歯科医療を“運ぶ”という発想 医療MaaSが変える歯科の未来
移動型クリニックで歯科医療を届ける新たな仕組みづくりに挑む、オーガイホールディングス
提供: 堺市
歯科医院は日本中の街に存在する。都市部であれば、少し歩けば歯科医院を見つけることができるだろう。しかし、それでもなお歯科医療にアクセスできていない人は少なくない。仕事が忙しく通院する時間が取れない人、検診には行くものの治療にはつながらない人、あるいはそもそも歯科医療に関心を持つ機会がない人たちだ。
こうした「医療と接続されていない人」に歯科医療を届ける新しい仕組みを作ろうとしているのが、大阪府堺市に拠点を置くオーガイホールディングス株式会社だ。
同社が取り組んでいるのは、歯科医療を移動型クリニックで届ける「医療MaaS」の構築だ。歯科医療MaaS車両「O-Gai」を活用し、企業や自治体と連携した歯科医療の実証を進めている。
この事業を率いるのが代表取締役社長兼CEOの野田真一氏。そして医療面を支えているのが、代表取締役副社長兼CMO(メディカル)で歯科医師・医学博士の長縄拓哉氏だ。IT起業家として成長してきた経営者が、なぜ歯科医療の世界に挑むことになったのか。その背景には、家族の経験と歯科医療が抱える課題への問題意識があった。
創業の原点は「父の入れ歯」
オーガイホールディングスの起業の原点は、野田氏の経験にある。野田氏の父は45年以上歯科技工士として働いてきた職人だった。歯科技工士は、入れ歯や歯のつめ物やかぶせ物などの補綴物(ほてつぶつ)を作る国家資格の専門職であり、歯科医療を支える重要な存在だ。
しかし、その仕事は患者の目に触れる機会が少なく、社会的な認知度は決して高いとはいえない。技術力が高いにもかかわらず、その価値が十分に評価されてこなかったという構造的な問題があったそうだ。
野田氏自身も若い頃、歯科技工士の道を考えたこともあったが断念し、ITの世界に進んだ。そして、パソコン販売の仕事を経て、23歳で独立。企業向けの通信インフラやクラウドサービスを提供する会社へと成長させ、全国350社以上の企業と取引するまでの規模に育てた。
しかし、歯科技工士という仕事への思いは消えることはなかった。その思いを決定的にした出来事が、父の入れ歯だった。3Dプリンター技術が進歩し、歯科技工のデジタル化が現実的になりはじめた頃、野田氏はその技術を使って父の入れ歯を作ることにした。当時、野田氏の父は人生の終末期を迎えていたという。
新しい入れ歯を使うようになってから、父は再び食事を楽しめるようになった。そして最期まで、自分の口で食事を取ることができた。
「最後まで自分の口でご飯を食べられた。それは本当に、最高の親孝行だったと思います」(野田氏)
この経験が、歯科医療の世界に再び向き合うきっかけとなったという。
歯科医療の仕組みを変える挑戦
オーガイホールディングスの特徴は、医療系企業でありながらIT企業としての基盤を持っていることだ。ITの世界では、データをクラウドで共有することで時間や距離の制約を取り払うことができる。この発想を歯科技工の世界に応用できないか、と野田氏は考えた。
従来の歯科技工では、歯型を取り、模型を作り、技工所へ送り、手作業で補綴物を製作するという工程が必要だった。そのため完成までに時間がかかり、患者は何度も歯科医院に通う必要があった。
しかし、口腔内スキャンを行い、そのデータをデジタルで共有すれば状況は大きく変わる。CADで補綴物を設計し、3Dプリンターで出力することで、歯科技工のプロセスを大きく短縮することができる。
このデジタル歯科技工の仕組みを社会実装すること。それがオーガイホールディングスの事業の出発点だった。
診療・設計・製作をつなぐワンストップ統合型の歯科医療モデル
同社が構築しているのが、歯科医療と歯科技工をデジタルでつなぐワンストップ統合型の提供モデルである。
歯科医療MaaS車両「O-Gai」では、まず口腔内スキャナーを使って患者の歯列をデジタルデータとして取得。データはクラウドを通じて歯科技工ラボへ送信される。
歯科技工ラボでは、熟練の歯科技工士がCADを使って補綴物を設計する。設計されたデータは再び「O-Gai」へ送られ、車両に搭載された3Dプリンターで出力される。
この仕組みによって、従来は複数回の通院が必要だった治療を、場合によっては1日で完結させることも可能になるという。診療、設計、製作をデジタルデータでつなぐこの仕組みは、歯科医療の効率を大きく変える可能性を持っている。
歯科技工士不足という社会課題・沖縄の離島で実証された医療MaaS
