全米で約400社弱が入居でラボは満員 米LabCentralがライフサイエンス系スタートアップに人気の理由
LabCentral創業者兼プレジデント ヨハンネス・フルハーフ(Dr. Johannes Fruehauf)氏インタビュー
この記事は、特許庁の知財とスタートアップに関するコミュニティサイト「IP BASE」(外部リンクhttps://ipbase.go.jp/)に掲載されている記事の転載です。
米国のライフサイエンス系スタートアップから絶大な人気を誇り、入居希望者が絶えないインキュベータースペースのLab Central。自身も医師であるシリアルアントレプレナーの創業者、ヨハンネス・フルハーフ氏は15年以上、バイオテクノロジー領域でさらに上を目指す起業家たちを支えてきた。最新設備に留まらないLabCentralの魅力や設立の背景などについて、米ボストン在住の株式会社ファストトラックイニシアティブのバイスプレジデントである原田泰氏が話を聞いた。
フランクフルト大学を卒業、ハイデルベルク大学で博士号を取得。医師として医療に従事したのち、バイオテクノロジー分野のシリアルアントレプレナーとして15年以上、同分野のスタートアップを支援してきた。現在は、LabCentralの創業者兼プレジデント、Cambridge BioLabsおよびViThera PharmaのCEO、Cequent Pharmaceuticalsの共同創業者、Mission BioCapitalの創業者兼ゼネラルパートナーなどを勤め、同分野のスタートアップ文化やエコシステムの養成に取り組む。
東京大学大学院卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し数々の戦略立案案件に従事。ジュニアマネージャーとして、製薬企業などのヘルスケア企業に対して新規事業立案・戦略立案のプロジェクトを牽引。その後、米国のシカゴ大学に留学。また、ライフサイエンス領域で数多くのユニコーン企業を生み出したARCH Venture Partnersにおいて投資コンサルタントとして創薬技術の投資評価を実施。またアクセラレーションファンドであるChicago Innovation Fundにおいても投資アソシエイトとして大学発スタートアップのへ投資を支援。武田薬品工業のボストンオフィスでは事業開発インターン・コンサルタントとして、がん、再生医療領域の事業開発活動に関与。2019年より株式会社ファストトラックイニシアティブに参画。東京大学工学系研究科化学生命工学専攻修士。シカゴ大学大学院経営学修士(MBA)。
インキュベータースペースで研究畑のスタートアップを支援
バイオテクノロジー領域で社会貢献と事業成功を目指すスタートアップが、こぞって押し寄せるインキュベータースペースがある。それが、米国のLab Centralだ。創業者でプレジデントのヨハンネス・フルハーフ氏は米ボストンで起業したとき、研究畑しか知らない大学院生やポスドクにとってビジネスの世界はあまりに未知の部分が多く、苦労したという。
「イノベーションの担い手が起業で成功すれば、本人たちの利益だけでなく、より良い医薬品が開発、提供されることで社会全体にも恩恵がある」。そう考えた同氏は、巡り巡って全員の幸せにつながることを目標にインキュベータースペースを始めたという。
2010年、フルハーフ氏はマサチューセッツ州ケンブリッジのケンドール・スクエアにBioLabsを創業し、Ipsen Innovation Center BioLabsやTufts Launchpad | BioLabsなど、アーリーステージのアントレプレナーや研究者のためのコラボレーションスペースを次々と設立。2013年には、マサチューセッツ州の助成金を活かした非営利組織Lab Centralを設立し、マサチューセッツ州のスタートアップを育てるホームベースを運営。このほか、投資会社BioInnovation Capital(現Mission BioCapital)を創業。両ラボの入居者への資金調達を主に行なっている。
現在、BioLabsとLab Centralを合わせると全米10ヵ所以上にインキュベータースペースがあり、およそ375社のスタートアップが入居するという。「ボストンのほか、BioLabsはニューヨークやロサンゼルス、サンディエゴ、フィラデルフィアなどにも拠点がある。また米国以外でも、大手製薬会社の仏Servierと提携してパリ郊外に開設したイノベーションセンターがあるほか、ドイツのハイデルベルグにも建設が進んでいる」(フルハーフ氏)
ただの場所貸しではない、イノベーションを起こす空間
