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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第406回

業界に痕跡を残して消えたメーカー データベースソフトdBASE IIで成功し会社経営に失敗したAshton-tate

2017年05月08日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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データベースソフトdBASE IIの
販売で大成功を収める

 dBASE IIは1981年に695ドルで発売され、たちまち飛ぶように売れ始めた。dBASE IIそのものは、強いて言えばカード型に分類される単なるデータベースシステムであったが、当時同等のものは他になかったため、たちまちWordStarやVisicalcと並ぶ、ビジネス用必須アプリケーションの座にのし上がる。

 さらに同社はRatliff氏に加えてもともとJPLDISを開発(ちなみにJPLDISはFortranで記述されていたそうだ)した上級プログラマーのJeb Long氏も雇い入れ、dBASE IIの開発とIBM-PCへの移植を行なう。

 このIBM-PCへの移植は大成功を収めた。IBM-PC版は1982年9月に発売されたが、前年(1982年1月締め)の決算は370万ドルの売上に対して31万3000ドルの営業損失だったのが、1983年1月〆の決算では110万ドルの利益がでており、さらにこの後急速に売上と利益を増やしていく。

 その一方で経営陣にもいろいろ変化があった。まず会社組織であるが、Software PlusがSPI Holdingという持ち株会社となり、この下にDiscount SoftwareとSoftware Distributors、それとAshton-tateの3社が子会社のようにぶら下がる構造になった。

 そのAshton-tateの取締役会議長兼CEOとして、1981年にDavid C. Cole氏が就任する。Cole氏は1982年、Rod TurnerをOEMセールス部門(後に全世界の営業のトップ)として招き、彼の下で売上は急速に伸びた。特にIBM-PC版の発売後の売上は目覚しく、1982年には英国拠点を設立してヨーロッパ全体に販売する。

 なんでもTurner氏はこの英国拠点に対して毎月15%の売上げ増のノルマを課したらしいが、設立後18ヵ月に渡りこのノルマは達成できたというから恐ろしい。同社はこれに続き、ドイツおよびオランダにも販売拠点を設けている。

 こうした順調な売上げ増加のおかげで、同社は1983年11月には株式上場も行ない、この時点での従業員数は228人に達している(ちなみにRod Turner氏は12番目の社員である)。

 これに先立ち、SPI Holdingが名前をAshton-tateに改め、持ち株会社兼dBASEの開発販売会社となり、その傘下にDiscount SoftwareとSoftware Distributorsを抱えるようになったのは、株式公開のためであろう。1984年1月の決算では、売上が4300万ドル、営業利益も530万ドルに達している。

後継のdBASE IIIに批判が殺到するも
神対応で逆に売上を伸ばす

 さて、話がおかしくなるのはこのあたりからだ。1984年8月、Tate氏はわずか39歳の若さで、心筋梗塞で逝去する。このため、SPI HoldingがAshton-tateになった段階でいったんはCEOを降りていたCole氏が暫定CEOとなるが、彼も1984年10月に辞任。後任としてCole氏が指名したのは、VisiCalcでマーケティングを担当していたEd Esber氏であった。

 これに先立つ1984年5月に発表され、7月に出荷を開始したのがdBASE III Version 1.0である。ただこのdBASE III Version 1.0は非常に多くのバグを抱え、かつ性能はdBASE IIに劣るということで、非常に多くの批判を浴びることになった。

 理由の1つは、このdBASE IIIがアセンブラの代わりにC言語で記述されたということだったらしいが、幸いにもバグの主なものを改修したVersion 1.1が11月に投入されることで、性能はともかくして批判の大半はおさまった。

 性能の方はというと、この時期はPCの性能が急速に上がっていった時期でもあるため、すぐにそれほど問題にならなかった。

 これに続き社内の開発陣はdBASE III Version 2.0の開発に取りかかり、これは1986年初めにdBASE III+として発表されるものの、リリース直前にリコール騒ぎとなった。理由はdBASE III+本体ではなく、フロッピーに施された不正コピー防止用のソフトの誤動作、というあたりがやや情けないところだ。

 ただ、リコールへの対処やその後リリースされたdBASE III+のバグ修正などで、むしろ同社の対応が良いと評判になり、この結果としてdBASE III+はdBASE IIに負けないほどのヒット作となり、1987年1月決算では3億1800万ドルもの売上がたつことになる。

dBASE III+

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