新横浜ラーメン博物館のウラ話 第27回

ラー博にまつわるエトセトラ Vol.22

あの銘店をもう一度第15弾 佐野実氏の魂宿る ラーメン史に残る一杯 「支那そばや」

文●中野正博

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 みなさんこんにちは。2024年の3月に迎える30周年に向けて、これまで実施してきましたさまざまなプロジェクトが、どのように誕生したかというプロセスを、ご紹介していく「ラー博にまつわるエトセトラ」。

  2022年7月より、過去にご出店いただいた約40店舗の銘店を2年間かけて、3週間のリレー形式で出店していただく「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」と、2022年11月7日より、1994年のラー博開業時の8店舗(現在出店中の熊本「こむらさき」を除く)が、3ヶ月前後のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」がスタートしました。おかげさまで大変多くのお客様にお越しいただいております。

前回の記事はこちら: ラー博にまつわるエトセトラ Vol.21 あの銘店をもう一度第14弾 1968年創業、幻の塩ラーメンがラー博に復活 函館「マメさん」

過去の連載はこちら:新横浜ラーメン博物館のウラ話

 あの銘店をもう一度の第15弾は、支那そばやさんです。今回は創業の地、鵠沼時代の醤油らぁ麺を復刻します。出店期間は2023年4月25日(火)から5月15日(月)です。

「鵠沼 醤油らぁ麺」

 支那そばやを語るうえでまずは創業者である佐野実さんについて簡単にご紹介いたします。

創業者 佐野実さん

 「支那そばや」創業者・佐野実さんは1951(昭和26)年4月4日、神奈川県横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生誕しました。中学校・高校時代は、新聞配達等のアルバイトをして家庭を支えつつ小遣いを貯め、そのお金で好きだったラーメン店に通っていました。

 高校卒業後は、洋食のレストランに就職。それから17年間、洋食のコックとして店を渡り歩き、趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていました。食べるだけでなく、休みの日には自宅でラーメンを作るようになり、次第に独立してラーメン店を開きたいと思うようになったそうです。そして1986(昭和61)年8月6日、藤沢市鵠沼海岸に「支那そばや」を開店。ここから佐野氏のラーメン人生がスタートします。

鵠沼時代の支那そばや外観

 開店から2年間は苦戦が続いたものの、研究の成果が出て少しずつお客が増えてきました。

 食材探求の入口は鶏ガラでした。たまたま手に入った地鶏のガラでスープを取ったところ、これまでより深みのあるスープが出来たのです。そこで、いろいろな地鶏を試した中、当時(1988年頃)ベストだと思ったのが純系名古屋コーチンでした。その鶏舎はブロイラーのようにケージの中で育てるのではなく、大きな鳥小屋に数十羽の鳥を放し飼いし、餌から水まで吟味され、雑菌や病気を防ぐための予防設備も充実していました。

  その時、佐野氏は「こういう食材だけでラーメンを作ったら、安全で美味しいラーメンが作れる、そしてその食材は、生産現場を訪ね、自分の目で確かめたものだけを使いたい」と思ったのです。このことが「食材の鬼」の原点となりました。

 「食材の鬼」という異名を持つ佐野氏ですが、最初から食材を追究していたわけではありませんでした。どうすれば美味しくなるのか?という探求心が最終的に食材へと結びついていったのです。

食材探しの旅に出る佐野さん

 佐野氏は、全国のラーメン店を取材する中で、香り、滑らかさ、しなやかさなど、これまで経験したことのない麺と出合いました。何の粉を使っているか尋ねたところ、国産小麦を使用しているという事だったのですが、当時(1993年)ラーメン店で国産小麦を使うことはほとんどなかったため、カルチャーショックを受けたとのことです。

 取材から戻り国産小麦について調べると、北海道に「ハルユタカ」というパン用の強力粉があることがわかりました。製粉会社に交渉するも一度は断られてしまいましたが、あきらめることなく通い続け、ついにはハルユタカを分けてもらえることになりました。また、ラーメンの麺を作る上で欠かせない「かん水」にもこだわり、特有のアンモニア臭のない内モンゴル産のかん水を、現地から輸入して使用しました。

 そして1200万円を投資して製麺室を作り、400万円の製麺機を購入し、自家製麺に切り替えました。

 製麺の第一人者である佐野氏ですが、最初からうまくいったわけではなく、国産小麦の特性を把握しある程度納得のいく麺を作るまでに8年もかかったとのことです。

製麺をする佐野さん

 今回の出店では「支那そばや」の原点でもある、鵠沼時代のらぁ麺を、佐野氏が当時書き留めていたレシピをもとに3週間限定で復刻します。

鵠沼 醤油らぁ麺

 スープは当時のレシピをもとに、佐野氏が食材探求のきっかけとなった名古屋コーチンと蔵王土鶏(香鶏)の丸鶏、豚は当初から変わらず平田牧場のげんこつ、背ガラ等を使用。そのほか、ホタテ干し、羅臼昆布、数種の節類を使用します。下記は今回使用する厳選素材の一覧です。

 麺は佐野氏が初めて使用した北海道産小麦「ハルユタカ」を使用。

 この「ハルユタカ」は、当時病気に弱く激減した事から、2000年より後継品種の「春よ恋」が台頭します。それ以降、「春よ恋」を使用していますが、今回は復刻支那そばやの為だけに、当時取引していた江別製粉の協力のもと、「ハルユタカ」を主体として当時の麺を再現しました。

ハルユタカを使用した麺

 具材は山形県平田牧場「三元豚バークシャー」のバラチャーシュー。現在は穂先メンマですが、当時使用していた台湾産の短冊メンマ、九条ネギ、有明産の海苔を使用。

極上のチャーシュー

 次回は、銘店シリーズ第16弾 は逆輸入ラーメン第1弾「IKEMEN HOLLYWOOD」さん。

 お楽しみに!!

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文/中野正博

プロフィール
1974年生まれ。海外留学をきっかけに日本の食文化を海外に発信する仕事に就きたいと思い、1998年に新横浜ラーメン博物館に入社。日本の食文化としてのラーメンを世界に広げるべく、将来の夢は五大陸にラーメン博物館を立ち上げること。

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