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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第423回

業界に痕跡を残して消えたメーカー Power MacintoshのOSになれなかった悲劇のBe

2017年09月04日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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Power Macintoshへの移植を急ぐ

 Beにとっての売り物はBeOSそのものである。BeBoxの完成後、同社はBeOSのPower Macintosh向けの移植を急ぎ、1996年にこれも完成する。これが容易になった理由の1つは、PReP(PowerPC Reference Platform)とCHRP(Common Hardware Reference Platform)の存在である。

 PRePはPowerPCの開発元だったIBMが策定した、PowerPCをベースとしたコンピューターシステムを構築するためのリファレンスであり、CHRPはIBMとApple Computerが策定した、PowerPCベースの標準的なコンピューターシステムのリファレンスである。Apple ComputerのPower Macintoshは当然これに準拠する形で構築されていたので、移植は比較的容易だったらしい。

 なぜBeOSは途中からターゲットをPower Macintoshに変えたのかというと、これはApple Computerの事情が絡む。Apple ComputerはCoplandという名前で開発していた次期OS(System 8という名前もあったが、これはMac OS 8とは別物)の開発に失敗した。

 もともとApple Computerは1988年からPinkという名前で次世代OSの開発を開始しており、1991年にはIBMと包括契約を結んでTaligentという会社を設立、ここで社名と同じTaligentという名前のOSの開発を始めている。

 実はPRePやCHRPといったリファレンスはこのTaligentを強く意識したものである。ただTaligentは会社もOSも開発が迷走し、結局IBMが1995年にTaligentを買収することで終わっている。

 CoplandはこのTaligentと並行して1994年からApple Computer社内でスタートしたOS開発プロジェクトであるが、1996年の段階になってもまだマトモに動く状態になっていなかった。

 その間にApple ComputerのCEOはNational Semiconductorから来たGilbert Frank Amelio氏になっており、Amelio氏はこのCoplandの状況を確認した上で開発中止を決定する。これ以上開発を続けても完成しない、と見て取ったのだろう。

 結果、Apple Computerは急に新しいOSを、それも急いで必要とすることになった。Gassee氏がBeOSをPower Macintoshに移植したのは、こうした事情によるものである。実際Power Macintosh上で、BeOSはMacOS Classicよりも高速に動いたらしい。そんなこともあって、1996年夏ごろは、BeOSがMacintoshの次期OSになるという下馬評が盛んであった。

 これが一転、NeXT ComputerのOPENSTEPに切り替わるのは、価格交渉がまとまらなかったためだ。Gassee氏はBe Inc.まるごとの買収に2億7500万ドルという価格をつけ、Apple Computerは1億2500万ドルを上限とした。その後Apple Computerは2億ドルまで価格を引き上げるものの、交渉は決裂。

 そうこうしている間にJobs氏がOPENSTEPを携えてApple Computerにやってきて、次期OSはこれをターゲットとすることに決まった。ちなみに当時Be Inc.の資産一式は8000万ドル程度という評価だったそうで、随分Gassee氏も吹っかけたものだ。

OPENSTEPは開発コード名、RhapsodyとしてMacへの移植が開始される(初期はサーバー用OS向け)。これが現在の「Mac OS」そして「iOS」の前身/原型となっていく

ターゲットをx86に切り替えるも
競合製品乱立でシェア獲得には至らず

 Power Macintosh向けの市場が急速に消えてしまったBe Inc.は、ターゲットをx86に切り替える。1998年3月にリリースされたBeOS R3はx86とPowerPCの両対応となり、同年12月にはR4もリリースされる。このR4には日本語版のR4Jもあり、Gassee氏自ら日本まで記者説明会に駆けつけた

日本の記者説明会に登壇するGassee氏

BeOSはOS自体がUnicode対応で、従来バージョンでもマルチリンガルに対応していた。R4Jでは、日本語入力IMEと2種の日本語フォントが追加された。ファイルシステムも完全に日本語に対応するため、ファイル名やフォルダー名に日本語を使用することもできる

 翌年にはBeOS R4.5もリリースされるが、がんばったにもかかわらず、同社が存続するのに十分なシェアを獲得するには至らなかった。

 もともとBeOSが特定用途向けといった性格の生い立ちであり、ところがApple Computerへのオファーの関係で一般向けOSに舵を切ったものの、肝心のアプリケーションのエコシステムの構築まで手が出せないでいた。

 そもうえ、1990年と異なりすでにWindows 2000やMac OS、さらにはLinuxなどBeOSと同等レベルの競合がたくさんひしめいている状況で、生き残りは難しい。

 2000年に同社は方向転換、BeOS R5は無償版(Personal Edition)と有償版(Professional Edition)をリリースするとともに、BeIA(BeOS for Internet Appliance)を提供して組み込み機器向け市場での生き残りを図るものの、これも遅きに失した感がある。

 最終的に2001年、PalmがBe Inc.を1100万ドルで買収する。その後Palmが2つに分かれた際、Be Inc.の資産はPalmSourceのものとなり、現在はAccessがBeOSの権利を保有している。

 ちなみにこのBeOSの利用権を2003年に当時のPalm Inc.から得て開発したのが独yellowTAB(現magnussoft)のZETAだが、売れ行きはやはり芳しくなく、2007年2月のZETA 1.5で開発と販売を終了。これとは別にOpen SourceベースでBeOS完全互換を目指しているのがHaiku(https://www.haiku-os.org/)で、現在も開発は続いている。

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