戦争特需で測定器が売れに売れる
従業員にボーナスを支給し、健康保険も提供する
そして社員数が増えると製品の開発や出荷も順調に進むが、今度はガレージだけでは手狭になる。かくして1940年には早くも“Hewlett Packard Garage”を脱出、南に1Kmほど移動したPage Mill Road沿いのレンタルオフィスに拠点を移している。
画像の出典は、1952年のカタログ
新拠点に移動してからも、同社は好調だった。1941年には波形分析器のModel 300A、1946年にはQメーター(コイルの品質係数を測定する機器)のModel 160-A、1948年には電圧計のModel 400Bといったさまざまな測定機器をラインナップに加える。
実はこの好景気、1939年から始まった第二次世界大戦や、1941年の太平洋戦争がもたらした部分が大きい。実際この第二次世界大戦からの期間、Packard氏は兵役免除を受けている。
というのは同社は1943年からマイクロ波市場に参入しており、戦時中は軍に欠かせない製品、具体的には近接ヒューズに利用されるオシレーター、レーダーや対レーダー兵器で利用されるマイクロ波の信号発振器などを供給していた。
Packard氏は兵役免除の代わりにこの期間、HPを単独で率いてこれらの軍事向け製品の供給をすることになった。ちなみにHewlett氏はこの期間、陸軍通信隊に勤務しており、戦争が終わった1947年に将校まで昇進してHPに戻ってきている。
さてこの戦争の期間中だが、1942年に同社はパロアルトに最初の自社ビルを建設している。1943年には同社の売上は100万ドルに達しており、戦争の終わった1947年には150万ドルになっていた。
この期間の売上を支えたのは同社の忠実な従業員達であった。まだこの当時、後年に“HP Way”として知られる企業文化は確立されておらず、ある意味2人の創業者の個性で従業員を引っ張っている状態であったが、それでも1940年という早い時期から従業員にボーナスを支給し、また包括的な健康保険も提供している。
さらに、1940年には慈善団体に最初の寄付(ただし5ドル)も行なっている。このあたりはIBMの創成期を彷彿させるものがある。もちろんIBMの方が創業が古い分、着手も早かったわけではあるが。
ただこうした会社の方針は、従業員にとっては居心地の良い勤務先となるわけで、後年良く言われた「家族主義的経営」の萌芽がかなり早い時期から育まれてきたのは間違いない。
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