく、ただ書き続けていたんですよ。

 そうしたら、それを見た他の女子高生が「私もこれを見て感動しました。本当に自分たちの生きる支えになります」と言ってくれたんです。美嘉ちゃんは書き続けていましたが、彼が亡くなる時のことを思い出すと辛くなって、彼の仕草や思い出を書きながら、また更新が途絶えてしまうんです。すると、読んでいた女の子たちが美嘉ちゃんに続きを書いて欲しいとメッセージして、美嘉ちゃんは最後まで書き続けました。そして、その読んでいた子たちが魔法のiらんど社に「本にしてほしい」とお願いしたんです。「私たちの宝物です。携帯の中では同じものが読めますが、いつか消えてしまうかもしれない」と。

 だから読者は大体3冊ずつ買うんです。200万部も売れたんですが、その使い方は決まっていて、1冊目は自分でガンガン読む、2冊目は大切な宝物として置いておく、そして3冊目は親しい友達へのプレゼント用です。つまり、実際の読者数は200万部の3分の1程度だったかもしれません。

―― そういう本なのですね。

谷井 私たちが本人に会いに行ったんですが、本人としてはやめてほしいと。書かれている内容は名前を変えたりして隠してはいますが、親族や友達の名前も出てきてしまっているんです。そういった理由で本人は嫌がっていたんですが、ユーザーからの熱い要望が本当にたくさん来ていたので、お話をして、最終的に出版することになりました。スターツ出版はすごい会社でしたね。こんなに売れるとは思いませんでした。内容を暗記できるほど読み込んでいる女子高生たちが、それを自分の宝物として本を買っているんですね。

 『恋空』は2006年に出版され、2007年には映画化の話が出てきました。TBSと東宝と魔法のiらんどで制作することになりました。2007年11月に、三浦春馬くんと新垣結衣ちゃんに主演していただきました。

 東映撮影所の神社で撮影をしたんですが、その神社でスタッフとたちと一緒にお祈りをしたんです。ちょうど今日のような真っ青な良い天気の日で、「ヒットして欲しいですね」とお願いしたら、本当に映画館がすごいことになりました。

 東宝では、同時期に『ALWAYS 三丁目の夕日2』も公開されていたんですが、東宝としては携帯小説の映画なんて売れないだろうと思っていたので、上映規模を小さくしていたんですよ。ところが『恋空』は女子高生が殺到して入りきれないほどの人気で、1週間後には日本中で「これはどうしたことだ」という状態になりましたね。

 人気に応えて上映規模を拡大していって、興行収入40億円、観客動員300万人という大ヒットになりました。グッズの商品化も進んで、ウィリアム・ウェッジウッドなどのブランドとコラボレーションもしましたね。グッズ関係だけでも200億円の権利ビジネスが動きました。

―― 凄いですね。

谷井 映画の興行収入も大きかったですが、『恋空』は本当に社会現象を起こしましたね。その後、携帯小説を携帯ドラマ化した『teddy bear』という作品を作りました。teddy bearに起用したのが、当時セブンティーンモデルだった桐谷美玲ちゃんと賀来賢人さんでした。桐谷美玲ちゃんは、あの時はまだセブンティーンの高校生でしたが出演してくれました。記者発表も一緒にしましたね。本当に素晴らしい演技をしていただいて、あれが桐谷美玲ちゃんの女優としての第一歩だったと思いますね。そこからどんどん、NHKなどにも出演されるようになりました。

 『恋空』の新垣結衣ちゃんにしても、三浦春馬くんにしても、若い女性たちがしっかりとファンとして支持してくれれば、映画にしても何にしても必ずヒットするんだなということを実感しましたね。

―― ところで、魔法のiらんどは、利用者の何人に1人が小説の書き手だというようなことが言われました。

谷井 『恋空』が出た頃は、魔法のiらんどには120万もの小説があがっていました。誰もが小説を書いて、読んでもらえるようになっていたわけですね。

 それで、読者からコメントをもらえるのが、作者にとってはとても嬉しかったんですよ。なので、足跡機能や、訪問者が何番目かを表示する機能などを作り込んでいきました。ミクシィにも同様の機能が実装されますが、当時は、ミクシィはまだありませんでしたからね。これらはすべて、魔法のiらんどが最初に作ったものなんです。もしかしたら、ミクシィの笠原さんが独自に思いついたのかもしれませんが。

 サイトの楽しさを高めるため、例えば訪問者が100番目だった時に「おめでとう!あなたは100番目の訪問者です」というメッセージを表示して、コメントを書いてもらえる仕掛けを作ったりしていました。

―― その後、魔法のiらんどは、角川グループの会社になりますよね。

谷井 そうですね。映画や小説の展開が広がっていきましたね。システム系の会社から大きく事業転換していきました。

 当時、私は60%以上の株式を保有していて、野村証券を主幹事に、三菱商事やNTTデータにも出資していただきました。資本金4億円、準備金を含めて8〜9億円ほどの規模になっていまして、ドワンゴと業務・資本提携した時にも数億円の出資をいただいて、上場を目指して準備を進めていたのでした。

 そのタイミングを見ているときに、角川さんとの関係が深まって。たとえば、魔法のiらんど文庫は角川さんに全面的にお願いすることになり、映画もアスミックエースさんなど角川グループで制作していただくようになったのがあります。

 映画も小説も手がけられるメディアグループですからね。一方で、技術系の事業部門はNTTデータに売却しました。最初に立ち上げたTOSという会社は、NTTデータクイックと合併してNTTデータビジネスシステムズという千人規模の会社になっています。


笠原さん:笠原健治(かさはら けんじ)氏。イー・マーキュリー、後のミクシィ創業者。SNS「mixi」を立ち上げた。
菊地さん:菊地修一(きくち しゅういち)氏。スターツ出版社長。

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