このページの本文へ

遠藤諭のプログラミング+日記 第189回

マイコン誕生50周年!1970年代に月刊アスキー掲載の6800系ソフト全部載せのドリームマシンが登場

2025年05月21日 09時00分更新

文● 遠藤諭(角川アスキー総合研究所)

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

マイコン博物館から発売されたMC6802搭載マイコンボードERIS6800

 いま我々がお世話になっているパソコンの祖先にあたるものは、いつ頃この世の中に登場したのか? 東京青梅のマイコン博物館の館長である吉崎武氏によると、それは1975年だそうだ。その代表的な存在である「Altair 8800」が表紙を飾った『Popular Electronics』が1975年1月号である。

 世の中にマイコンがデビューして、実質的に個人がコンピューターを買って使いだすということが始まったのは、いまから50年前のことなのだ。ひとことで、個人がコンピューターを買って使うと書いたが、それは「マイコン革命」という言葉のとおり衝撃的なことだった。

 それまで、コンピューターは、大企業の中枢部分や、大学の電子計算機センターの中に鎮座して専門家が操作するなど、自由になんにでも使ってよいものではなかった。個人がコンピューターを使って、なにかしらのソフトや作品を作って、自分の人生を変えるチャンスなどありえなかった。世界中に自分の考えを伝えたり知らない相手と繋がることもなかった。

マイコン博物館に展示されているAltair 8800と『Popular Electronics』1975年1月号。右側の紙テープはAltairBASICの紙テープでMITS社から購入したオリジナル品である。「ALT BASIC」という手書き文字は、ビル・ゲイツ氏かポール・アレン氏が書いたものである可能性がある。

 そのマイコン誕生50周年を記念するように、マイコン博物館が、CPUにMC6802(6800の改良品)を搭載したワンボードマイコン「ERIS6800」を発売した。その最大の特徴は、1970年代に月刊アスキーで紹介された6800系のプログラムを「全部載せ」としていることである。

 いきなり50年近く前のパソコンの祖先にあたるコンピューターが新製品として発売された。しかも、ハードウェアだけでなく当時のソフトウェア環境もまるでタイムマシンのように蘇ったということだ。

 これを手掛けたマイコン博物館の館長である前述の吉崎武氏は「ドリームマシンが出来ました!」という言い方をしている。

初期マイコンの定番ゲーム「STARTREK」をAltair 680 BASIC上で動かしたところ。これは、最大規模の「SUPER STARTREK」。RAMが32Kバイトないと動かないので70年代当時のマイコンマニアは、この「SUPER STARTREK」を動かすために必死でメモリー基板を作り増設した。

初期マイコンでは「小さな言語」が大きな意味を持っていた

 1970年代のマイコンがどんなものだったかを振り返りながら、「ERIS6800」とそれに搭載されたソフトウェアを紹介したいと思う。

 前述、Altair 8800は、CPUにインテルのi8080という8ビットCPUを搭載(動作クロック周波数は1MHz)。別売りのメモリボードは4Kバイトだった。現在のパソコンは数十Gバイトは当たり前だから、その差はざっと1000万倍である。最初期のマイコンというのは、そういうスケール感なのである。

 ERIS6800は、文字どおりボードむき出しのコンピューターで、当時は、こうした製品が自分で組み立てるキットでも発売されていた。また、自作するユーザーも少なくなかった。アップルの最初の製品である「Apple I」もボードむき出しであるし、国産の最初期のマイコンの1つであるNECの「TK-80」などもボードむき出しである。

 本体メモリは、RAM 32KB、ROM 16KB + 拡張ROM 64KB(オプション)。データの入出力や表示は、ボード上に16進および操作のためのキー(ボタンというべきだが)と16文字✕2行の液晶キャラクターディスプレイ、さらに4桁の7セグメントLEDが2つある。RS-232CポートがありUSB変換してPCと接続できるようになっている。

 当時のマイコンは、これよりもさらに少ないメモリであったことからプログラムは暗号のような機械語で書くことから始まった。そのため、ハードウェアの次に重要だったのは、BASICなどのプログラミング言語が作られたことだった。それによって、自身の仕事や研究のために、あるいは純粋にコンピューターへの知的好奇心やゲームなどの趣味のために、プログラムを作ることができるようになった。

