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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情第480回

業界に多大な影響を与えた現存メーカー Thinkというスローガンを掲げたIBM

2018年10月15日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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従業員を手厚く保護し
経済的な安定性を保証する

 余談になるが、1916年というのは、まだアメリカも決して裕福という状況ではなかった。BuzzFeedに掲載された2013年6月29日の記事に、1908~1916年の児童労働の様子が30枚の写真で掲載されている。

 これは当時としてはそれほど珍しくない光景であり、おそらくは(まだTabulating Machineを製造販売していた)IBMでも、高等教育はおろか下手をすると初等教育すら受けていない従業員が少なくなかったと思われる。こうした従業員に対しての教育プランをいち早く導入した一社がIBMである。

 1933年、同社は週40時間労働を導入する。週40時間労働というムーブメントそのものはイギリスのRobert Owen氏が1810年に提起したあたりから始まるが、アメリカにそうした流れがおよぶのは1910年代以降である。

 1916年にアダムソン法(Adamson Act)が連邦法として制定されることで、私企業に対して労働時間の上限を8時間とする(これを超える場合、追加の賃金を支払わねばならない)ことになった。

 もっともアメリカの場合、連邦法とそれぞれの州法の関係が少しややこしく、1916年に8時間を超える労働時間が即違反とはならなかったのだが、1937年に公正労働基準法(Fair Labor Standards Act of 1938)が制定され、これにより最低賃金の導入や労働時間の上限を週44時間(のちに40時間に短縮)にする、児童労働の禁止(16歳未満児童の就学時間中の労働禁止)などが定められ、1940年から施行されることになった。IBMの動きは、こうしたトレンドを先取りしたものと考えれば良い。

 1934年には従業員に対する団体保険の提供と出来高払いの撤廃(固定給の提供)を始めている。今となっては別に珍しくもないが、当時は生命保険など裕福な人の入るもので、工場の従業員などはそんな契約をする金銭的な余地はなく、だからもし従業員がなにかの理由で急に亡くなったりすると家族が路頭に迷いかねなかった。

 あるいは当時、工場の従業員との契約は出来高払いが一般的で、調子の良い時と悪い時で大きく収入に差がでることになっていた。1934年のこの2つの措置は、同社に勤務する従業員とその家族に、経済的な安定性をもたらすものとなった。

 さらに1937年、6日間の有給休暇を従業員に提供することを決める。これはアメリカの企業としては初である。また1935年には、同社のAnne Van Vechten氏の指揮の下、女性のみによるシステムサービス向けプロフェッショナルの育成チームも結成された。

このチームが、後年のIBMの女性エンジニア育成の礎になったそうだ

 1942年、同社は障碍者の雇用プランをスタートし、障碍者向けのトレーニングプログラムをまずカンサスで、翌年にはニューヨークでそれぞれ立ち上げる。ちなみにこのプランで最初に加わったのが、その後1980年に亡くなるまでの間、Accessible Workforceの象徴であり続けた全盲のMichael Supa氏である。

 そして1946年、最初の黒人のセールスマンとしてTom (T.J.) Laster氏を雇用する。アメリカで公的に黒人差別が違法とされるのは1964年公民権法(Civil Rights Act of 1964)の制定後(厳密に言えば1964年の憲法修正24条の制定と1964年公民権法、それと1965年投票権法の3つの成立後)の話であり、1950年台はまだ黒人差別が普通にまかり通っている時代に、セールスマンとして黒人のLaster氏を雇用するのはなかなか勇気のある行動であり、Watson Sr.氏の見識を伺わせるものがある。

中央がLaster氏、その右がCEOのWatson Sr.氏である

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