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将来独立したい人必読! なかなか聞けない起業のホント 第2回

第2回 起業という孤独を乗り越えるには

2007年07月20日 00時00分更新

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牛嶋英樹さん(34歳)

牛嶋英樹さん(34歳)

DTPオペレーターからIT企業へ転職、そして2005年に起業──。有限会社ビアスライン代表の牛嶋英樹さんは、勤務先の倒産をきっかけに独立を決意。会社としてはまだスタートしたばかりだが、営業に力を入れることで少しずつ成長をとげている。名刺交換のやり方から勉強しなければならなかったという、そんな牛嶋さんに個人事業から起業することにした理由と、営業の重要性について聞いた。

起業までの道のり
1995年大学卒業
下向き矢印
1995年DTPオペレーターとして社会人をスタート
下向き矢印
2001年IT関連企業へ転職し、エンジニアとして再スタート
下向き矢印
2003年退職し、フリーランスのエンジニアとして独立
下向き矢印
2007年有限会社ビアスラインを設立

紆余曲折。しかし、自分のスキルに自信が付く瞬間とは

 牛嶋さんはパソコンを使った仕事に興味があったことから、大学卒業後にDTPのオペレーターとして印刷会社に就職した。ところが、趣味のプログラミングが上達するにしたがって楽しくなり、やがてはプログラミングに関する仕事をしたい欲求が強くなった。Webアプリケーションの仕事を求めて転職活動を開始。しかし、プログラミングのアルバイト経験だけでは経験者として扱われず、転職は困難なものとなった。40社以上に履歴書を送って採用試験を受けた結果、何とか1社に潜り込むことができ、IT業界でのキャリアをスタートさせた。

「入社して早々に既存のシステムのバグをフィックス、さらに機能の追加をする仕事をすることになりました。そのシステムのプログラムは3人のエンジニアが自分なりの方法で管理したので、PerlとPHPが入り交じって混乱した状態になっていたのです。これを何とか1人で整理されたプログラムに作り変えてクライアントに納めたところ、お客さんや社内で高く評価されました。そのときに、プログラミングのスキルに自信を持てたからこそ、のちに独立を決意できたのだと思います」

個人事業では仕事の幅に限界が…… 事業形態を変え営業力強化

 自分のスキルに自信を持ち始めた牛嶋さん。そんな矢先、会社が倒産してグループ会社へ部署ごと移籍することになり、牛嶋さんは開発の仕事から離れることを命じられたのだ。

「会社の倒産によって仕事内容がガラッと変わったとき、『自分がやりたい仕事は自分で獲得していく必要がある』と強く感じました。しかし、会社員は仕事内容の好き嫌いに関わらず、与えられた仕事をしなければない。それで独立することにしたのです。独立後の最初の仕事は、簡単なメールフォームの開発でした。小さな仕事でしたが、自分が求めてやまない開発の仕事ができて嬉しかったです」

 牛嶋さんはフリーランスのエンジニアになると、地道に営業を続けて少しずつ仕事の幅を広げていった。しかし、ある壁にぶつかることになる。「個人事業」という事業形態では取り引きをさせてもらえないケースが増えてきたのだ。

「自分の技術力の不足が理由で発注してもらえないのなら仕方がないでしょう。でも、事業形態が会社ではなく個人事業というだけで、仕事の話をさせてもらえないのはとても悔しかったですね。こうして個人事業という事業形態での営業に限界を感じたので、有限会社化することにしました。登記のための準備はすべて専門化に任せて、営業などに時間を使いました」

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