このようなインキュベーター事業は、さまざまな大学や製薬会社が以前から取り組んでいるが、成功例が少ないのが現状だ。「ボストンではバイオジェンやファイザーがスペースを運営していたが、うまく回らなくて数年で閉鎖した。大学付属のインキュベーションセンターも、例外はあるものの、大半は際立った成功事例を出せていない」とフルハーフ氏は述べる。
一方のBioLabsとLab Centralは、米国の生命科学分野では、シードおよびシリーズAの投資ラウンドにあるスタートアップの実に2割以上を輩出している。その理由を、「私たちがやっているのは不動産業ではなく、イノベーション事業だから」とフルハーフ氏は分析する。
フルハーフ氏によると、多くのインキュベーターは不動産業者が営んでおり、1平方メートルあたりの賃料で稼ぎ、入居者が支払い続ける限り利益になるので契約を更新する。だが、Lab Centralではどんなに成功しているスタートアップでも契約期間は2年までで更新はしない。
「私たちはイノベーションを発信し、企業をより成長させながら社会に貢献することが目標。たとえば2020年において、Lab Centralのスタートアップが実施した臨床試験は46件で、1300人以上が治験に参加した。社会に大きな価値を提供できるイノベーションは、経済的な成功につながることを私は経験則で知っている」(フルハーフ氏)
何よりも、優秀な人たちと一緒に仕事ができることに喜びを覚えるとフルハーフ氏は言う。
「誰もがスタートアップとして成功できる、いわば売り手の民主化を目指しているのかと言われこともあるが、そうではない。私たちが興味あるのは、秀でたものがない平凡な企業ではない。優れたアイデアにあふれ、科学に情熱を持ち、己のすべてを捧げられる科学者たちだ。そんな彼らが自らのイノベーションでより高みを目指すための基盤を提供している。
それは場所や設備を貸すだけではなく、製薬会社や投資会社を含むバイオテクノロジーのエコシステムへアクセスし、投資事業やビジネス開発などの考え方に触れ、人脈も構築できる場も提供する。強みを持っているチームがさらなる成功のチャンスをつかむための仕掛けがそこにはある。これが、他のインキュベーターとの根本的な違いだ」(フルハーフ氏)
モダリティーの多様化にも対応
「ラボに入居するスタートアップの多くは、最近までMITやハーバードで最新設備の整った研究室で最先端科学を研究していた若者だ。特に最近はモダリティー(治療手段)の多様化が進み、ゲノムシーケンシングやシングルセルシーケンシングといった解析方法も多様化している。こうしたニーズに応えるため、私たちは最先端であり続けるため、電子顕微鏡や質量分析装置、フローサイトメトリーなどを導入し、装置のアップグレードに目を配っている」とフルハーフ氏は応える。
こうした設備の充実は、装置を製造するパートナー企業の協力で実現している部分もある。「BioLabsやLab Centralの入居者はパートナー企業にとっての潜在顧客。装置提供が最高のショーケースであることを知っている」。そう述べたフルハーフ氏は、ハイデルベルグの新設ラボではあるパートナー企業が200万ドル以上相当の実験装置を無償提供してくれたと明かす。
「科学の世界はものすごいスピードで進歩する。Lab Centralを設立したころは、CRISPR技術はメインストリームですらなかったが、今ではほとんどのバイオテクノロジー企業がこぞって採用している。そうした進歩に追いつき対応するのは大変だが、繰り返し同じことを続けるよりも刺激的で面白い」(フルハーフ氏)
刺激を請け合う仲間、広がる人脈
BioLabsやLabCentralの魅力は、設備面だけではない。バイオテクノロジー業界の関係者と接触する機会が多く、人脈の構築がしやすい環境である点も高く評価されている。たとえば同ラボではB2Cラウンドテーブルや講演会などを定期的に開催。また、パートナーである大手製薬会社や事業開発スペシャリスト、その他専門家とのミートアップも随時実施している。
切磋琢磨する仲間のコミュニティーがあることも、入居者のアドバンテージだ。アーリーステージからエクスパンションステージへステップアップするために必要なスキルや知識、投資会社との交渉術を先輩に学べる。
ビジネスで成功するには、企業経営についても学ぶ必要がある。投資家や潜在的なパートナー企業、製薬会社など、さまざまなステークホルダーと対等に対話し、交渉するスキルも身につけなければならない。同ラボは、一番小さいところでも15社前後のスタートアップが入居する。ラボの中心にはメイン通りのような廊下が走り、ガラス張りの研究室で自分とは少し違う領域の知識があり、経営などに関する経験値も違う仲間たちが研究開発に没頭しているのが見える。廊下ですれ違い、挨拶することで会話が始まることもある。気付けばコラボレーションする話になるかもしれない。
