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遠藤諭のプログラミング+日記 第86回

ネットは新型コロナ以降の生活や社会インフラそのものになる

「Clubhouse」はソーシャルメディアなのだろうか?

2021年02月03日 14時00分更新

文● 遠藤諭(角川アスキー総合研究所)

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ソーシャルメディアは「コンテンツ」ではなく「ネットワーク」がすべて

 ソーシャルメディア(SNS)を考えるときに私がいつも念頭においているのは、Twitterの創業者の1人エヴァン・ウィリアムズが、Mediumを立ち上げて述べていたことだ。ご存じのとおりMediumは、日本のNoteを思わせる(しくみは異なる)サービスだが、「Medium はブログ公開のツールではない」と題された記事で読むことができる。その中で、彼は、

 「ネットワークこそがすべてなのです」

 と言い切っているのだ。そして、「ユーザー同士のコネクションやそのユーザーが提供する、あるいは創造するコンテンツとのコネクションこそが、すべてなのです」と付けくわえている。注意深く読みとってほしいのだが、コンテンツは主役ではない。本末転倒のようにも思えるが、ネットワークだけを考えるべきだというのである。

 もっとも、それはこれを読まれている方々も体験していることだと思う。フェイスブック上に自分にとって価値ある投稿が存在したとしても、誰か自分の友だちがシェアてくれない限り自分の目に飛び込んでこないはずである。自分の友だちの繋がりというネットワークが、世の中にあまたあるコンテンツを選別して届けてくれるからだ。

 エヴァン・ウィリアムズは、自ら作りグーグルに売却したBlogger のようなサービスは、時代とともに「ツール」から「ネットワーク」にシフトしたとも述べている。まさに、ソーシャルネットワークに「メディア」という単語がなぜかくっつくようになった時期のことだ。アンドリーセンホロウィッツ(有名VCですね)のある人物は「Come for the tool, stay for the network」(ツールのために来て、ネットワークのためにとどまる)と表現している。

 ツールとネットワークが両方揃っていて、はじめてこの種のサービスは成功する。当時は、Instagramがそうであった。いちばん新しいところではTikTokがまさに「Come for the tool, stay for the network」だろう。もっとも、TikTokに関していえば、コンテンツ密度(content density)の高さを生み出すよう絶妙な設計がされていることも忘れてはならない。

 コンテンツ密度とは、この場合、見る人が「カワイイ」、「カッコいい」、「面白い」、「スゲー」、「ホッコリ」などと感じた回数をコンテンツの秒数で割った値である。TikTokなどのマイクロエンターテインメントが流行って以来、最も注目すべきネットコンテンツの掟の1つといえるものだ。

 というわけで、エヴァン・ウィリアムズの「ネットワークがすべて」というのは、いささか言い過ぎにも見える。しかし、TikTokもふくめて成功しているサービスがネットワークをきちんと取り込んでいるのも事実である。

画像やURLも貼れず、録音もメモすることも禁止、ないない尽くしのメディア

 なんの話かというと2021年の年明けからIT業界人を中心に日本でユーザーが増えている「Clubhouse」というソーシャルメディアについてである。しばしば、「声のTwitter」などとして紹介されるが触ってみた人はすぐに気づかれるとおり、これはあまりあてはまらないように思う。

 私も、その表現を目にしているうちはあまり気にならなかったのだが、話されたことは録音はおろかメモすることも禁止されているとガイドラインにあると知ってがぜん興味を持った。

 実際に触ってみたClubhouseのサービスのしくみはこの記事の冒頭にかかげた図のようになっている。喋りたい人は「ルーム」(あるいは定常的に開催する「クラブ」)を立ち上げてその中で喋ることができる。そこに聞きたい人がやってきて話を聞くだけである。参加する人の役割は、次のとおり。

・モデレーター(ルームを立ち上げた人)
・スピーカー(手をあげてOKされた人)
・リスナー(ルームに参加している人)

 ルームには、次の3種類のタイプある。

・オープン(誰でも自由に参加)
・ソーシャル(モデレーターがフォローする人だけ参加)
・クローズド(決まった人だけ参加)

 とてもシンプルで、この種のサービスを作るときの入門書でこんな感じで作ってみましょうというような内容のようである(私には、あまり詮索してほしくないPHPの入門書の著書があるのだが=Twitterに似たサービスを作る生徒役、まさにこんな感じで機能がしぼられていた)。

 ClubhouseとTwitterが似ていないことは次の図を見てもあきらかである。縦軸に「リアルタイム」か「非同期型」かコミュニケーションの基本要素をもってきて、横軸に、「友だち・特定のジャンルや有名人のファン」などスタティックな理由か、それとも「そのとき出てきた話題やバズが目的」かという使う動機をもってきた。