この仕組みには、もう一つの重要な意味がある。歯科技工士不足という日本の歯科医療が抱える課題への対応だ。
歯科技工士は国家資格の専門職だが、業界では人材不足が続いている。若い世代が技工士をめざすケースが減り、技術継承が難しくなりつつあるという。一方で、日本の歯科技工士の技術力は世界的にも高く評価されている。ミクロン単位で噛み合わせを調整する精密な技術は、日本の歯科技工の大きな強みだ。
オーガイホールディングスでは歯科技工ラボを整備し、歯科技工士が働ける環境を整えることで、この技術を生かしていく考えだ。デジタル歯科技工の仕組みが広がれば、歯科技工士は地域の歯科医院だけでなく、医療MaaSやデジタルネットワークを通じて多くの症例に関わることができるようになる。
また、このモデルは都市部だけでなく離島でも実証の動きが進んでいる。オーガイホールディングスは、2026年2月に株式会社電通沖縄と、沖縄県における「歯科医療MaaS」事業の包括的業務提携契約を締結した。
離島では歯科医療へのアクセスが限られている地域も多く、補綴物の製作にも時間がかかるケースがある。歯科医療MaaS車両を活用すれば、離島でもその場で口腔スキャンを行い、データを歯科技工ラボへ送り、補綴物を現場で製作するという流れを実現できる。
都市部では忙しい働き盛り世代の医療アクセスを支え、地方では医療資源の不足を補う。医療MaaSは地域の状況に応じて活用できる医療インフラとしての可能性を持っている。
困っている人に会いに行く医療
オーガイホールディングスの取り組みを医療の視点から支えているのが、代表取締役副社長兼CMO(メディカル)で歯科医師・医学博士の長縄拓哉氏だ。
長縄氏は東京女子医科大学病院で慢性疼痛の外来を担当していた経験を持つ。来院する患者の多くは、すでに痛みが慢性化した状態だった。慢性疼痛は治療が難しいケースも多く、「もっと早い段階で介入できていればよかったのに」と思う患者も少なくなかったという。
「痛くなってから来るのではなく、痛くなる前に会うことができたら」と、長縄氏はそう考えるようになった。
しかし、忙しさや生活環境、あるいは心理的なハードルによって、病院に足を運ぶ機会を逃している人が多く存在している。その経験から長縄氏は、医療は病院の中だけで完結するものではなく、人と医療の接点を社会の中に増やしていく必要があると考えるようになった。
歯科医療MaaS車両「O-Gai」も、そうした発想から生まれた取り組みの一つだ。街中や職場の近くで歯科検診を受けることができれば、これまで歯科医院に通う機会がなかった人でも医療と接点を持つことができる。口腔内をスキャンし、その場で状態が可視化されることで、自分の健康状態に気づくきっかけにもなる。
長縄氏は、このような小さなきっかけの積み重ねが、医療のあり方を変えていく可能性があると考えている。「困っている人に会いに行く医療を作りたい」。歯科医療MaaSは、その実現に向けた一つのアプローチなのである。
堺市で始まった歯科医療MaaSの実証
オーガイホールディングスは、堺市と連携しながら歯科医療MaaS車両「O-Gai」を活用した実証を進めている。
2026年2月25日には、市職員や企業従業員を対象とした口腔検診を実施した。午前中には堺市役所前に「O-Gai」を駐車し、市職員を対象とした検診を実施。午後には場所を移し、タマノイ酢株式会社の協力のもと、公園で同社社員を対象とした歯科検診を行った。
受診者からは「休憩時間に歯科検診が受けられるなんて驚いた」「車両内部が広く、清潔で安心できた」といった声が上がった。また、その場で口腔内をスキャンして状態が可視化される体験についても、「状態が一目でわかり意識が変わった」といった反応が寄せられていた。
歯科医院に行く時間が取りづらい働き盛り世代にとって、医療MaaSは新しい医療への入り口となる可能性を示している。
医療を社会のインフラにする挑戦
野田氏は、こうした取り組みを単発のイベントで終わらせるのではなく、堺市との連携を通じて継続的な仕組みにしていきたいと考えている。行政、企業、医療機関が連携しながら地域の健康課題に取り組むモデルを構築する――それが同社のめざす方向だ。
「電気や水道のように、医療も社会の基盤の一つだと思うんです。だからこそ、もっと多くの人が当たり前にアクセスできる仕組みを作りたい」(野田氏)
歯科医療MaaS車両「O-Gai」を中心とした取り組みは、まだ始まったばかりだ。しかし、地域と連携しながら医療の新しい形を模索するその挑戦は、堺から確実に動き始めている。
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