中田康成さん(33)
合資会社コパリ 代表
サーバーの構築や保守管理を主な業務とする合資会社コパリを2000年に立ち上げた中田康成さん。学生時代の目標は大学院に進み研究者になることで、会社を興すことは特別夢ではなかったという。それでも業務は順調に推移し、今年で設立7年を迎える。起業の際のノウハウや会社を継続維持させるポイントを聞いた。
起業までの道のり | |
---|---|
1997年 | 大手コンピュータ会社でSE補助として働き始める |
2000年 | 友人と合資会社コパリを設立 |
2005年 | 大学卒業 |
2007年 | 設立7年目を迎える |
もともと起業が夢ではなかった? 若くして独立のワケとは
「本当にやりたいことは、大学院での修辞学の研究をすることだった」と語る中田さんは、大学院に進む学費を稼ぐために、大手コンピュータメーカーの派遣エンジニアになった。いつでも研究の道に進めるようにと、契約が1年更新の派遣社員として働くことを選んだのだ。しかし、時間が自由になると思えた派遣社員という雇用形態であっても、研究に費やす時間を確保するのは難しかった。そこで、研究時間と学費の両方の確保を考えた結果、「起業」という道を選んだのだという。
「働きながら、自分の時間──研究の時間を確保するには、自分がトップになるしかないと考えたのです。経営のトップになってしまえば、勤務スタイルも自分で決めることができますからね。運よく志を同じくする友人もいたので、合資会社コパリを設立しました。『合資』という形態を選んだのは、2000年の設立当時では資本金が少なくてすんだからです」
起業したての資金繰りのポイント
中田さんはそもそも目標が“大学院で研究”だったことから、起業に対して大きな野望はなかった。起業準備も自宅兼用のオフィスに、自らネットワークを構築してグローバルIPを取得したことぐらいだという。とはいえ、起業後の資金繰りなどの不安はなかったのだろうか。
「会社を興したからといって、お客さんがいなければ仕事は成立しませんし、収益もゼロですよね。そこで、コパリとして仕事がとれて利益を上げられるようになるまでは、在宅勤務ができる会社で働いて運営資金を確保していました。コパリとしての最初の本格的な仕事は、IT系雑誌の執筆でした。友人から紹介された制作会社の依頼で、JavascriptとPerlについての解説記事を書きました」
それは規模も金額も小さな仕事だったが、これが縁でやがてその会社のサーバー・ネットワークの保守管理を任されているようになった。
「はじめは小さな仕事ばかりです。しかし、その仕事に熱心に取り組んでいけば、積み重なって次第に仕事の量が増え、規模も拡大していきます。小さな仕事の1つ1つに腰を据えて取り組むためにも、起業当初は運営資金をどう捻出するかが重要だと思いますね。私の場合は、その手段が在宅勤務ができる会社で働くことだったのです」
■バックナンバー第1回 “技術があるから成功する”と思うべからず
第2回 起業という孤独を乗り越えるには
第3回 出資を募るときは“自分の腹の内を見せろ?”
第4回 ITスキルゼロからIT企業設立の不退転
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