遠藤諭のプログラミング+日記 第187回
深夜に叫びながら「Gemini live」と一緒に文章を書く
みんな大好き雑誌『ムー』と旧ソ連の昭和100年問題と「バイブライティング」
2025年05月09日 09時00分更新
銀河探索編集部は身につまされる映画だった
4月中旬のこと、私は、「2025大阪・関西万博」のメディアデーに出かけていった。その原稿はこれから書かなければならないのだが、その日、大阪から帰ったあとのことだ。ごくたまに出かける湯島のバーで、AI開発の本を書いたりしているnpakaさんとエンジニアのシン石丸さんたちと久しぶりに会った。
その日は、我々以外にも何人ものお客さんがバーにいた。私が隣り合わせたのは、超常現象をネタにしているという若い落語家さんである。様々な話をしたのだが、彼が言うには、現在ロシアの核施設がかなり危険な状態にあり、それは「昭和100年問題」と呼ばれているものによるものだそうだ。
具体的に説明すると、旧ソ連の核施設のシステムの一部は日本の古いコンピューターシステムをコピーして作られており、年の計算に昭和を採用しているものがある。このシステムでは、昭和の年を2桁でしか表現できない仕様となっている。そのため、昭和100年になった際にオーバーフローを起こし、システム障害が発生する危険性があるというのだ。
年のためのエリアが2桁しかないというのは、いつぞや聞いた話ではないか。西暦2000年にコンピューターのシステム障害が起こると懸念された「2000年問題」だ。「Y2K問題」とも呼ばれ、全世界のコンピューター関係者を震撼させた。これも、古いコンピューターで年を西暦だが末尾2桁だけで管理していたことから生じたものだったのだ。
これに対しては当然のことながら1990年代の中盤から対策が講じられることとなった。その対策要員として多くのインド人プログラマが来日。朝日新聞が、そうしたインド人プログラマたちの会食風景の写真を掲載したが、その場所は麹町アジャンタであった。細かいところでは、PCソフト版の「たまごっち」が2000年問題による不具合を起こしたらしい(たまごっちのクロックアップの話と混乱しているかもしれない)。
金融システムの混乱(利息計算の誤りなど)による世界恐慌、電力・交通などのインフラシステムの停止による社会の大混乱、企業のデータベースの不具合、医療機器の誤動作など、さまざまなことが懸念された。しかし、そこは企業や政府機関の対策チームと善良なるプログラマの方々のおかげで、大規模な混乱は回避されたのである。この問題と同じような理由で「昭和100年問題」というのがあり、その影響がロシアの核施設におよび適切な改修もされない状態であるとは!
旧ソ連の人たちが、日本からさまざまな情報資源を持ち出していたことは、いちど私も文章にしたことがある(「『PLAYBOY』誌と旧ソ連の男たち」参照)。だからけして、コンピューター業界の方ではない落語家さんのシロウト話と片付けるつもりはない。そんな失礼なことはしない。このコラムでも遠い英国の世界最初といわれるPDAでなぜかカナが表示できる話を紹介したばかりだ。
私をはさんで反対側にいた、npakaさんとシン石丸さんも話の行方を気にしていたと思う。つまみのチーズの盛り合わせをパクリとやり、クラフトビールを飲んでからあらためてこの話の構造を考えてみる。「それで、昭和100年というのはいつなんですか?」と私。すると落語家は「今年ですよ」と答えてくれた。なんと今年は、昭和100年なのだそうだ。「だったらなんか大丈夫だったんじゃないですかね?」と私。落語家は「そうですかねぇ?」と答えた。たしかに昭和100年になっても該当するタスクがまだ動いていない可能性はある。
それから、みんな大好き雑誌『ムー』の話になって、私は「銀河探索編集部」という映画を見ましたか? と彼に質問した。私は、ヒューマントラストシネマ渋谷で見たのだが、雑誌『ムー』ともタイアップしていたと思う。すると、「見ていません」と落語家。なんとなく、超常現象をネタにする若い落語家の「ムー度」を試しているような気がして気が引けたのだが、「ムー的」なことの本質に迫るといってもよい映画なのだ。