 プログラミング言語によって、はじめて「マイコン」は「革命」になりえたのだといって差し支えない。

 だからこそ、マイクロソフトによるAltair 8800へのBASICへの提供は歴史的だったのだといえる(そのマイクロソフトは、まさに今年50周年を祝っている)。とくに非力なマイコンや自作マイコンをやっと使っている個人ユーザーにとっては、その上で使えるプログラミング言語は、非常に重要な取り組みだった。

 そこで登場したのが「VTL」と呼ばれるプログラミング言語のジャンルである。これの意味は、Very Tiny Languageの略で、その名の通り、非常に小さなプログラミング言語である。最初に登場したAltair680用VTL本体の大きさは、わずか768バイトである。これでインタプリタ本体として動作する(1975年の1個256バイトのEP-ROM3個に収める事が出来た)。

VTLの解説記事。『月刊アスキー』1977年10月号

 1970年代、創刊まもない月刊アスキーには、米国で開発された4K BASICや、VTLを動かす記事が掲載された。自作マイコンで、これらのプログラムを動かすことが読者の憧れであり目標となった。次に、これらのプログラムの内部構造を解析して、理解して、新しいプログラミング言語を開発する進歩的な読者が登場した。

 そうした小さなプログラミング言語が、次々に月刊アスキーへ投稿され、さまざまなCPUに移植され使われることとなった。国産の「GAME言語」、「TL/1コンパイラ」、そして、BASICの軽量版である「Tiny BASIC」である。

 マイコン博物館の館長である吉崎氏は、1977年創刊の『月刊アスキー』の初代編集長だが(創刊当初は編集長のクレジットはなく創刊5号よりクレジットされている)、これらの記事は、月刊アスキーが初期にプログラミングに関して果たした主たる貢献の1つといえるそうだ。

マイコン少年の憧れのソフトが全部動くドリームマシン

 「GAME言語」、「TL/1コンパイラ」、「NAKAMOZU Tiny BASIC」は、月刊アスキーの誌面で、解説記事とともに、そのプログラムが16進ダンプという形で掲載されていた。16進ダンプとは、コンピューターが実行可能なバイナリデータを16進数で表現したもので、それが何千バイト分も延々と続くものである。ユーザーは、それを自身のマイコンの16進キーから1バイトずつ入力していたわけだ。

16進ダンプによるプログラムの提供(4K BASIC)

 ところが、吉崎氏によると月刊アスキーに掲載されたプログラムを、読者全員が打ち込んで動かしたかと言うとそのようなことはなかった。読者の多くがこうした言語を自由に使えることを夢みたが、打ち込みを断念することもあったし、そもそも実機を持っていなかったという理由で「やり残し感」を持っている人がとても多いはずとのこと。

 その「やり残し感」を全部スカッと吹き飛ばしてくれるのが、今回のERIS6800であり、全部載せである。ちなみに、今回、拡張ROMに搭載されるソフトウェアは、次のような内容になっている。当時、月刊アスキーを読まれていた方には、名前を聞いただけで心にジーンと来てしまうものばかりのはずだ。これらの言語は、限られたメモリと処理能力しかない当時のマイコンを最大限に活用するために開発された、まさに「虎の子」の存在だったからだ。

GAME言語

 1978年7月号の月刊アスキーで大西博氏によるアセンブリのソースリストとして掲載された6800用のインタプリタ(機能的にはVTLに近い)。

GAME言語の解説。『月刊アスキー』1978年7月号。

TL/1 コンパイラ

 1980年2月号に掲載されたPascalライクなコンパイラ。1980年に大西博氏によってMC6800用に設計実装された。

TL/1の解説記事。『月刊アスキー』1980年2月号。

NAKAMOZU TINY BASIC

 山下春生氏により開発され、1979年4月号掲載のNAKAMOZU TINY BASIC。Tiny BASICは文字どおりスペックを縮小したBASICであり、一般的なBASICより少ないRAMで動作した。なお、今回のERIS6800では、70年代当時、掲載できなかった「NAKAMOZU BASICコンパイラ」も搭載している。

