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情報の取り扱い説明書 2015年版 第6回

個々の編集力が求められる

アップルも情報遮断の時代、情報をうまく受け取る4つのポイント

2015年07月14日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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情報は発信時にも受信時にも編集されている

 情報とは発信の際に不可避的に編集がなされるものである。

 これはなにも「捏造」という悪意が込められたものではなく、メッセージをあるメディア形式に当てはまるということ自体がすでに情報の加工なのである。そして、それを受け取る側も自分独自の「編集」を通してメッセージを受容する。

 以前紹介したシャノン/ウィーバーのコミュニケーションモデルは送信の際の「記録装置」と受信の際の「再生装置」という概念でこのことを表現している。記録装置も再生装置も人によって性能や特性が違うから、一見同じ内容のメッセージでもその圧縮率や解像度はまったく異なっている。

第3回の本連載でも掲載したクロード・シャノンとウォーレン・ウィーバーによる情報伝達の概念モデル。情報は送信の段階でも受信の段階でもかならずノイズが混入するため、メッセージの原型が過不足なく受け渡されることは絶対にない。人間に編集力という想像力が備わっているゆえの事態だと言える

  情報と接する際、この認識は必須である。情報を活用して知識に消化/結実させるのはほかでもない自分だ。

 発信された情報にどんな編集が介在しており、そこには何が誇張され、何が省略されているかについて想像力を巡らすこと……。とかく発言の文脈(=コンテクスト)が抜け落ちがちなソーシャルメディアにおいては、特にこの感覚が重要になる(逆に文脈の脱落が独特のおもしろさを醸成することもあるのだが)。

 さらに、自分は当該の情報をどう編集して受け取ったかについても自覚的になること……。この送信と受信の双方に埋め込まれた編集に意識的になるだけで、情報は余計な感情的ノイズが軽減された素材としてのモジュールに近付いていく。

 情報との付き合いを料理に例えるならば、情報という材料の良し悪しを見極めるのも自分、調理をするのも自分である。そして、そもそも何を食べたいのかは自分以外わからない。

(次ページでは、「ソーシャルメディアの今の姿とは」)

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