「たとえばLabCentralならばCEOが65人もいるので、たとえコミュニケーションが苦手であっても何人かと知り合えるはず。それだけでも、大学の研究室時代と比べれば何倍もの人脈になる。私は『摩擦を減らして、接触を増やす』と表現しているが、何十人、何百人単位のコミュニティーでのコミュニケーションの機会を創りたいと考えている。そうした彼らが巻き起こすインパクトは、彼ら自身の成功に加えて、社会への大きな恩恵となるはずだ」(フルハーフ氏)
残念ながら現在どこのラボもほぼ満席状態で、入居が非常に難しい状況と打ち明けるフルハーフ氏。だが、もちろんチャンスはある。入居審査に向けて、フルハーフ氏はこうアドバイスする。「入居審査ではチームの能力のほか、課題に対する理解度や解決のための手段などを見ている。個人的には、ピッチ資料は10枚から12枚程度に抑えて、審査担当者との質疑応答の時間をたっぷり設けるほうがいいと思う。これはVCへのプレゼンでも同様だ。コツは、プレゼン経験者に聞けばいい。たとえば同じVCにプレゼン経験があり、資金調達に成功した人に、相手が何を重視していたかを聞くなどだ」
特許の重要性と技術移転の課題
ラボへの入居審査やMission BioCapitalの投資時に、特許に関しても厳しく評価しているという。「特許を持っておらず、製薬の権利がない場合は入居審査を落とすことになる」と同氏は述べる。
「強い特許は成功を約束する。特許は防御になると同時に、攻撃力にもなる。回避されてしまうような弱い特許を作らないよう、良い特許事務所や弁理士とともに出願申請してほしい」(フルハーフ氏)
また、米国では学生または教員時代に発明したものはすべて大学組織もしくは研究所に権利が譲渡され、利用する場合は特許を管理する技術移転機関とライセンス契約する必要がある。これが起業のボトルネックになることもあるとフルハーフ氏は話す。
「技術移転に関わる手続きは複雑で大変だ。しかも、特許の技術移転および商用化の際に技術移転機関が高額なライセンス費用を設定するケースがある。あまりに高額すぎると、投資対効果のため投資会社から見放される可能性が高い。そして、そうした事実を研究者たちは知らない。せめて費用関連の情報を公式ウェブサイトで公開するなど、技術移転機関は透明性に取り組んでほしい」
なお、フルハーフ氏たちも昨今の投資会社のトレンドと同様に、VCであるMisson BioCapitalでスタートアップ創出も手がけており、特許管理もしているという。ARase Therapeutics、Arclight Therapeutics、Jupiter Bioventures、Telo Therapeuticsといった企業の場合、共同設立者として関わっている。そのほかの投資先では、PandionやTidalなどが著名だ。
次なる新たな取り組み:LabCentral 238
多数の展開が見受けられるが、あくまでフルハーフ氏が重視するのはスタートアップの成功とコミュニティーやエコシステムの円熟だという。
そんな中で始まったのが、「LabCentral 238」の立ち上げだ。遺伝子治療や細胞治療などの高度なバイオ製品の研究開発にフォーカスしたラボで、同領域のスタートアップが増えたことを受けて3~4年前から構想が始まり、2年をかけて新設された。
「特にバイオ製品はGMP(Good Manufacturing Practice)に則った製造が求められ、通常は受託製造開発業者と実施するが、その契約は大抵は非常に高額で要求もかなり厳しく、小さな企業よりも大企業を好む傾向が強い。どんなに優秀なスタートアップも契約で難航することがあり、次のステップに進めないこともある」(フルハーフ氏)
LabCentral 238では、高度な制御機能を持つバイオリアクターなど、高度なバイオ製品で必須の実験装置を導入。製法開発やFDA(米国食品医薬品局)への申請・登録に必要な分析評価を実施できる環境を整えた。現段階では受託製造開発業者との契約は自力で取得する必要があるが、いずれは同機能もカバーできるようにしたいとフルハーフ氏は展望を語る。
2021年11月のフェーズ1では、6社が入居。2022年夏のフェーズ2では10社ほどが入居予定だという。オープン前から入居希望者が殺到し、募集枠を一気に超えてしまったと明かすフルハーフ氏。入居予定のスタートアップはすでにかなりの資金調達を成功させており、今後の成長が楽しみと顔をほころばせる。
日本での事業展開については現在、チームと活発な議論を交わしており、前向きに検討中という。
「日本には優秀な科学者も多く、ポテンシャルが高いと感じている。東京、京都、筑波など、候補地も挙がっている。近い将来、実現できることを願っている」