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「初日300アクセス」から月間33億PVへ──魔法のiらんど爆発的成長の裏側

モバイル黎明期に女子中高生を虜にした"奇跡のサービス"はどう生まれたか──谷井玲氏インタビュー

2025年07月22日 09時00分更新

文● 遠藤 諭

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魔法のiらんどの画面(2008年頃)

 2000年代初頭、女子中高生の間で爆発的に流行したモバイルサイトがあった。恋愛小説の投稿や、プロフィール交換、日記、掲示板──いわば、いまのSNSの原型のような機能を、ガラケーという限られた環境下で実現したのが「魔法のiらんど」である。

 iモードの黎明期、まだ誰もがモバイルインターネットの本当の可能性に気づいていたとは言えなかった時代。携帯電話が、通話やメッセージではなく"使うモノ"になると喧伝されていた。iモードは開始当初は情報提供やモバイルバンキングなど生活の道具に期待される部分が大きかったのだ。

 そんな1999年12月、魔法のiらんどは、ホームページ作成と掲示板だけのシンプルなサービスとしてスタートした。しかし、その成長は驚異的だった。初日300アクセスから1週間で1日40万PV、最終的には月間33億PVを記録にまで至ったのだ。利用者数では、最大で約600万ユーザーという数字だ。

 それを可能たらしめた要因はなにか? 魔法のiらんどといえば、『恋空』をはじめとするケータイ小説が、社会現象的な大ヒットになったことが知られているが、それ以上のことを知らない人も多いのではないか?

 魔法のiらんどは無料で提供されていたが、クリス・アンダーソンが論じた『フリー〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(高橋則明訳、NHK出版)に登場するどのモデルとも合致していないようにみえる。

 魔法のiらんどがやったことは、ひたすら《何か新しい楽しいことをやりたい》という、とてもシンプルなある意味で日本的なサービスだったのだ。"日本的な"としたのは、戦後の日本の産業が、合理主義だけでは片付かないやり方で動いていた部分が少なからずあるからだ。

 魔法のiらんどを取り巻く日本のモバイルインターネットの成功は、今では語り草となっている。その後、スマートフォンの時代へと移り変わったが、これからも技術的な舞台が切り替わるだけでチャンスはあるのではないか。本質は、"このようなやり方のできる人物や会社"が登場するかどうかではないか。それ以外の大切とされるメソッドや手法などは付帯的なもののように思える。

 「魔法のiらんど」の運営会社である株式会社ティー・オー・エス創業者の谷井 玲(たにい あきら)氏へのインタビューでは、そんなことを強く感じずにはいられなかった。

 それは、"ケータイインターネット元年"のリアルであり、ビジネスモデルや起業家教育の教科書には出てこないであろう、これからスタートアップに取り組みたい人たちには、ぜひ読んでほしいものとなった。

魔法のiらんどを提供していた株式会社ティー・オー・エスの創業者であり社長をつとめた谷井 玲氏。

 このインタビューは、2024年8月に東銀座のドワンゴ本社において、ZEN大学のコンテンツ産業史アーカイブ研究センターのオーラルヒストリーとして行われたものである。収録にあたって、インタビュー記事として再構成されている。

iモードの性能評価の仕事が生み出したチャンス

―― 魔法のiらんどの始まりをお聞きしたいのですが、その発端はどのあたりになるのですか?

谷井 1989年の4月、26歳の時にNTTデータさんからの仕事を中心にした技術系の会社を作りました。2名で立ち上げて、その後も仕事が順調に増えていって10年後には社員が100名ぐらいの会社になっていました。

 魔法のiらんどは1999年の12月に作ったんですが、その前の10年間は、そのTOS(株式会社ティー・オー・エス)という会社では、NTTデータの性能評価とか、金融系の開発をやっていたんですね。NTTデータの技術開発本部として、大手企業のトラフィックの評価やレスポンス改善の仕事をしていました。そうやって技術者が集まってきていました。

―― 技術者の集団になっていた。

谷井 はい。技術の会社として進めていく中で、受託開発だけでなく自分たちで新しいものを作りたいという思いがありました。会社名のTOSは「トップ・オブ・システム・サービス・スペシャリスト」の略で、システム開発のトップを目指すという意味を込めていましたからね。

 それで、2年に1回、予算3000万円をかけて新しいことにチャレンジしていったんです。最初は音声を出すスピーカーを作ったり、プロバイダー事業を始めたこともありましたが、なかなかうまくいきません。1つ目、2つ目、3つ目、4つ目と、失敗を繰り返していくわけなんですが。5番目の挑戦が、魔法のiらんどだったんです。

―― おー。5度目の正直。

谷井 たまたま性能評価の仕事の経緯で、NTT本体からiモードというサービスをNTTデータとして技術開発に関わることとなり、これを使って何かできないかと考えたんです。それが5番目の開発のきっかけでしたね。それで、誰でも携帯電話でホームページや記事を作れるようなサービスを作ろうとなったのでした。

―― 実は、iモードが始まる前からiモードがどんなものかわかっていた。

谷井 はい、iモードが立ち上がった時から、その技術を活用しながら、自分たちの会社のサービスとして何か楽しいことができないかと考えました。最初はスケジュール管理機能を作ってみたんですが、それだけではあまり面白くないなと。1999年2月には、iモードが正式発表されて、まさに夏野さんがプレゼンテーションをされたわけですけど。

iモードのサービス開始を伝える『月刊アスキー』(1999年3月号)の速報記事。「iモードCMのメインキャラクターは広末涼子。もうすぐ高校を卒業して大学生になる彼女は、ボケベルを卒業して"ケータイのヒロスエ"へ。」とある。発表は2月だが1月には、iモードのテレビCMに関する発表会も行なわれている。

―― その間に、iモードもサービスインしちゃったと。

谷井 「あいぴ」というたまごっち風のキャラクター育成ゲームも考えました。魔法のiらんどの中にいるキャラクターが「あいぴ」なんですけど、「あいぴ」っていうのはもともとそれなんですね。しかし、そのゲームは育てるだけではあまり面白くないし、発展性もないなと感じました。

 そこで私たち性能評価チームの技術を活かして、別のアプローチを考えたんです。ドコモのiモードで作ったホームページが、PCでも見ることができて、auのWAPでも、J-PHONEでも自動的に見られるようなしくみを作ろうと。最初は、ホームページ作成と掲示板機能だけをつけて世の中に出してみたんです。これが1999年12月。


iモード:NTTドコモが1999年2月に開始した携帯電話向けインターネットサービス。メールやウェブサイト閲覧が可能で、日本で初めて本格的なモバイルインターネットを実現した。
ガラケー:「ガラパゴス携帯電話」の略。スマートフォン以前の日本の携帯電話の俗称。iモードなどの独自サービスで進化した。
WAP:Wireless Application Protocolの略。携帯電話でウェブサイトを閲覧するためのプロトコル。auが採用していたが、インターネット標準のHTMLとは互換性が無かった。
夏野さん:夏野剛(なつの たけし)氏。NTTドコモのiモード立ち上げに関わったキーパーソン。現在、株式会社KADOKAWA取締役・代表執行役社長兼CEOほか。

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