教育現場で国交省肝いりの歩行者移動支援プロジェクト実証実験がスタート
国土交通省は障害者や高齢者、妊婦など誰でも移動しやすく暮らしやすい街づくりを目指し、近年バリアフリー・ナビプロジェクト(ICTを活用した歩行者移動支援の推進)に取り組んでいます。道路や公共施設、公衆トイレ、商業施設などで、車椅子でもスムーズに移動できる場所の情報や、逆にどこに移動を妨げるバリアがあるかといった情報をデータベース化し、民間業者によるスマートフォンアプリ開発等に活用してもらおうというプロジェクトです。
オープンデータとして民間企業に活用してもらうためにはデータの質と量の双方が求められるわけですが、このデータ収集に教育現場を活用しようとする試みが昨年から始まりました。2017年2月に閣議決定した「ユニバーサルデザイン2020行動計画」に基づき、文部科学省としても2020年から学校教育現場にて「心のバリアフリー」教育を推進していく方針を打ち出し、また、学習指導要領にも「心のバリアフリー」について記載されました。、今回の実証実験は、こうした教育分野でのバリアフリーに対する関心の高まりを受けて行なわれたものです。バリアフリーの実地教育をしながらアプリ開発のためのデータ収集も同時にでき、生徒・児童にとっては学ぶだけでなく、学びがそのまま社会に役立つ体験となります。
高校生が車椅子体験しながらバリア情報を収集
昨年10月末に行なわれた山形県立酒田光陵高校の実証実験では、ビジネス流通科の1クラスが数人のグループに分かれ、それぞれのグループに車椅子1台が充てがわれて、生徒が実際に車椅子での通行を体験しながらバリア情報を記録していく方法をとりました。
車椅子を押すのではなく、自分が車椅子に乗って操作することで、いかに世の中はバリアに満ちあふれているかが実感できる仕組み。車椅子が通行するためには1m以上の幅の歩道が必要になりますが、1mに満たない歩道があったり、歩道に段差や傾斜があって車椅子で上るのに困難、そもそも歩道自体がなかったりとバリアだらけ。公園の公衆トイレはドアを手で手前に引くタイプで車椅子では開けられない、個室の中は狭くて車椅子は入れない。スーパーマーケットでも入り口に段差があったり、自動ドアでなかったり、多層階なのにエレベーターがなかったり、エレベーターがあっても大量の買い物カートが道を塞いで車椅子が通りづらかったりと、バリアだらけ。こうした情報を生徒たちは記録し、学校に戻ってグループで発見した課題を話し合い、国交省のデータベースに入力、最後にグループごとに発見した課題を発表するという、事前オリエンテーションを含めると2日間にわたる授業を体験しています。
交代で車椅子に乗ったり押したりを体験
酒田光陵高校ビジネス流通科2年の讃岐颯月さんは、今回初めて車椅子体験した感想を次のように話します。
「道路から公園に入る段差が大きく、車椅子を持ち上げないと入れませんでした。1人ではとても無理だし、介助者がいても難しいでしょう。公園のトイレは前開きドアで、中も狭くて車椅子での利用自体が無理。その後にスーパーマーケットに行ったのですが、入り口がタッチタイプの自動ドアで、車椅子のままドアのセンサーに触れるのに苦労しました。多目的トイレは広くて利用しやすいのですが、トイレに行く通路にカプセルトイがたくさん並んでおり、車椅子では他の歩行者とすれ違うのにちょっと苦労したりしました。これまで、何の不都合もなく生活してきましたけど、車椅子に乗ってみて、こんなに使いづらいのかと驚きました。健常者では何でもない小さな段差でも車椅子では乗り越えるのが大変。またこの地方では冬に雪が降って路面が凍結するので、ちょっとした傾斜でも車椅子では登れないし、滑って危なくなりそう。さらに、視点が低いので、誘導サインが見えなかったり、手が届かなかったりと様々な不便がありました。健常者目線のバリアフリーではなく、実際の利用者の目線に立ったバリフリーが必要だと強く感じました」
授業の指導にあたった同校の加藤吉絵教諭も、今回の授業に大きな意義を感じたと言います。
