満を持しての「minilogue」
この製品については、すでに発売日が過ぎ、順調にデリバリーも進んでいるので、スペックなどの詳細は割愛します。ただ、私は感動しているのだということのみ伝えさせていただきたい。
NAMMショーが始まった直後の朝、コルグ本社ショールームに「minilogue」が置かれているという情報を得た私は、期間中一歩も出ることなく済ませようと思っていた自宅から、踊るようにして足を踏み出したのです。アナハイムへ行く予算はなくても、自宅からコルグ本社までは歩いて行ける距離にあるのはラッキーとしか言いようがない。
そのアルミニウムのメインパネルは弱い凹面を描いて鈍く輝き、適切な位置に配置されたそれぞれのノブは適切な感触と重さを維持しながら、誰かに操作されるのを待っておりました。おお、お前がmonologueなのか。
思えば21世紀最初の量産型アナログシンセサイザー「monotron」が出た頃から、着地点はこのへんだろうと予測されており、そういう意味ではまったく意外性はなく、なんならつまらないと言ってさえ構わない結果です。かろうじてコルグらしいのは、4音ポリフォニックのアナログシンセを5万円台で売るという悪魔のような所業のみ。
しかし、実際に形となったものに触れて驚嘆するのは、そのフィニッシュのクオリティー、そしてなにより音でした。
シャープな切れ味を持ちなめらかにピークを移動させるフィルター、高速に動作するエンベロープ・ジェネレーターなど。それぞれがオペレーターの思惑を少しずつ上回るレベルにあり、全体として「アナログシンセはこうだった」ではなく「アナログシンセはこうなる」という上位のメッセージが感じられ私は……。
などと言い始めるとオカルトになってゆくので自重するとして、まるで音とは関係ないところでグッと来きたのは、背面に木材を使っているところです。ミニモーグにプロフェット5、コルグならばMS2000やmicroKORGもそうですが、木材の細かい傷や削れを見るにつけ、ああ、お前も演者と客の間で戦ってきたのだな、と。おそらくminilogueもそんな楽器になるのでしょう。
楽器とは実にメディアなんであります。わかりやすく言いますと、たとえばヤマハのボーカロイド。あれは特異な例とはいえ、現在、そして未来における楽器のあり方の一端を示したものであると私は考えています。
メディアの存在は表現のルールを支配します。音声の通信記録に関して言うならば、レコードの登場、ラジオ放送の開始と、音楽は新しいメディアが登場するたびに、その影響を受けて変化してきました。インターネット時代の現在では、そうしたメディアによって生じる制約が、以前よりずっと減っている。だからこそ演者と聴衆との関係性を支配するメディアとして、楽器の比重は相対的に高まらざるを得ないと私は感じています。
しかるに現在の楽器メーカーはメディア企業なのです。製品をリリースすることでなにを訴え、なにが変えられるのかを踏まえなければ、有効な製品は打ち出せない。また、そうした製品を形成する技術の背景には、必ず思想があるはずです。minilogueであれば、monotron以降、monotribe、MS-20 mini、volcaシリーズ、ARP ODYSSEYと順を追ってたどってきた道のりに、それは隠されているのかもしれません。
さて、自分でもなにを言っているのかよくわからないまま駄文を書き進めることに不安を感じてきましたので、これにて終わらせていただきますが、唯一心残りなのは、ショールームに置かれたデモ機の電源を勝手に切るのは憚られるため、起動中に液晶画面に現れるというブロック崩しをまだ試していないことです。
Enjoy minilogue!