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科学技術振興機構の広報誌「JSTnews」 第15回

【JSTnews7月号掲載】特集2

⁶⁴Cuを用いたがん治療、診断の放射性医薬品の実用化を目指すベンチャー・リンクメッド社が挑む道のり

2025年07月09日 12時00分更新

文● 島田祥輔 写真●島本絵梨佳

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 がんの放射線治療は、装置を使って体外から放射線を当てる方法と、放射性医薬品という薬剤を投与して体内から放射線でがんを攻撃する方法の2つがある。日本発の放射性医薬品の実用化を目指して臨床試験を進めるリンクメッド(東京都中央区)の吉井幸恵代表取締役社長に研究開発の現状や起業に至った経緯を聞いた。

銅同位体から「ミックス照射」
1つの薬で画像診断も可能に

 がんは日本人の2人に1人がかかる病気である。がんの主な治療法には、手術、薬物治療、放射線治療がある。このうち放射線治療では、細胞中のDNAに傷をつける放射線を照射して、がん細胞を攻撃する。現在の放射線治療では、体の外からX線を当てる外部照射という方法がよく行われている。しかし、正常な細胞にもダメージを与え、副作用が現れることも珍しくない。

 外部照射以外にも放射線を使った治療法があり、その1つが「核医学治療」である。核医学治療とは、放射性医薬品と呼ばれる薬剤を体内に投与してがん細胞に届け、集中的に攻撃するというものだ。リンクメッドの吉井幸恵代表取締役社長は、日本発の放射性医薬品の実用化を目指し、日々奔走している。

 吉井さんが研究開発を進めているのが、銅の放射性同位体⁶⁴Cuである。質量数が64の⁶⁴Cuは、いくつかある放射線のうち、ベータ線とオージェ電子という粒子線を放出する(図1)。ベータ線は、体内で細胞数百個分にあたる数ミリメートルの距離を飛ぶ。それに対してオージェ電子の飛距離は細胞1個分にも満たないが、DNAを切断する性質が非常に高いという特徴がある。ベータ線とオージェ電子の2つの放射線を当てることを、吉井さんは「ミックス照射」と呼んでいる。「飛距離とエネルギー量が違うミックス照射をすることで、悪性脳腫瘍など治りにくいがんに対して効果があると考えています」。

図1 ⁶⁴Cuを使えば、PET検査で患部にどれぐらい薬が集積しているのかを画像で確認できる。また、飛距離が長いベータ線と飛距離が短くDNAへの攻撃力が高いオージェ電子を組み合わせることで効果的ながん治療が見込める。

図2 患者に静脈投与した⁶⁴Cu-ATSMは、がん組織に特徴的な低酸素環境で⁶⁴Cuを切り離し、患部に集積する。実際に、悪性脳腫瘍の増殖を抑制し、生存率が改善することを非臨床試験で確認済みである。

 現在、放射性医薬品として⁶⁴Cuの承認に向けて、悪性脳腫瘍の中で最も治療が難しい「悪性神経膠腫(こうしゅ)」を対象としたランダム化比較第Ⅲ相医師主導治験を国立がん研究センター、神奈川県立がんセンターと共同で進めており、薬品承認に向けた最終段階である。悪性脳腫瘍は抗がん剤が届きにくいだけでなく、患部中に酸素が少ない状態になり、体外から放射線を当てる外部照射が効きにくいという課題がある。そこで吉井さんは、悪性脳腫瘍に⁶⁴Cuが届くよう、ATSMと錯体を形成させた低分子化合物「⁶⁴Cu-ATSM」を体内に投与する治療法を開発。「ATSMは低酸素環境で⁶⁴Cuを切り離す性質があるため、脳の奥深くの腫瘍でもベータ線とオージェ電子によってがん組織を攻撃できます」と解説する(図2)。

 また、⁶⁴Cuは陽電子という粒子を放出する性質もあり、陽電子放射断層撮影(PET)検査で、画像診断で可視化できる性質もある。つまり、薬剤の動きを体外から追跡できるということだ。現在のがん治療薬は、がんに届いているかを確認することが難しいが、⁶⁴Cuを使えば1つの薬で診断と治療の両方が可能になる。これが、吉井さんが掲げる「革新的な『見える』がん治療」というキーフレーズにつながっている。

START事業の支援受け起業
「運べる」千葉に工場建設

 吉井さんが⁶⁴Cuと出会ったのは、2000年代に福井大学で生物学の研究をしていた時だった。当時は低酸素環境で生きる原始生命の代謝を研究していたが、指導教官から「がん細胞も低酸素環境で生きている」と聞き、自分の研究ががん治療に応用できるかもしれないと衝撃を受けたという。そのころ、同大の高エネルギー医学研究センターでは⁶⁴Cu-ATSMを使ったPET画像診断の研究が行われており、この物質を活用すれば低酸素環境にあるがんを可視化し、治療ができると考え、研究を開始した。

 放射性医薬品開発に向けてさまざまな試験を実施し開発を進めてきたが、ヒト臨床試験に進むにあたり懸念となったのが、生産体制だった。⁶⁴Cuは、ニッケルに陽子ビームを当てて作る。初めは研究施設で1つ1つ作成していたが、実用化のためには生産工場を持つ企業の力が必要になる。吉井さんは複数の企業に相談したものの、なかなか前向きな返事はもらえなかったという。

