国内で実績を積んできたコルグの「Live Extreme」技術。ハイレゾ立体音響配信で海外に進出した。
コルグは2月28日に山梨県清里で、世界初の試みとなる、Auro-3Dの立体音響技術を用いた96kHzのハイレゾ配信を実施した。この内容はコルグが最近提携したアメリカの配信サービス「Artist Connection」を通じて、ロサンゼルスのスタジオにも配信された。言い換えると、将来的には海外のアーティストのライブをLive Extremeで国内配信できることが、技術的に実証されたことになる。Live Extreme技術を用いた高い音質で、国際的なライブ配信を実現する足がかりになり得るイベントと言える。
清里でなければ出せない音を世界に届ける
イベントは清里のオルゴール博物館「ホール・オブ・ホールズ」で開催された。「世紀を継ぐ奇跡の競演」と題されたライブ演奏公演で、マリンバ奏者の大森たつし氏と神原揺子氏が、博物館のアンティーク自動演奏楽器と共演する内容だ。自動演奏楽器は約100年前に製作された自動演奏ピアノ「チッカリング・9フィート・アンピコ・グランドピアノ」と、パリ万博で発表された大型の自動演奏オルガン「リモネール1900」が使用された。
またイベントではYMOの“もうひとりのメンバー”としてよく知られている松武秀樹氏が司会進行を務めた。同氏はYMO時代の1970年製モーグIIICも会場に持ち込んでいた。残念ながらその演奏はなかったが、“箪笥”と呼ばれた大型アナログ・シンセサイザーならではの苦労話などを聞くことができた。
配信形式は、フルHD映像とAuro-3Dの96kHz(5.1.4ch)音声が用いられた。再生にはAuro-3Dに対応したAVアンプとArtist Connectionに対応したセットトップボックスが必要だ。スマートフォンの場合はiOSまたはAndroidでArtist Connectionのアプリを実行すれば、ヘッドフォンを用いた擬似サラウンドでも楽しめる。
私はプレスビューイングイベントに参加し、「GENELECエクスペリエンス・センター TOKYO」においてサラウンド環境で視聴した。セットトップボックスとして「Nvidia Shield TV Pro」を使用、AVアンプとしてマランツ「AV 10」、スピーカーとしてはGENELEC「THE ONES」シリーズの「8351B」をフロントに3台とリアに2台、「8341A」をサイドに2台、「8331A」を4台トップに配置というものだ。「THE ONES」シリーズはスタジオ用のモニタースピーカーで同軸方式ツィーター・ミッドレンジドライバーとそれを挟む形で楕円形のウーファーを2基搭載したコンパクトな3Way同軸方式のアクティブスピーカーシステムだ。
訂正とお詫び:スピーカー構成の説明をより正確な表現に改めました。(2024年3月5日)
このシステムではまずNvidia Shield TV Proが内部のAndroid OSで動作しているArtist Connectionアプリでネットワークからの配信入力を受信、Nvidia Shield TV ProからHDMIでAV 10にデータを伝送してAuro-3DをAV 10でデコード、各スピーカーに信号を送るという流れとなっている。
プレスビューイングイベントの会場では着席すると開演前からリハーサルや設置等の音がライブ会場から配信されていたが、そうした環境音がとてもリアルに感じられた。まるで開演前のライブ会場に着席したかのようだ。このライブ会場の清里ホール・オブ・ホールズは私がかつて乗馬騎乗で山梨に通っていた折に何度も訪れた場所で、大森氏のマリンバ演奏や自動演奏ピアノの演奏も実際に聞いたことがある。そこからのリアルな配信を東京で聴くことができるというのは感無量だ。
時折り聞こえる足音や会場の拍手も側方や後方からリアルに聞こえ、ちょうどホール・オブ・ホールズの中央に陣取って着席しているのが音だけでもよく再現されていた。
名作曲家による当時の生演奏を記録したロール紙
100年前の自動演奏ピアノはデモ用に1台のみ製作されたもので、チッカリングの製作したグランドピアノをアンピコが自動演奏用に改造したものだ。当時は作曲家自身がこうした自動演奏ピアノを記録するのは珍しくはなく、当日は作曲家マスカーニとラフマニノフが自分で弾いた記録(アナログのロール紙)を元にした自動演奏がなされた。
ラフマニノフはピアニストとしても優秀だったようで、その技巧を生かした「クマンバチの飛行」では素早い指捌きが100年前のアナログ自動機械とは思えない正確さで見事に再現され、グランドピアノの豊かな音色とともに配信で十分に堪能することができた。
マリンバは打鍵の気持ち良さだけではなく深く響く低音が特徴的な楽器だが、それが見事に表現されていることにも驚かされた。演奏は主に前方から聞こえるが、ホールの反響音が周囲から聞こえるので、それが臨場感をあげている。まるでホールにいるかのようなイマーシブ体験が堪能できた。松武秀樹氏もマリンバのダイナミックレンジが大きいので驚いたとコメントしていたが、消え入るような小さな音から深い響きまで配信では余す所なく伝わってきた。GENELECスピーカー群の音もモニターらしく高い再現性があり自然な音色で、ライブを聴いていても聴き疲れが少なかった。
「リモネール1900」自動演奏オルガンの演奏では楽器が動作する機械音までリアルに再現されていた。また「リモネール1900」は大型のため「ホール・オブ・ホールズ」の天井近くに配置されているのだが、再生音も正しく上方向から聞こえてきた。これは高さ方向の3層構造を特徴とするAuro-3Dの強みを「Live Extreme」の配信が正しく伝えていると言えるだろう。
海外でも評価を得た
ロスアンゼルスのライブビューイング会場はハリウッドの「Glen Glenn Sound」という施設で、大型の映像スクリーンと立体音響再現に優れたスタジオのようだ。
ハリウッドという場所柄、映画関係者が多く参加したそうだが、ロスアンゼルス側の参加者は「ストリーミング伝送がスムーズであり映像と演奏に集中することができた」とコメントしていた。マリンバのダイナミックレンジを余すところなく伝える音質が賞賛され、映像のプロからの画質に対する評価も高かったそうだ。また日本側の音響チームの仕事も高く評価されたということだ。このイベントは世界的に成功したと言って良いだろう。
ホール・オブ・ホールズ所蔵のアンティーク自動楽器は保存が難しく、清里高原の澄んだ空気の中で知識をもった学芸員の方たちがメンテナンスしなければならない。まさにホール・オブ・ホールズでしか聞くことができない音だった。それが配信を通じて全世界で聞くことができるようになったということはまさに画期的なことだろう。
当日の演奏は聞き流し配信はないが、一部の曲はアーカイブとして後日聞くことができるように検討中とのことだ。
最後に今回のイベントで自動演奏ピアノに興味を持たれた方には今月面白いイベントが東京の銀座で開催されることをお伝えしたい。
それはヤマハ銀座店で3月13日~28日に開催される“坂本龍一のピアノ展”だ。坂本龍一氏はレコーディングの際に氏が所有するヤマハのコンサートピアノ「CFIIIS-PSXG」を使用していたが、このピアノは自動演奏および記録機能付きピアノであり、氏はピアノの音をレコーディングすると同時にその演奏をMIDIデータにも記録していたそうだ。このイベントではその坂本龍一氏が実際に使用していたピアノを使用、さらに氏の演奏を実際に記録したデータを用いて自動演奏をするということだ。
つまり、世紀を継ぐ奇跡の競演でのラフマニノフやマスカーニのように坂本龍一氏の演奏が時を超えて眼前に再現されるようなイベントである。興味のある方は足を運んでみてはいかがだろうか。
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