NAKAMOZU TINY BASICの解説記事。『月刊アスキー』1979年4月号。

 なお、初期の月刊アスキーの誌面は『エンサイクロペディアアスキー』に再録されており、一部を除き国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービスを使って閲覧が可能となっている。「送信サービス」とは、会員登録すれば、自宅などからネット経由で本文まで閲覧できるということだ。各言語の内容などを詳しく知りたい方は、アクセスしてみることをお勧めする。

 これらに加え、ERIS6800では、1977年9月号で付録にしたソノシートに録音されていた4K BASIC(内容はSWTPC 4K BASIC)も搭載、動作させることができる。ハードウェア構成も、当時のマイコン少年の最大の憧れだったAltair680とSWTPC6800と互換性がある。

 そのため、当時のマイコン少年の最大の憧れだったAltair680 BASIC、MC6800用セルフアセンブラ、強力なマシン語デバッガ「SWTBUG」が動作する。このMC6800用セルフアセンブラにより、CPUアークテクチャを理解して使いこなす「アセンブリ言語」を体験できる。「コンピュータの仕組みを深いレベルで理解できる貴重な体験ができ、将来、CPUを設計する時に役立つ」としている。

月刊アスキー1977年9月号と付録のソノシート("FLOPPY ROM"とある)。ソノシートにはカンサスシティー規格で録音された4K BASICが収録。この4K BASICは、SWTPC社の4K BASICと同じ作者で内容もほぼ同じ。山下春生氏は、自作マイコンで、この4K BASICのLOADに成功して、BASICインタプリタの構造を学んだ。そこで得られた技術で開発したのがNAKAMOZU TINY BASICだったという。

 ERIS6800は、付属のRS-232C/USB変換ケーブルを利用してPCのUSBポートに接続して使うことができる(PC側には、ターミナルエミュレータ TeraTermなどを動かして、コンソールとして利用する)。

ERIS6800をTeraTermから操作している画面。左上は起動時。「?」を入力しても、HELPメニュー的なものは出ない。「250330」とは、2025年3月30日にビルドされたものだと思われる(マニュアルに記載なし)。BANK0 では、SWTBUG と SmithBUG の2種類のモニタを使用可能。また、GAME-IIIインタプリタ、TL/1コンパイラ、Micro BASIC、RU 4K BASIC の4種類の言語を使用可能。各言語は、SWTBUG上で動くようだ。右上GAME言語、左下TL/1、右下NAKAMOZU TINY BASIC、それぞれの実行画面。

BANK2に入っているAltair 680 Assembler/Editorの画面(左上、右上、左下)。6800用セルフアセンブラの画面は、見た事がある方はとても少ないはずだ。70年代当時、セルフアセンブラが動く環境は高価だったので、マイコン少年たちはいわゆるハンドアセンブル(人力でアセンブラのコードから機械語に変換して16進キーで入力)していたからだ。セルフアセンブラがあれば、マシン語開発の生産性が劇的に向上するはず。右下は、強力なマシン語デバッカーの「SmithBUG」の逆アセンブル画面。

 米国の初期マイコンを主導したホームブリューコンピュータークラブも、1975年に結成。その中でほぼ全員がいた最大の分科会がMC6800を研究する「6800クラブ」だったそうだ。日本の黎明期のマイコン雑誌の記事もMC6800系が多かった実績がある。そんなMC6800を搭載して、1970年代に月刊アスキーに掲載されたホビースト主導で開発されたプログラミング言語や、開発ツールが、ほぼ全部動くというのがERIS6800だ。

 たしかに、これは「ドリームマシン」というものだろう。

ERIS6800のユニークな拡張基板

 ERIS6800のために開発された、マイコン革命50周年の歴史の中で初めての拡張基板が「メモリ・アクセス・インジケーター」だ。ミニコンやIMSAI8080のフロントパネルには、アドレスバスの信号を表示するLEDが在るが、CPUが高速で実行すると、全部のLEDが光り、アクセスの状態を読み取り出来ない。