 「ならば、一番の専門家である自分がやるしかないと思い、起業を決意しました」。そこで吉井さんが応募したのが、JSTのSTARTプロジェクト支援型(現・プロジェクト推進型起業実証支援)だった。起業実証支援では大学等発のスタートアップ企業設立を目指し、事業化ノウハウを持つ事業プロモーターによる支援を受けられる。採択後、この事業プロモーターとの出会いが転機になったという。「悪性脳腫瘍は治療が難しいからこそ、最先端の科学技術でトライする価値があると言葉をかけていただき、とても勇気づけられました」と振り返る。

 また、事業プロモーターのアドバイスを受け、プレゼンテーションのスタイルも工夫するようになった。学会の研究発表では成果を理論的に説明することが求められるが、必ずしもそのスタイルが投資家の心を動かすとは限らない。「こんな世の中になったらうれしいよね、と聞いた人を感動させるような工夫をするように心がけています」。

 その後、吉井さんは千葉県のビジネスコンテスト「CHIBAビジコン2021」で千葉県知事賞を受賞(図3)。このコンテストで出会った方から出資を受けたことを機に2022年にリンクメッドを設立し、予定よりも早く起業実証支援を卒業した。現在、千葉県に工場を建設中だ。「当時所属していた量子科学技術研究開発機構の研究所が千葉にあったので、地元のビジネスコンテストに応募しました。⁶⁴Cuの半減期は13時間であるため、オーダーメードで作って患者さんに直接届ける必要があります。治療薬を迅速に運ぶために、空港が近い千葉県は今振り返るとぴったりの場所でした」と吉井さんは笑う。

図3 吉井さんは「CHIBAビジコン2021」の千葉県知事賞の他にも、JSTと新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が主催する「大学発ベンチャー表彰2024」の大学発ベンチャー表彰特別賞を受賞している。

がん特性に合わせ個別医療
人のつながり社名に込める

 現在、吉井さんはリンクメッドを経営しながら、JSTの創発的研究支援事業において⁶⁴Cuの未知なる領域の研究にまい進している。⁶⁴CuはATSMだけでなく、さまざまな分子に結合させることで、複数種類のがんに対応できる可能性がある。東京大学アイソトープ総合センターに研究室を設け、⁶⁴Cuの新たな可能性を模索し破壊的イノベーションの創出を目指している。

 がん組織は、がんによって変異している遺伝子が異なれば、がんの特性や薬の効き方も変わる。患者から採取したがん検体をマウスに移植し、どうすれば⁶⁴Cuをよりがん組織に届けやすく、効果を発揮しやすくなるのか、検討を進めている。「患者さん由来のがん検体を使うことで、がんの特性に合わせた個別化医療につながります。その前段階としての動物実験を実施しているところです」。

 創発的研究支援事業で大切にしていることは、多くの研究者との交流だと話す吉井さん。「私が所属するパネルには、幅広い医学分野の研究者が所属しています。その方々と議論することで、全く予想しなかった研究の方向性が生まれることがあります。研究、技術、臨床など、立場の違う人たちが集まって初めて物事は成功するものだと思います」。

 パネルを統括するプログラムオフィサーにも励まされたと語る吉井さん。「起業やこれからの自分が研究者としてどう進むべきか悩んでいた時に、いつも背中を押してくれました」と語る。立ち上げたリンクメッドの社名に「リンク」が入っているのは、こうした人々のつながりを信じているからだという。会社のモットーは「Link for life」。最先端科学と患者・医師をつなぎ、新しい医療を創成することを目指し、社名に思いを込めている。

臨床試験後は海外展開も視野に
研究も経営も本に答えはない

 吉井さんの目下の目標は、⁶⁴Cu-ATSMの第III相臨床試験をクリアし、放射性医薬品として承認を得ることだ(図4)。将来的には海外にも展開し、⁶⁴Cuを用いた「見える」がん治療を世界中の患者に届けたいと考えている。

図4 ⁶⁴Cuを用いた試験の進行状況。

 他社との共同研究にも意欲的だ。リンクメッドでは、自社のみでパイプラインの開発を進めるのではなく、他社が持つ抗体やペプチドを使って、新しい治療薬を開発できないか、日々検討を行っているという。自社開発と共同研究の両輪で研究を進めるビジネスモデルを、吉井さんは「ハイブリッドモデル」と呼んでいる。

 研究者と経営者の二足のわらじを履く吉井さんは「どうやって研究者から経営者にもなったのか」とよく聞かれるそうだが、吉井さんの中では研究もビジネスも一緒だという。「研究もビジネスも、本の中に答えはありません。仮説を立てて検証し、次に進んでいくというステップは共通していることに気づき、これなら研究者の自分でもビジネスができると思いました」。研究では考えられる選択肢を全て検証できる一方で、ビジネスでは最適な選択肢を選ぶという違いはあるものの、自分の中でも何も変わっていないと、研究者としてのスタイルを貫いている。

研究とビジネスでは垣根を感じることがあると思います。しかし、科学技術が進展して多くの人が助かり、国が豊かになるのなら、垣根を気にしている場合ではありません。垣根を乗り越え、多くの人と交流することが大切です。

 取材中、よく笑うことが印象的だった吉井さん。周囲を巻き込みながら、日本発の放射性医薬品の実用化を目指し、これからも突き進む。

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