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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第46回

【前編】オレンジ代表 井野元英二氏インタビュー

『宝石の国』が気持ちいいのは現実より「ちょっと早回し」だから

2018年06月02日 12時00分更新

文● 渡辺由美子 編集●村山剛史/アスキー編集部

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© 2017 市川春子・講談社/「宝石の国」製作委員会

作画の中にCGが入る形式だとCGは「浮いて」しまう

―― 好かれてこなかったと。この連載でも『楽園追放 -Expelled from Paradise-』の野口光一プロデューサーが近いことを仰っていました。「CGは好かれにくい」ということを、井野元さんはどのようにお考えになっていましたか?

井野元 アニメの中でCGが浮いて見えることがあるんですね。たとえば作画のアニメの中にCGが入ると、見ている人が『あれ?』と違和感を持ったりする。

 作画アニメにCG班として参加していたときにずっと思っていたことなんですけれども、「作画の中にCGが入る」という形式だと、CGは見た目で不利な立場に置かれてしまうんです。

 なぜならば、アニメをずっと見ていると、視聴者の目と脳内は作画に慣れてくる。そこに急にCGで、それっぽいんだけど微妙に違うものが挟まれる。すると、そこで視聴者には『CGって嫌なものだな』という印象がどうしても残ってしまうわけですね。おそらく「不気味の谷」に落ちているんだと思いますけれども。

 下請けサイドとしては、できるだけ嫌なイメージにならないようにCGを「作画に寄せていく」ところをゴールにして作らざるを得ないのが、私としては残念でした。

―― 作画に寄せていくというのは、CG本来の持ち味ではない、ということでしょうか?

井野元 はい。作画に寄せるだけでは、CGならではの良さを出すところまではいけないと思います。CGが動くことを、純粋にアニメーター視点で見ると、じつはそんなに悪いものではないんです。ただ、「作画アニメと合っていない」ということでCGが嫌われてしまうところがあって、それがCG屋としての不満点でした。

「作画に寄せざるを得ない」経験がオレンジを独自進化させた

―― 『宝石の国』は、フルCGで作画に寄せることなく制作できたわけですね。けれども一方で、現状は、フルCGはアニメファンに馴染みがある表現ではない。オレンジさんでは、フルCGをお客さんに受け入れてもらうために、どんな工夫や作り方をされましたか?

井野元 フルCGが気持ち悪く見えてしまう理由は作画との差異以外にもいくつかあって、動きの作り方が良くないとやっぱりダメなんです。これは、他社さんもいろいろ工夫されているところだと思いますが、オレンジは元々、ガラパゴス的といいますか、独自の進化を遂げているところがありまして、その独自性を活かしたいと思いました。

―― オレンジは、どういったところが「ガラパゴス」だと思われるのでしょうか?

井野元 CGの作り方は、現在のところ2つの主流があります。1つは、アニメのレイアウトに即して作画に合わせる作り方。もう1つはモーションキャプチャーを使ったゲームムービー的な作り方。各制作会社さんでも、二極化されている感じです。

 そのなかでオレンジは、両方のハイブリッド的な使い方を独自色として出しているかなと思います。

 これは、作画アニメに合わせたCGを作ってきたと同時に、ロボットのように単体で独立した動きのものをフルCGにするということを比較的早い段階からやってきたことが経緯としてあります。たとえば、私がフリーランス時代にやった仕事ですが『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』のタチコマなどもそうですね。

 そのためオレンジは、作画的なアニメのレイアウトシステムを使いつつも、ゲーム屋さん的なモーションキャプチャーの使い方をするという、両方の性格を持つようになっていたんです。

―― なるほど。フルCGを作中に入れつつも「作画アニメに寄せざるを得なかった」というその経験が、かえって独自の進化につながっていそうです。

井野元 そうなのかもしれません。だから『宝石の国』では、お客さんにとって従来のアニメの見やすさと、感情移入ができるシーンの作り方を、レイアウトやタイムシートといった作画アニメ的な手法を使うことで提供しつつ、CGならではの動きの面白さを挟んだ映像作りをすることで、CGの良さをできるだけ多くの人に伝えられるようにしたいと思いました。

 最初は作画とCGを組み合わせる「ハイブリッドCG」を目指してきましたが、現在ではその更に上、「双方を調和」させるという意味で『ハーモナイズCG』という表現をして、常に新しい表現に挑戦しています。

―― 『宝石の国』では、具体的にはCGの良さをどのように出していきましたか?

井野元 1つは、芝居の情報量を上げることができました。特に日常芝居などの細やかな動きというのは、もちろん作画でもできるんですが、TVシリーズの枠内でやろうとすると難しいんです。

 たとえば、キャラクターが画面内にトコトコやってきて、座って、何か小芝居をやって、また立ち上がって去って行く。そんなシーンを、作画でカメラの切り替えなしにワンカットでやろうとすると膨大な枚数かつ日数がかかってしまいます。

 そういったシーンは、作画であればカットを割って顔のアップと遠景で場面を切り替えたり、喋るときには全身は動かさない、もしくは口パクだけで済ませたりという演出が多いかと思います。それに対してCGでは、切り替えなしにワンカットで歩きながら喋るということが自然にできるんですね。

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