 「メモリ・アクセス・インジケーター」は、レベルメーター用のバー型LEDを利用して、CPUが実行中のメモリアドレスを指さすように表示できる。RAMエリアと、I/Oエリア、モニタROMエリアを、CPUが順番にアクセスしている場合は、そのアドレスを示す3個のLEDが、アクセス頻度をLEDの輝度レベルで表しながら点灯する。

 CPUがどのようにプログラムを実行中なのか、暴走中なのかが一目で分かるという優れものだ。ふだんは見ることができず、想像するしかなかったCPUの動きを直接観察できるので、コンピュータの動きと構造を理解するために役立ちそうだ。

 他にも、1枚のI/O基板で、8bitパラレルポートを3個、合計24bit(24本)のパラレル信号の入出力が出来る「PPI基板」、その大量のI/O信号を外部と簡単に接続できる「ジャンパー基板」など、電子工作や、メカトロニクスに子供たちが楽しく挑戦できる機器が揃っている。もちろん、還暦世代の「永遠のマイコン少年」が楽しんでも良い。

ERIS6800のメモリ・アクセス・インジケーター

I/O基板を最大5枚増設可能

ERIS6800にMAI基板とPPI基板(MAI基板に下に在る)を接続し、PPI基板にジャンパー基板を接続した状態。

ERIS6800 CPU基板 拡張ROM付 [ERIS6800-02]の仕様

CPU:モトローラ社製 MC6802 互換 8bit CPU(クロック 1MHz)
メモリ:RAM 32KB、ROM 16KB + 拡張ROM 64KB(オプション)
ディスプレイ:16文字×2行表示の小型液晶キャラクターディスプレイ、7セグメントLED×4×2、基板上にLED×8
キーボード:16進キーパネル
インターフェイス:シリアルポート(RS-232C)、スピーカー、拡張用40ピンコネクタ(アドレスバス/データバス)
付属品:ACアダプタ(5V/3A)、USB/シリアルポートケーブル、I/O基板・周辺基板取り付け用のプラ足付スペーサー×2、PDF版のマニュアル(USBメモリ)
価格:拡張ROMなし: 2万9,700円、有り: 3万9,600円
※仕様の詳細はかならずマイコン博物館の販売ページを参照のこと。

子供たちのため実験セットを配布するクラウドファンディングを実施

 1970年代のマイコンは、中身がほとんどブラックボックスのようになってしまった現在のコンピューターに比べてはるかにシンプルである。コンピューターのハードウェア、ソフトウェアが生み出す世界が、そのまま手に取るように見える世界である。そのためERIS6800は、コンピューターの基礎教育に向いている。

 マイコン博物館には、毎週通う熱心な小中学生がいるそうだ。才能を持った、将来有望な子供たちはいるが、彼ら彼女らが成長していくには、適切な環境とメンターとの出会いが必須だと思われる。

 そこで、マイコン博物館では、このERIS6800に電子工作実験、メカトロ実験が出来る部品を加えた「ERIS6800 子供向け特別提供セット」を4400円という低価格で販売している。ERIS6800本体を含み、部品代だけで、約7万円する実験セットである。

ERIS6800 子供向け特別提供セット。小中学生でも鉄道模型の自動運転と踏切の制御実験が出来る。

 しかし、「マイコン博物館」には、この低価格実験セットを全国の将来有望な子供達に配布するだけの資金力は無いので、現状では「マイコン博物館」に通い、模型工作セミナー、電子工作セミナーに、3回以上参加した小学生、中学生、高校生に限定して販売を行っている。

 吉崎氏によると、「10歳ぐらいからERIS6800を活用して、プログラミング、コンピュータアーキテクチャ、メカトロニクスなどの基礎技術を2~3年間ほど自己学習して、それから徐々に最新の技術を取得する学習を行う。15~16歳ぐらいで頭角を現して、20歳の時に、準備万端、最初の大活躍が出来るようになるのではないか」とのこと。

 また、「IT業界の偉大な先駆者の例を見れば、20歳の時までに技術を学び、20歳の時にイノベーションのビッグウェーブを掴んで挑戦する事が、その後の大成功の必要条件である事がわかります。自分の頭脳の回転速度が最大になるのは20歳です。22歳での初挑戦では遅いのです。20歳の時が大切で、普通に子供時代を過ごした場合は準備不足でイノベーションのビッグウェーブを掴むのは難しい」という。

