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82歳、川淵三郎氏が熱く語る「日本のスポーツ界は、宝の山」

2019年03月25日 06時00分更新

文● 上野直彦 編集● ガチ鈴木/ASCII編集部

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鹿島アントラーズの本気が地域を変えた

 あと大事な要素があります。試合の興行を成功させるか否かの肝は「ビジョン」があるかどうか。

 Jリーグのオリジナル10(1993年開幕時の10チーム)を決める時のエピソードです。9チームは既に決まっており、残り1枠を6チームの中から決める段階でした。ただ僕は鹿島、当時の住金については最終選考で落とそうと決めていたのです。なぜかというと鹿嶋市は人口4万5千人しかおらず、人口比率も高齢者が多い。

 コンビニも映画館もボーリング場もない、本当に何もない町だったんです。あまりにも何もないので住友金属の社員の間では鹿島症候群なんて言って会社を辞める原因の一つになっていると言われたくらいです。だからこそ住金側としてはJリーグに加盟して町興しをと考えていたようです。僕はそんな所でサッカーをやっても成功するわけがないと思い、いよいよ引導を渡そうと思い関係者を呼んだのです。当時鹿島の社長だった中村さんをはじめ7名の方に東京まで来てもらいました。

 いきなり「Jリーグ加盟の可能性は100%ありません」というには忍びなくて「申し訳ないけど99.9999%ありません」と言ったのです。そうしたら中村さんの顔が急にぱっと明るくなって「0.0001%あるんですね! それは何ですか?」と言ってきました。そんなつもりで言ってないから、それでは絶対できないことを言ってあきらめてもらおうと思い「今の日本にはない、観客席に屋根の付いたサッカー専用の1万5千人収容の競技場をJリーグ開幕までに完成すること」という非常に厳しい条件を出しました。

 当時彼らは3000人収容のスタジアムを作ると言っていたことに加えて、その時点で開幕まで2年を切っていました。鹿島側の皆さんも元気なく帰られて行きましたが、ようやく諦めてくれたなと思ったのです。そうしたら程なくして知事の了承を得て「スタジアムを作ります」と言われたのです。開幕までに具体的な策を提示して間に合わせますと言い出したのです。

 いやいや、作ったところでガラガラのスタジアムで試合をやられても何にもならないと泡を食いました。ボランティアはどうするだ? 若手の育成はどうするだ? 宿舎その他はどうするだ? 私はそのあとも結構な無理難題を出しましたが、全部潰してきたのです。理事会としても屋根付きサッカー専用のスタジアムの前例ができるということをよしとして、最終的に全会一致で鹿島が10チーム目として登録されたわけです。

 開幕戦こそチケットをさばくのに苦労したみたいですが、テレビで試合を見た人たちにジーコやアルシンドの大活躍が刻まれたようです。それ以降、圧倒的にチケットが入手困難なチームとなりました。ビジョンのあるイベントは成功するし、逆に言えばそれがないイベントは成功しないということです。鹿島アントラーズ誕生の姿を見て痛感しました。

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