設立の初期からソニーの独自性を発揮してきた
井深氏が記した設立趣意書の意図を具現化するように、設立後から、ソニーの独自性が発揮された技術や商品が生まれている。
たとえば、日本初となったテープレコーダーの開発は、GHQの関係者から、まだ貴重だった米国製テープレコーダーの音を聞いたことをきっかけに、開発を開始したものだ。それまで進めていたワイヤーレコーダーの開発を中断。「これだよ、我々のやるものは。これは、これからの商品だ。テープでやってみよう」と、井深氏が決断し、なにも資料がないところから、テープレコーダーの開発をスタートしたのだ。
テープのベースを何にするか、磁気材料にはなにを使うか、磁性粉はどう作るか、塗布するにはどうするか、そして、機器のモーターはどうするか、安定した回転を確保するにはどうするかといったことは、すべて試行錯誤の繰り返しによって解決していった。その結果、1950年に、日本初のテープレコーダー「G型」が発売されたのである。
補聴器ぐらいにしか使えなかったトランジスタをラジオに
一方、トランジスタの開発においては、米ウエスタン・エレクトリックから製造特許を受けて、それを利用しながら多くの投資をして、日本での生産を開始し、これがトランジスタラジオの商品化につながった。
実は、米ウエスタン・エレクトリックがソニーに特許を公開したのは、どこの会社とも技術提携をせず、アドバイスも受けずに、独力でテープを完成させたことに感心し、「そういう会社であれば、トランジスタの特許を使わせても大丈夫であろう」と判断したことが影響していたという。
ただ、当時の米ウエスタン・エレクトリックは、ソニーに対して、補聴器に市場性があることを提案していた。というのも、当時のトランジスタは、補聴器くらいにしか使えない、低い周波数のものしか作られていなかったからだ。
だが、井深氏はそれには目もくれず、「トランジスタを作るからには、広く誰もが買える大衆製品を狙わなくては意味がない。それは、ラジオだ。難しくても最初からラジオを狙おうじゃないか」とし、誰も挑んだことがない新たなモノづくりに取り組んでいった。
英語の辞書にも載った和製英語「ポケッタブル」
当時のトランジスタの技術水準をみれば、それをラジオに使うというのは、あまりにも大胆な発想だった。
「大丈夫だ、必ずラジオ用のものができるよ」――。井深氏はそう語り、技術者はその言葉を信じて挑戦していった。
トランジスタそのものに取り組む際に、井深氏は、テープレコーダーの開発、生産で様々な分野から集めた多くの技術者たちの能力を生かせるとの確信もあった。
「トランジスタの開発には、たくさんの技術屋が必要になるに違いない。研究者も必要になるだろう。それに、あの連中も新しいことに首を突っ込むのが大好きだ。これは打ってつけじゃないか」
こうしてソニーは、トランジスタを完成させ、トランジスタラジオの開発につなげていったのだ。
「人のやらないことをやる」というチャレンジ精神は、創業時からのものである。
ちなみに、1955年に完成したトランジスタラジオ「TR-55」は、「SONY」のロゴをつけた最初の製品でもあった。また、1957年に発売した世界最小のトランジスタラジオ「TR-63」は、「ポケッタブル」という和製英語を作り、それがいまでは英語の辞書にも載っているという文化まで創り出している。
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