CRISPR/Cas9技術を用いた世界初の医薬品開発の成功からみる特許紛争リスク
乗り越えられる可能性のあるリスクとしての特許
スタートアップを含む創薬企業が採用し得る戦略として、我が国では特許をいかに回避するかが最初に議論される。そのこと自体は当然なされるべきことと考えられるが、特許を回避できないときに開発を終了させるべきなのかという問題が存在する。
例えば、ファースト・イン・クラスやベスト・イン・クラスの医薬品の開発に成功した場合に、これを特許で妨害することが社会正義とまでは言い難い場合は少なくなく、金銭的解決により製造販売を続けることができる可能性は存在する。上述した事例では、MSD社が特許の存在に気がついていなかったとは思えないのであるが、特許にひるまずに開発を成功させ、製品の上市後に和解をしている。
上記サレプタ・セラピューティクス社は、有効成分である核酸についてバイオマリン社といずれが先に発明し、特許を取得するべきなのかについて係争をしていたが、バイオマリン社の特許は明らかにサレプタ・セラピューティクス社の有効成分をカバーするものであった。サレプタ・セラピューティクス社はベンチャー企業でありながら特許侵害リスクのある中で果敢に開発に挑み、開発を成功させ、FDAからの承認後にバイオマリン社と和解をしている。もちろん、金銭的解決は、タフな交渉の末にたどり着くものであり、交渉は困難を極める場合も少なくないであろう。
しかし、重要な点は、上記事例では特許を理由として開発を中止してはいないのである。特許を開発の継続/中止の絶対的な判断指標とはしていないのであろう。特許は乗り越えられる可能性のあるリスクであり、さまざまに存在する経営上のリスクの一つに過ぎないとして位置付けた上で、積極的にリスクテイクしているようなのである。
他社特許技術を利用し、研究を加速することを選択肢として検討も
ところで、上記は、ファースト・イン・クラス及びベスト・イン・クラスの場合であって、効能効果が同等の2番手を特許で妨害することはためらわれない可能性がある。効能効果が同等の2番手を排除したとしても、1番手の製品が存在する以上、人命へのリスクが限定的であるためである。
特に重要と考えられるのは、ファースト・イン・クラスもベスト・イン・クラスもスピード勝負であるということである。ファースト・イン・クラスは最初であることがその定義に含まれるのでスピード勝負であることは当然であるが、ベスト・イン・クラスの医薬も他の製品で置き換えられるリスクがあるから、実質的にはスピード勝負である。ベストでなくなれば(例えば、代替品やより優れた製品が出現すると)、人命へのリスクが限定的となり、結果として、特許により市場から排除される可能性を生じさせるからである。
そのような競争環境を想定すると、特許回避のために新たな技術開発を行い、開発速度を低下させてしまうことで、開発がファースト・イン・クラスやベスト・イン・クラスではなくなると、かえって開発の価値は大きく低下するうえに、特許で排除されるリスクが生じる。場合によっては、まだ気が付いていない特許による排除のリスクも増大させることになる。そうすると、特許回避による開発速度の低下はむしろ、経営上の大きなリスクであると考えられる。そのため、経営判断としては迅速に開発を成功させるために積極的な技術導入を試みることが重要であると考えられる。金銭により開発速度を向上させ、開発の失敗リスクを低減することにより投資した金銭以上の利益を得るのである。
また、確かに特許侵害リスクはないに越したことはないのであるが、現状においてバイオ医薬品では特許侵害リスクのない開発の方が少ないと思われる。実用化に必須となるさまざまな基盤技術がすでに特許化されていることが多いためである。特許侵害を回避するために特許切れの技術を用いることも選択肢であり得るが、そのためにファースト・イン・クラスやベスト・イン・クラスを逃す可能性があるのであれば、他社特許で守られた優れた技術を利用し、研究を加速することを選択肢として検討する必要もある。