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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第509回

シリコンバレー誕生の地で起業したHP 業界に多大な影響を与えた現存メーカー

2019年05月07日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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周波数発振器を製造販売
これにウォルトディズニーが目をつける

 その再会した2人は副業を始めることにした。場所はPackard氏の両親が借りていた、パロアルトのアパートのガレージである。

 この場所は、現在ではNational Register of Historic Places(合衆国国家歴史登録財)に登録されており、Googleでは“Hewlett Packard Garage”と検索するだけで見られる。説明ではこの場所は“BIRTHPLACE OF SILICON VALLEY”(シリコンバレー誕生の地)となっている。

 さて2人は副業をきちんとしたビジネスにすることを決め、会社を立ち上げる。この社名がHPなわけだが、実はこれもコイントスで「どちらの名前を先にするか」を決めたそうだ。つまりPackard氏が勝ってれば“Packard-Hewlett”という社名だった可能性もある。

 当初の資金は538ドル(と古いプレス機械1台)のみだったが、幸いにいくつかの商品のアイディアもあった。また会社を始める前の、副業の段階で開発していたModel 200Aという製品がすぐさま出荷されることになった。

最初の製品であるHP Model 200A。可変周波数発振器そのものは当時でも別に珍しくなかったが、HPのそれはHewlett氏がStanford大で研究していた抵抗可変式を利用しており、競合製品が200~600ドルだったのに対し、わずか54.40ドルで販売された。1942年にはこの方式で特許も取得している

 しかもウォルトディズニーが、このModel 200Aをベースに独自のカスタマイズを施したModel 200Bを8台要求。これは1台あたり71.50ドルで同年中に納入された。ウォルトディズニーはこれをFantasiaの上映を行なった12の映画館に設置された、特殊な音響システムのテストや調整に利用したそうだ。さらにその後、NRL(United States Naval Research Laboratories:米海軍研究所)でもこのModel 200Bを採用したらしい。

 こうした売上は当時のHPにとっては当然ながら非常に大きなものであり、資金的なゆとりができたことでさらに社員を雇うゆとりも生まれた。

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