「視線を障害者に合わせるだけで町中にはこんなに課題があるのかと、生徒たちは皆驚いていました。体験するまでは、“車椅子って楽そうだな”と思っていた生徒もいたようですが、終わってみると腕が筋肉痛で動かず、こんなに大変なことなのだなと身にしみて理解していました。車道を車椅子で通行していると車の運転手が邪魔そうにしていたり、他の歩行者にもジロジロ見られて視線が痛いと言っていた生徒もおり、心のバリアも強く感じたようです。この体験を通じて生徒たちの視野が広がったのはとても意義あること。現代の生徒たちは、社会のため、誰かのために何かを為すことで自分の存在価値を高めたいという意識を持っています。今回の収集したデータが行政だけでなく観光や商品開発などに生かされれば、より有意義な授業になるでしょう」
車椅子体験により心のバリアフリーも実現
酒田光陵高校に続き、2021年12月には神戸市立稗田小学校でも5年生が同様の授業を体験しました。稗田小の授業では、児童たちに、実際に車椅子を使用しているNPO法人アイコラボレーション神戸 板垣宏明さんが同行し、車椅子ユーザーの視点で都度アドバイスを与えるという形式をとりました。
神戸といえば坂の町。東西は平坦な道が多いものの、南北の道路はほぼ坂です。さらに小学校は都会の真ん中に位置しているため、道路は狭く、車通りも激しい。板垣さんは当日の様子を次のように語ります。
「神戸の場合、歩道と車道に明確な区分けがかなったり、ガードレールがなかったり、歩道に電柱が食い込んでいたりと、車椅子にとっては通りづらい箇所が多々あります。私と一緒に歩くことで、この古い町並みがいかにバリアだらけであるかが分かり、児童のみなさんは驚いていました。スーパーマーケットをはじめとした商業施設はどこも狭く、車椅子で通行するは困難な店舗ばかり。駅や児童館などの公共施設も古いものが多く、まだまだバリアフリーが浸透していません。そうした課題に児童のみなさんが興味を示していたのが印象的でした。移動中も、段差の越え方や雨の日の移動方法、家の中での移動方法など、私に対してひっきりなしに質問してくるのが嬉しかった。われわれとしては多くの人に障害に対して興味を持って欲しいのです。知らないことは、イコール興味がないことで、それでは何も変われません。今回のように興味を持ってどんどん疑問をぶつけてきてくれる機会が持てたのは、とても良いことです。こうした取り組みはもっと広がってほしいと切に願います」
稗田小の授業では車椅子ユーザーの板垣さんが小学生たちの実地調査に同行し、当事者目線でアドバイスをしました。
板垣さんも、物理的なバリアフリーだけでなく、心のバリアフリーも重要だと説きます。
「町中を車椅子で移動していると、多くの視線にさらされます。それが好奇の目のなのか、何かしらサポートしたいけど言い出せないといった態度なのか、日本人は口に出さないので分からない。多くの人は普段、障害者と接する機会がないので、どうしたら良いのか分からないと思います。稗田小でのプログラムが全国に広がれば、こうした見えない心のバリアも解消され、健常者、障害者双方にとってより住みよい街づくりができるのではないかと考えます」
今回の実証実験では、生徒や児童が実際に身近なバリアを見つけるだけでなく、集めた情報をデータベースに入力することも行ないました。稗田小学校によると、「入力のためのツールは児童でも問題なく扱え、すぐに理解して作業を行なえた。ただ調査してまとめるよりも、他の人が見てくれる、バリアフリーの地図になる、ということでやる気も高まり意欲的に参加できていた。心のバリアフリーとツールへの入力を共に授業で実施できたことで、子どもたちはより理解が高まったと思われる」とのことでした。
これらの実証実験の結果を踏まえて今後、政府は教育特定啓発事業のガイドラインに学校の授業でのバリアフリー情報の収集についても盛り込む考えです。酒田光陵高校、稗田小学校の関係者がともに、「今回の授業を1回限りのイベントにしたくない。毎年行なわれる伝統授業になることで、学校が地域社会に貢献でき、真の意味での生きた授業になる」と口にしていましたように、この取り組みを継続・拡大することにより、日本全国で物理的・心理的両面でのバリアフリーの実現に近づいていくものと思われます。