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著作権シンポジウムで議論

パロディー同人誌は、原作者への「愛」だ

2008年04月17日 12時00分更新

文● 斎藤温、広田稔/トレンド編集部

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オリジナルを批判する二次創作はアリ?


 日本におけるパロディーはファン活動の一環ということだが、この状況は海外では少し異なるようだ。北海道大学大学院法学研究科教授の田村善之氏は、「米国では批評の意識がないパロディーは、ただの二次創作と見なされる」として、米国の考え方を紹介した。

田村氏

田村善之氏

田村氏 著作権法は、著作権者に十分な対価を支払うことで、二次創作への利用が許可されるだろうという立場に立っています。しかし二次創作は、ときとして原作者に対する批判になることもある。そうした批判は、著作者にとって我慢ならないかもしれないが、公にとってはあってほしいものかもしれない。


 だから(対価の支払で)うまくいかない二次創作について、米国などではパロディーとして扱っている。社会的な利益と、個人的な利益がかなり乖離する場合、市場にゆだねてはうまくいかないだろうということで、パロディーのところだけ(法律に)穴をあけているんです。


 そうした著作者側が嫌がる二次創作について、「本当に法律で解決していいのか?」と、弁護士でクリエイティブ・コモンズ・ジャパン専務理事の野口祐子さんは問いかける。

野口さん

野口祐子さん

野口さん 原作者が嫌がる二次創作については、原作者の嫌だという気持ちと、批判を見たいという社会的な利益のどっちを優先するのかという話だと思う。


 最終的には各人の価値判断ですが、「一生懸命、汗水たらして作品を作ったんだから、それを批判するのはけしからん」という人の意見を聞くと、その気持ちもよく分かる一方で、そうした利益をすべて法的権利で保護しないといけないのかという論点も出てくると思う。


 竹熊氏は、「完全にオリジナルな創作物は世の中にない」と作り手のあり方について言及する。

竹熊氏 作品は世の中に出ると公共物になるため、模倣やパロディーをしたいという欲求が出るのは当然。一部のゲームメーカーや初音ミクを発売したクリプトン・フューチャー・メディアは同人文化を奨励しており、企業の意識も変わってきている。


 そもそも完全に無から有を生む、という創作はあり得ない。映画「2001年宇宙の旅」を撮ったキューブリック監督は、「想像もつかないほどのものは、想像できないことが分かった」と言っている。クリエイターもオリジナルを過剰に主張するのは違うのではないか。

 ちなみに竹熊氏は、最近、ネットで話題になっている漫画家のトレース疑惑についても「どんな著名な漫画家でも、何かの模倣から始める。しかし、ネットではどんなものでもすぐに丸裸にされ、ネタ元が明かされると盗人扱いされるが、模倣があっても名作は存在する。どこで線引きをするのかが問題だ」とも語っていた。

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