「銀河探索編集部」というのは、2023年公開の中国映画で、休刊ぎりぎりのところにあるムー的な雑誌が、最後のヒットをねらって宇宙人を見つけるために山奥まで長い旅に出るという映画だった。おそらく、この手の話題が合わない人には、えらく疲れる映画なんじゃないかと思う。個人的に連想したのは、19世紀の南米に理想の国家を作ろうとした白人の物語を撮ろうとした映画人を描いた「王様の映画」(1986年公開)である。
しかし、こういう構造の映画は基本的に人間味のあるいい映画になることが多い。中国映画の「人再囧途之泰囧」(2012年、ロスト・イン・タイランド)もそうだった(“囧”は中国で困ったの意味の顔文字として使われる漢字。原題に対して邦題がつまらな過ぎる)。もちろん、落語家さんは「銀河探索編集部」に興味を持ってくれて「絶対に見ます」と言ってくれた。
ひょっとしたら「ムー的」なことこそが人間味なのかもしれない。そのときのキーワードは“あるかないかわからない”ではなかろうか? 旧ソ連の件も山の中に潜む宇宙人も“ない”とも“ある”とも誰も断言はできない。よく考えてみたら、超常現象といえる幽霊や化け物、死神などは落語の演目の中でもメジャーなジャンルである。彼の落語も見に行かなきゃである。
「AIと共に書く」――どうせならお喋りしながらがよいのではないか?
シン石丸さんとは、私が、香港マラソンに行ったときに前日から風邪を引いて早々に棄権してしまったのに、後日「完走証明書と参加記念メダル」が香港から郵送されてきた話をした。彼からは、私はまるで覚えていないのだが、一緒に香港に行ったときにセントラルあたりのバーで、私がどうしても自分が払うときかなかったという話もされた。なかなか楽しい夜を過ごさせてもらったのだが、やっぱり彼らとはAIとかプログラミングの話になってくる。
npakaさんは、最近は、ロボットアームを3Dプリンターで作って動かしているらしい。ご存じのように、ここ数カ月のAIの世界の大きな変化の1つは、ロボティクスの世界が、それまでの独自の領域から生成AIの応用へと広がりを見せたことだ。それもいいのだが、いちばん響いたのはnpakaさんのプログラミング環境の話だった。
「Gemini liveと話をしながらコードを書いているんですよ」
と、彼は言うのである。AI関係の情報は世の中にあふれきっていて、Xには、それが大雨の後の濁流のように流れてくる。新しいAIツールの凄さを喧伝したり、誰よりも先に使って「こんなことができたぞ」とみせてやる。それらもこの業界のポジティブな伝統風習なのだが、npakaさんは、一歩踏み込んで実例や解説をしてくれるnoteで知られている。仕事でAIをやってきた裏打ちされた信頼感もある。

npakaさんが作っているのと同じSO-101ロボットアーム(たぶん)。これは、私が仲間とやっているコミュニティ「AIでRCカーを走らせよう!」のメンバーが作っているもの(秋葉原のロボ☆スタディオンにて)。
この業界で長く仕事をしている人なら「ペアプログラミング」という手法を知っているだろう。2人のプログラマーが役割分担して協力してコードを書くことで、開発効率や品質向上に繋がるというものだ。npakaさんのやり方を聞いて、このペアプログラミングを連想せずにはいられなかった。
そこで、AIコードエディタの「CURSOR」の活用など「AIと共に書く」ことを追求している私としては、彼の「プログラミング環境」を「文章を書く環境」に応用できないかと考えた。「ペアプログラミング」ならぬ「ペアライティング」(=執筆)である。それも、「AI・人間ペア」。これは、とっくに同じようなことをやっている人はいるはずだが、ここのところの私の試行錯誤のようすを共有しておきたい。

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