1-2-3に依存する経営から脱却
製品の多様化を目指す
製品を多様化する目的で、1984年からさまざまな会社や製品のM&Aが激しく行なわれるようになった。例えば1984年12月に設立されたIris Associatesは、Ray Ozzie(*1)が、タフツ大学在学中に立ち上げた会社で、ここは電子メールと電子会議板(*2)をPCの上で動かすシステムを構築していたが、このIris Associatesに出資し、後に会社ごと買収。これはLotus Notesとして製品化される。
(*1)2005年から2011年まで、マイクロソフトの主席ソフトウェア設計を務めた。
(*2)ヒントになったのはDECで利用されていたVAX MailとVAX Notesらしい。
あるいはVisiCalcの開発元であったSoftware Artsを買収し、そのうちいくつかの製品を自社のポートフォリオに組み入れている。
統合型ソフトとしてLotus Symphonyを発表したのも1984年である。これはSHEET(1-2-3とよく似た表計算)、DOC(ワープロ)、GRAPH(グラフ作成)、FORM(データベース)、COMM(通信プログラム)をワンパッケージ化したものである。
画像の出典は、Tech Republic“Dinosaur Sightings: Lotus Symphony 3.0”
この統合ソフトというのはこの頃のちょっとした流行であり、Symphonyに触発されたかどうかはわからないが、マイクロソフトもやはりオールインワンのMicrosoft Worksを1987年に発売している。またMacintosh向けには、Claris Worksというオールインワンソフトがやはり1984年に登場している。
また1985年からは、Macintoshの市場にも進出した。最初に登場したのは、そのSymphonyをそのまま移植したかのようなLotus Jazzであったが、開発に難航して2ヵ月遅れで発売されたものの、問題も多く、性能も低いということで、評判はよろしくなかった。
おまけにその1985年に、マイクロソフトはMacintosh向けにExcelの最初のバージョンを発売する。1986年7月までの間に、Jazzは2万本が販売されたが、同じ期間にExcelは20万本が売れている。もう勝負は明らかであった。
とはいえ、全体としてはまだ同社は好調だった。1-2-3は1986年だけで75万本、累計では200万本を出荷しており、競合であるMicrosoft Multiplan(MS-DOS向けのExcelは発売されなかった)の3倍の数を出荷していた。
Excelは有力な競合相手になりえると認識されていたものの、問題はWindowsプラットフォーム(とMacintosh)しかサポートしていないことで、大多数がMS-DOS環境のユーザーだった当時としては、1-2-3の優位は揺るがなかった。
それもあってか、Lotusはさまざなコンピューターメーカーの依頼を受けて、いろいろなプラットフォームに1-2-3を移植する。筆者が使ったことがある例で言えば、SunのSPARCstation上(SunOS 4の時代だったと思う)で動いていた。
他にもIBMなどのメインフレームや、ミニコンピューター/ワークステーション上で動く1-2-3があったらしい。
ただ、こうした多数の機種向けの移植作業が発生すると、どうしてもエンジニアリングは手薄になる。この結果、本家IBM-PC向けの1-2-3 Release 3は開発が大分遅れ、最終的に1989年にやっと発売されるといった問題が出てくることになった。
それでも1989年の同社の売上げは5億5600万ドルに達し、営業利益も6800万ドル近くに達しているので、会社としては順調な時期であったと言えよう。
Windows版Lotus 1-2-3が失敗
Macintosh版も出荷延期
Lotusの雲行きが怪しくなってきたのは1990年に入ってからである。1990年に発売されたWindows 3.0や、その後継のWindows 3.1により、MS-DOSからGUI環境への移行の流れができ始めていた。ただこの時は、IBMのOS/2という有力な競合製品があった。
結果から言えばOS/2はWindows 95の競合になりきれなかったのだが、少なくともIBMのこの当時のプロモーションと意気込みはすごいものがあり、Lotusに対しての働きかけもまたすごかった。結局LotusはOS/2版の1-2-3を開発することになり、Windows版への対応がその分後手にまわることになった。
また、この頃Borland InternationalがMS-DOSに対応したQuattro Proという強力な表計算ソフトを発売、Lotusはこれに対して著作権侵害で訴えるものの、1992年に棄却されるなどいろいろ厳しい状況になってきた。
おまけに1990年は、水面下でNovellとの合併交渉まで行なわれていた。これが実現すれば、ネットワークとアプリケーション、ひょっとするとOSまで含んだ、マイクロソフトに拮抗しえる一大企業が成立した可能性があったのだろうが、最終段階でこちらも破談となった。
上層部がこんな調子で振り回されていれば、やはり社内の動きもおかしくなるのは仕方がない。1991年8月に初のWindows版1-2-3をリリースするものの、あまりにひどいバグが多く、9月にディスク交換という形でアップデートする羽目に陥った。
1991年におけるWindows機の出荷は800万台と予想され、Windows版1-2-3は100万本ほど出荷されるだろうとアナリストは予想したにも関わらず、実際に販売されたのはわずか25万本に過ぎなかったという。
またMacintosh版の1-2-3は何度も出荷延期を繰り返し、結果マイクロソフトにシェアを譲る結果になった。トータルすると、1988年に75%だった表計算ソフトのシェアは、1991年末には55%に落ちている。これを受けて、1991年12月には最初のレイオフが行なわれ、400人ほどが職を失うことになった。
もっとも悪いニュースばかりでもない。1990年にLotusはSamna Corp.を買収、同社のワープロ製品をLotus Ami Proとして発売した。こちらの評判はかなり良く、さすがにマイクロソフトとWordPerfect Corporationを凌ぐことはできないものの、それなりに売上に貢献している。
1991年の売上は8億2900万ドルに達している。買収費用などがかさんだ結果として利益率は下がったが、それでも営業利益は3300万ドルほどを確保できている。
ただこの後、1-2-3の売上は次第に落ちていった。Windowsプラットフォームへの移行に手間取り、その間に競合(言うまでもなくExcelである)が大きなシェアを握ったからだ。
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