ソーシャルメディアにおけるclubhouseのポジションをリアルタイム/非同期とジャンルや友だち/話題やバズの2軸でみた。

 これを見るとClubhouseとTwitterは対極にあるというほど異なるメディアであるようにみえる。Clubhouseは、一緒に雑談をする仲間だったり、気になるジャンルの有名人だったり、動機付けとして人なつっこいところがある。Twitterは、それに対して断片的な発言によって人も記号化されて飛び交っていくところが凄い(まさにツイート)。

 この図、一見するとClubhouseとLINE(この場合トーク)が横軸において似ているように見えるが、Clubhouseはいまのところジャンルやコミュニティーに根付いていて、LINEは友だちベースなのはご存じのとおりだ。左上に位置するリアルタイムの動画のソーシャルメディアはあまりないので、Zoomを仮に置いた。VRやアバター系でここにあたるものがありそうではある。

 とはいえ、誰でも発信できて受け取ることもできるというオープン性においては、ClubhouseとTwitterは似ていないわけではないというのもわかる。そこで、次の図では、縦軸に「消える」(フロー型)か「残る」(蓄積交換)か、横軸に、「オープン」か「クローズ」かを持ってきた。

ソーシャルメディアにおけるClubhouseのポジションを消える/残るとオープン/クローズの2軸でみた。

 消える/残るは、そのままリアルタイムか否かともいえるが、「Snapchat」など意図的に消えるメディアのトレンドが続いているからだ。たぶん、Clubhouseは消えるメディアであることで、Twitterと同じような炎上のチェーンは発生しないだろう。そもそも、ルームの中に関していえばモデレーターが認めた人しか喋れない。

 Clubhouseが実名制に対して、Twitterが「匿名制」という部分では両者はまるで違っている。それでも、ClubhouseがTwitterと比べられるのは、「匿名」でないかわりに録音やメモが禁止でログも残らないので内容のほうが秘匿されることによるのかもしれない。さらに、Clubhouse では、画像や情報のアクセス先をしめすURLを伝えることさえできない。

 カット&ペースト、共有、リンク、まさにそれによってソーシャルメディアが生まれ、シェリングエコノミーが生まれたという、2000年代以降の大きな潮流に逆行するようなないない尽くしのメディアである。

新型コロナ後1つ目のブレイクしたソーシャルメディアの意味

私のClubouseのプロフィール。PDA博物館の井上真花さんに招待いただいた。これをたどっていくと割りと簡単にClubhouseのアイコンになっている人物までたどれたりするそうだ(アイコンの人物はときどき入れ替わるのだとか)。右は現時点での私のアプリ開始画面。25人以上フォローすべしなどとある。

 興味深いのは、いまのところClubhouseにおいては誰から招待されて参加したかが明らかになっていることだ。招待制というのはソーシャルメディアの立ち上げ期には、ごく当たり前のことだが、それが見えちゃっているというのが特徴的といえる。TwitterにしろFacebookにしろフォローや友だちは見えても招待者は見えなかった。ネット上の自分の素性を示す「オンラインアイデンティティ」に1つ情報が増えるということだ。

 ひょっとしたら、このサービスを立ち上げた人たちは、ソーシャルグラフに関する社会心理学的な実験のような気分なのではないかという気がしてくる。1960年代に行われた有名な「6次の隔たり」(Six Degrees of Separation)の実験を思い出す人もいるだろう。ないない尽くしの設計も、実験のためにモデルをシンプルにしたいからのようなうがった見方をしたくなる。

 Clubhouseには、本当に人と人、ルームと人からなるネットワークしかない。いまのところYouTubeのような広告のしくみもなく、有料のプレミアムアカウントもない。お金に関連して唯一、今年1月下旬、Clubhouseがクリエイターを支援するプログラムをはじめると報じられた(米国ではそうしたクリエイターが多数活動しているらしい)。これと関連してバーチャルイベントのチケットでマネタイズを考えているのではないかともいわれる。バーチャルイベントは、新型コロナ禍以降の世界中で起こっている一大トレンドであるのは説明するまでもない。

 Clubhouseは、新型コロナ後では1つ目のブレイクしたソーシャルメディアである。それは、人々が本物の会話と表現を楽しむための空間として設計されているそうだ。新型コロナ以降のリモートやバーチャルの世界では、ネットは、我々の生活や社会のインフラそのものとしてデザインし直されるべきではないかと思った。

 

遠藤諭(えんどうさとし)

 株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役などを経て、2013年より現職。角川アスキー総研では、スマートフォンとネットの時代の人々のライフスタイルに関して、調査・コンサルティングを行っている。「AMSCLS」(LHAで全面的に使われている)や「親指ぴゅん」(親指シフトキーボードエミュレーター)などフリーソフトウェアの作者でもある。趣味は、カレーと錯視と文具作り。2018、2019年に日本基礎心理学会の「錯視・錯聴コンテスト」で2年連続入賞。著書に、『計算機屋かく戦えり』(アスキー)、『頭のいい人が変えた10の世界 NHK ITホワイトボックス』(共著、講談社)など。

Twitter:@hortense667
Facebook:https://www.facebook.com/satoshi.endo.773

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