お気に入りの遊具
2歳児くんの保護者をしています盛田諒ですこんにちは。あっというまに年末になりました。一年を振り返ると子どもについての記憶しかありません。あとから見れば幸せな時期なんですかね。しんどいときは地獄のようにしんどく、どうしたらいいかと悩んできた一年でもあったのですが。
地獄だったのは、高熱を出して死にかけながら一人で子どものお世話をしたときでした。子どもに何もなかったからいいものの、もし子どもを巻き込む事故を起こしていたらと怖くなります。以前、児童虐待事件が報じられたときに「育てられないなら子どもを生むな」とコメントがついていたことがありましたが、同じように言われたかと思うといたたまれません。実際子どもが生まれてくるまでは子育てがこんなに疲れるものとは思わなかったですしね……。
●物理的援助と精神的援助
親がしんどくなることで子どもが不幸になることを防ぐにはどうすればいいのかということで、初めに考えたのは家事育児の人手を増やすことでした。
保育室に預けている時点で人手を借りているわけだから、もっと気軽にファミリーサポートやベビーシッターの手を借りられるようになっていいはずじゃないかと考えました。子どもや親が病気のときに頼りやすい病院が増えてほしいと自治体に要望を伝えたこともありました。
ただ手を借りるにはお金などの条件もあり、助成や補助があるにしても地域によって差がつきます。法律や制度が整うのにも時間がかかります。民間の手ごろなサービスもまだ普及段階。自分たち世代はもうひとつですが、次世代はベストな解決策に近づきそうだと感じました。
次に考えたのは育児の悩みを話せる場所をもつことでした。
育休を取ったときも感じたのですが、育児のつらさは自分一人で問題を抱える孤独感が大きいんですね。子どもが風邪をひいたときの大変さについてお隣さんと話せたときは肩から重荷がおりた感がありました。自分の母がやっていた井戸端会議には意味があったんだなあと感じたものです。
とはいえ育児については、隣近所やママ友のように関係が近すぎると話しづらい部分もあります(そもそも男の私は参加しづらい)。地域の相談窓口は相談までのハードルが高く、結局「がんばりましょう」という結論で終わってしまうこともあり、専門家の支援にも限界がありました。
そこで思ったのは、子育てについての悩みを抱えた人が集まる自助グループがあったらいいのではないかということ。端的に言えば、仲間を作ったらどうかということでした。
依存症などの当事者たちが運営している自助グループの存在を知ったことがきっかけのひとつ。たまたま観ていたドラマ「エレメンタリー」で、薬物依存症のホームズがメンバーたちと支えあう姿に感化され、子育てでも支えあう場があったらいいのではと思ったのですね。
自助グループは基本的に依存症などの病気や障害による困難をもった人たちが集まることがほとんどです。国内では実際どんな支え合いの活動があるのだろうと思い、自助活動の例を調べていく中で目がとまったのは「浦河べてるの家」という場所でした。
●べてるの家のミーティング
べてるの家は北海道浦河町にある、精神障害などをかかえた当事者の地域活動拠点です。医学書院の『べてるの家の「非」援助論』(2002年)を読んでみたところ、べてるでやっていることの根っこはシンプルに苦労を言葉にしてわかちあうということでした。
べてるの家に集まっている人たちはいろいろな苦労をして精神科の病気にかかっていますが、その苦労や病気について話すことが活動の中心になっています。苦労は等しく「いい苦労」として、病名はただの医学的な事実ではなく一人の人間が生きた証として、肯定的に受け入れられます。
"非常手段ともいうべき「病気」という逃げ場から抜け出て、「具体的な暮らしの悩み」として問題を現実化したほうがいい。それを仲間どうしで共有しあい、その問題を生きぬくことを選択したほうがじつは生きやすい──べてるが学んできたのはこのことである。こうして私たちは、「誰もが、自分の悩みや苦労を担う主人公になる」という伝統をはぐくんできた。だから、苦労があればあるほどみんなでこう言う。「それで順調!」と”(『べてるの家の「非」援助論』)
障害や病気とは違いますが、子育てもほかの人が経験できない多くの苦労からできています。子が寝なくて死にかけた、ふらふらしながら子どもと遊んだ、それをいい苦労ですね、いい地獄でしたねと言いあえる関係ができたら、しんどい日々を生き抜く力がもらえそうな気がしました。
べてるの家ではソーシャルスキルトレーニング(社会生活技能訓練)の一環としてミーティングを開き、苦労についての話をしています。やってみたいと思ったものの、いきなり地元で「子育てに困っている親の会」を開くのも何なので、まずは夫婦間でミーティングを開くことにしました。
振り返ってみると、育休を取ったときも妻と「よかった点・大変だった点」を振り返る会を開いたことで状況を整理できたことがあり、それなりに効果が期待できそうです。あのときも批判的にならず、具体的にエピソードを話せたのがよかったのかもしれません。
●Do the next right thing
結局、子育てのつらさは家庭問題の一つでしかありません。生活地域・就労状況・経済状態みたいな社会的問題と、親との不仲・夫婦仲の冷えこみ・中年の危機みたいな個人的問題を全部ぶちこんだ問題のミックスジュースみたいなものが問題の本質で、共働き育児でたまったストレスがジュースをコップからあふれさせることがしんどさにつながっているところがあると思います。
それはもう子育てというより自分という存在そのもので、子育て支援で解決できる問題は解決すべきですが、そうではない部分は結局他人との関わりの中で自分で折り合いをつけるしかありません。その意味でも、ミーティングのようなコミュニケーションは意味をもちそうな気がしています。
どこかの代理店がステマをさせたことでケチがついた「アナと雪の女王2」に、「Do the next right thing」という台詞があります。アメリカ人がよく言う「Do the right thing」(正しいことをする)という言葉をもじった台詞で、劇中では、闇に沈み、何が正しいかわからなくなり、進む道が見えなくなっても、次にできることをしようという意味で使われます。現代社会に対して向けられた素晴らしい台詞だと思いますが、これは子育てでも同じことじゃないかと思いました。
何が正しいのかがわからなくても、希望をもち、失敗を怖れず、できることをやっていくこと。人の子育てを罰したりうらやむのではなく、自分の失敗や成功を人に伝え、苦労した人に等しく「大変でしたね」と言っていくこと。そこからなんじゃないかと思いました。しんどいことを根本的に解決するアイデアはまだ見つかっていませんが、自分の経験や苦労を分かち合う方法は増やしていけたらいいなと思いました。自分でもまだよくわかっていないのですが、きっとすべてはいい苦労なんじゃないかと思います。長くなりましたが、今年も一年、子育てお疲れさまでした。
書いた人──盛田 諒(Ryo Morita)
1983年生まれ。2歳児くんの保護者です。Facebookでおたより募集中。
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