360度コンテンツの民主化を目指すリコーがベンチャーとの協業で得たもの
新しいビジネスを動かすためには新しい文化が必要
360度画像を手軽に撮影できる「THETA」のビジネスを拡げるべく、リコーがベンチャーとの共同事業を展開している。ベンチャーのメンバーの一部をフルコミットで受け入れたリコー側の狙いと半年間で見えてきたものをリコー Smart Vision事業本部で新規事業開発を手がける稲葉章朗氏に聞いた。
個性の強いTHETAを使ったサービスビジネスを拡げる
リコーのSmart Vision事業本部は360度画像を撮影できるTHETAやGRシリーズなどカメラを中心としたビジネス全体を担当する事業部だ。コピー機や複合機とともに同社を支えてきたカメラ事業だが、近年はスマホの伸張による市場縮小にさらされている。そのため個性の強いデバイスと画像を活かしたサービスをセットにし、高収益なビジネスを作り上げていくのがSV事業本部の戦略になるという。
こうした事業戦略を軸にして、THETA発売の翌年に立ち上げたのが、360度コンテンツをWebブラウザ上から制作できる「THETA360.biz」だ。従来、外部業者が平面画像を継ぎ接ぎして作っていた360度コンテンツを、THETAの画像を使って簡単に作れるのがTHETA 360.biz。「THETAって特殊なカメラって思われがちなんですけど、要は全部をキャプチャしているので、全天球画像だけでなく、どこか切り取って静止画として使ってもいい。動画も同じ。THETAで撮ってしまえば、あとからいくらでも加工できるんです」(稲葉氏)とのことで、セルフサービスによる360度コンテンツの世界を拡げて行きたいというのが狙いだ。
重要なのは、THETAというハードウェアをデファクトにして、サービスビジネスでも収益をとっていくこと。そのため、ハイタッチ営業で大手企業に採用してもらうのではなく、一般ユーザーが360度コンテンツを普通にアップロードし、利用する文化が必要になると考えた 。「レベルの低いコンテンツだったら、アップしてもかえって逆効果。だから、量だけじゃなく、質も重要なんです。その点、カメラメーカーとして光学技術をもっているわれわれは品質を担保できます」と稲葉氏はアピールする。
実際、時間と労力をかけて耕してきた法人向け360度コンテンツの市場も、少しずつ拡がってきたと感じている。最近、手応えを感じるのが不動産業界。物件の様子をまるごと見せられるということで、CHINTAIやアットホームなどのポータルサイトでも360度画像への対応が拡がっており、不動産会社がTHETAで部屋の中を撮影するというDIY文化が徐々に根付き始めているという。
しかし、THETA 360.bizもサービス自体は認知されたものの、これをビジネスとしてスケールさせるノウハウがリコーにはなかった。既存のコピー機や複合機に比べて安価なサービスビジネスを、異なるユーザー層をターゲットにスケールさせる必要があった。360度画像の分野において、このビジネスノウハウを持っていたのが、今回提携したLIFE STYLEだったという。
なぜリコーはベンチャーを中に取り込んだのか?
今回リコーが業務提携したLIFE STYLEは、Googleストリートビューのコンテンツ作成をメインに展開するベンチャー企業。稲葉氏は、「LIFE STYLEさんは360度コンテンツを作成するだけでなく、ノウハウを蓄積し、撮影パートナーを育てていくところに強みを持っていた。そのノウハウをもって、リコーといっしょにスケールさせる仕組みを作ってほしいとお願いした」と語る。
もちろん、LIFE STYLEから見ればリコーは既存のビジネスを侵食する競合であり、THETA 360.bizにディスラプト(破壊)される側の業者だったとも言える。しかし、LIFE STYLEはリコーとの業務提携の道を選び、360度コンテンツの事業拡大の立ち上げを担うことになった。「LIFE STYLEの経営陣も、360度コンテンツ制作がこれからセルフサービス化していくという市場の流れを確実に察知し、『世の中を360度コンテンツだらけにする』というミッションのために、われわれと手を組んでくれた」(稲葉氏)という。
業務提携を受け、現在LIFE STYLEのメンバーがリコーのSV事業部に出向し、フルコミットしている。ベンチャーをチームごと社内に取り込み、事業を興すというスキームは、もちろんリコーでも初めて。とはいえ、大企業とベンチャーのカルチャーのぶつかり方はすごかった。実際、新しい組織にカルチャーフィットせずに辞めたメンバーもいたという。
ベンチャーであるLIFE STYLEから見たギャップはスピード感だった。市場での生き残りをかけて会社同士が立ち上げたプロジェクトなので、短期間にある程度の成果を上げなければならない。しかし、大企業ならではのスピードの遅さや就業スタイルが足を引っ張ってしまう。日本のオープンイノベーションやベンチャー協業でありがちな風景だ。LIFE STYLEのメンバーからは、「物事が決まるスピードが遅すぎる」「やりたいことが全然進まない。全然結果が出ない」といった声もあったという。
稲葉氏は、「即断即決やスピード感は、われわれもベンチャーから学ぶべきポイントです。われわれは事業部長や役員まで行かないと決済が下りないので、開発スピード、体制の見直し、予算の用途など意思決定のスピードが遅い。LIFE STYLEさんからしてみたら大変なところは多かったと思います」と語る。これに関しては近道はないので、とにかく与えられた環境の中で、結果と事業の可能性を経営層に見せ続け、上から予算と権限を得ていくことで裁量を拡げていくという。
「競合には負けたくない」という声も出てきた
同じチームでビジネスを始めて、約半年が経つが、リコーのメンバーもマインドが変わってきた。「リコーの社員は技術やノウハウもすごいし、会社に貢献したいという意識も強い。今までは当事者意識を発揮できる環境がなかっただけ。最近では競合に負けたくないという声も出てきました」と稲葉氏は語る。
また、営業先や顧客対応などそれぞれチームを作り、目標をきちんと共有することで、組織もある程度自走するようになった。「以前はなにかを決める場に、必ず私がいたのですが、今は360度画像の市場を拡げるという目標だけ共有して、チームを分けて運用しています。今は『稲葉さんはいなくていいですよ』とか言われて、ちょっと寂しいです(笑)」と語る。
稲葉氏は、大企業がベンチャーと新規事業を作る意義について、「大きな企業の中で仕事していると、社員も組織の歯車という意識が強くなり、自分ががんばらなくても事業は動くものと考えがち。だから、新規事業でも当事者意識が欠けてしまう人が多いんです。その点、限られたリソースで全員が当事者意識を持って事業に挑むベンチャーから学べることは多い。これってうちだけじゃないはずです」と語る。