成功の背景に積み重なるボツ案の数々
伊佐:温泉IoTにたどり着くまでに、いくつものボツ案があったと聞きました。
白根:今すぐに思い出すだけで7つくらいありますね。PoCまでやってボツにしたものもあれば、提案段階でボツになったもの、提案書にもならずにボツになったものもあります。
山本 春香氏(以下、山本):ボツになったモノの中には、「ビーコンで清掃業務を見える化しよう」というものがありました。スピードとクオリティにすぐれたスタッフさんの動きをみんなで共有できれば、効率のいい動き方の“型”を作れるのではないかと考えたのです。
しかし、1人のスタッフの動きをトレースするためには、客室ごとに300個のビーコンが必要とわかりました。室外と行き来することを考えると、客室だけではなく廊下やリネン室にもビーコンが必要です。現実的ではないので、これはボツになりました。
白根:「大浴場の清掃タイミングを把握したい」という話もありましたね。スタッフが少なくて、大浴場が離れた場所にあるような施設では、清掃のタイミングをはかるのが難しいのです。清掃に行ってみたらまだ汚れていなかったり、逆にタイミングを逃してしまいタオルが補充されないまま放置されていたり。
これを解決するためにセンサーを使って大浴場の状況を把握できないかという話だったのですが、必要なセンサーの見積を出したみたところかなりの金額になることがわかりました。メリットに対して投資額が見合わず、これもボツになりました。
伊佐:驚いたのですが、みなさん失敗をずいぶん明るく語りますね(笑)
久本:星野リゾートの組織文化が背景にあるのかもしれませんね。フラットな組織で対等な議論ができますし、「こうすべき」というガイドラインをつくるのではなく、「これはやってはいけない」というガードレールをつくるという文化があります。
情報システムチームもそんな文化の中で色々なチャレンジと失敗を経験しつつ成長してきました。2015年には4名だったチームが、2020年には31名になっています。星野リゾートの文化や現場知識を知っている人材は社内異動で、高い専門スキルを持っている人材はキャリア採用の強化で、人材を集めました。
かつては「ITは私たちの仕事ではない、専門家に任せるべき」と言っていた経営層も、DXのために社内にIT人材が必要だとわかり、今はITの目標を一緒に語るようになっています。
伊佐:意志決定、スキル、価値観がセットになっているんですね。
情報システムグループと現場との協力でIoT活用はさらに進む
伊佐:いま取り組んでいることについても、聞かせていただけますか?
白根:温泉IoTが実現したことで、混雑状況が顧客満足度の項目に加わりました。今は精度の向上や機能の強化を進めています。たとえば一定時間データが来ない状況が続いたら、開発者のslackに知らせるという機器のモニタリング機能を追加しました。
また、並んで出入りするなどセンサーを通り抜けてしまう人に対応できるよう、現場スタッフが目視でカウントした人数でデータを上書きできるようにしました。他にも設置場所の工夫や誤差情報を蓄積するなどの改善を積み重ね、4週間程度で精度を向上できました。
伊佐:IT部門の対応を見て、言えば改善してくれるとわかったら、現場の人も手伝ってくれるようになりそうですね。
白根:そうですね。何かあれば現場スタッフからすぐに連絡をもらえるようになりました。
伊佐:温泉IoTに続く、次の一手はもう見えているのでしょうか?
杉山:新型コロナウイルスの蔓延が落ち着いても、混雑状況の見える化は続けたいと現場から声が上がっています。今後開設する施設では、温泉IoTを前提に展開していきます。新しく作る施設ではセンサーをはじめから壁に埋め込み、目立たない形で設置できるよう機器を改良しています。混雑状況のデータを蓄積して、混雑予測も表示できるようにしたいと考えています。
混雑状況のデータは、ほかのことにも活かされます。実は、一度ボツになった清掃タイミングのお知らせ機能が復活しそうなんです。入浴した人数のデータから、「何人入力したからそろそろ清掃しよう」という通知ができるようになる予定です。
伊佐:他にもkintone関連で新しいチャレンジがあると聞いたのですが、どのようなものでしょうか?
山本:2020年7月に開業した星のや 沖縄からのリクエストで、冷蔵庫、冷凍庫の温度モニタリングシステムの開発に着手しています。HACCP対応のためには1日2回、冷蔵庫と冷凍庫の温度チェックが必要です。星のや 沖縄にはキッチンが3ヵ所あり、冷蔵庫冷凍庫は合わせて50台以上あります。距離も1キロほど離れていて、人力で1日2回の温度チェックを行なうのは現実的ではありません。センサーを設置して自動計測、自動記録できるようにします。
さらに、せっかく計測できるようになるのだから、リアルタイムに計測して異常検知できる仕組みにしようという話になっています。異常が発生して食材廃棄するのではなく、リアルタイムに異常を検知し、食材を守れるようにします。対応記録から報告書を自動作成する機能も用意します。
システム構成としては、バックエンドをジョイゾーさんにAWSで構築してもらい、管理画面はkintoneで開発します。現場管理者は温度設定や異常と判定するしきい値の設定、異常温度対応報告などをkintoneで管理します。異常発生時には、現場スタッフが持つタブレット端末でアラートを受け取ります。
伊佐:最後に、これからkintoneを使ってチャレンジしようとしているみなさんに、久本さんからアドバイスをいただけますか?
久本:キーワードはDXですね。DXとは、業務をIT化するだけではありません。お客様の体験、スタッフの業務体験をデジタライゼーションしていくことです。それを推進するためには、自分たちでITを使いこなしていくことが大事だと考えています。特にIoTは発達途上にある技術なので、すぐに効果が出るものではなく試行錯誤しながら進めなければなりません。外部に委託していてはスピード感を持てないので、自分たちで手を動かしていく必要があるでしょう。
伊佐:ありがとうございました!