 『Coders(コーダーズ) 凄腕ソフトウェア開発者が新しい世界をビルドする』(クライブ・トンプソン著、井口耕二訳、日経BP)には、8歳や12歳でプログラミングを始めた話がいくつも出てくる。マイコン初期からその後この世界を作っていった人たちも、ネットの世界で活躍する人たちも、ちょうどその技術が爆発したときに20歳前後だったということは、このコラムでも「ダグラス・アダムスの法則をキミは知っているか?」と題して論じたことがある。

 マイコン博物館では、こうした将来有望な子供たちを応援する試みを全国的に広げるために、クラウドファンディングを企画中とのことだ。「ERIS6800を、将来有望な小中学生に無料配布して、彼ら彼女らの成長と活躍で、電子立国の復活を狙うプロジェクトを推進するために、篤志家(足長支援者)に資金支援をお願いします」という主旨のクラウドファンディングになるとのこと。

 そうした内容なので、支援者への製品などによるリターンはない。自分が支援したプロジェクトの子供たちの成長と活躍を見て、心から応援できることがリターンとなる。このクラウドファンディングは、今月中にも発表される予定なので、詳細はそちらを参照してほしい。

マイコン博物館のマイコン展示室

コンピューターの中身を知りたいという基本的な探求心に答える

 ERIS6800は、拡張ROMありの3万9,600円という価格も、その内容を考えれば決して高くはない。このマシンが、70年代のマイコン少年の憧れだったAltair680やSWTPC6800との互換性を持ち、当時のソフトウェア資産を活用できることは、本当に凄い。しかし、これは単なるレトロ体験以上の意味を持つ。

 現代の子供たちが、コンピューターの進化の歴史とともに、その根本原理を学べる貴重な機会を提供するからだ。

 もちろん、いまはScratchやMinecraftなど、優れた教育用プログラミングあるいは子供向けのソフトウェアが存在する。しかし、それらは同じジャンルのように見えるが目的はおよそ異なるものといえる。ERIS6800は、「自分が使っているパソコンやスマホがどんなしくみで動いているか?」といういちばん基本的な科学的探究心に答えてくれるものである。

 このあたりは、マイコン博物館(正確には技術少年出版)が、2014年にAltair 8800をもとに「Legacy8080」を開発・提供してきたこと。マイコン博物館では、毎週、子供たちが電子工作やそうしたコンピューターに触れているのを見ているから言えることなのだろう。このような基礎教育こそが、テクノロジーの新しい地平を切り開くことになるという確信によるものなのだと思う。

 ERIS6800というさまざまな意味でのドリームマシン、そして、子供たちへの無料配布を目指すクラウドファンディングに注目してほしい。


 東京青梅のマイコン博物館は、国内外の主要マイコン、パソコンを多数展示。夢の図書館、模型とラジオの博物館を併設しているほか、工作室なども用意されている。開館時刻は12時、閉館時刻は18時、利用は前日までの予約制となっている(土曜、日曜、祭日は、予約不要)。入館料は、1日利用券が大人・大学生が1,000円(消費税込み)、高校生・中学生500円、小学生無料などとなっている。詳しくは、公式ページを見てほしい。

 

遠藤諭(えんどうさとし)

 株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役などを経て、2013年より現職。角川アスキー総研では、スマートフォンとネットの時代の人々のライフスタイルに関して、調査・コンサルティングを行っている。「AMSCLS」(LHAで全面的に使われている)や「親指ぴゅん」(親指シフトキーボードエミュレーター)などフリーソフトウェアの作者でもある。趣味は、カレーと錯視と文具作り。2018、2019年に日本基礎心理学会の「錯視・錯聴コンテスト」で2年連続入賞。その錯視を利用したアニメーションフローティングペンを作っている。著書に、『計算機屋かく戦えり』(アスキー)、『頭のいい人が変えた10の世界 NHK ITホワイトボックス』(共著、講談社)など。

Twitter:@hortense667

カテゴリートップへ

この連載の記事
ピックアップ