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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第401回

業界に痕跡を残して消えたメーカー 表計算ソフト「VisiCalc」で世界を震撼させたVisiCorp

2017年04月03日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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Apple IIのキラーソフトとして
売上に大きく貢献したVisiCalc

 最終的に“VisiCalc”と名づけられたこのソフトは、まずBYTE誌の1979年5月号に初めての広告が打たれ、その直後の1979年5月にサンフランシスコで開催された4th West Coast Computer Faire(WCCF)で動作デモがお披露目されて圧倒的な人気を博す。

BYTE誌に掲載された広告。説明もなしに、“VisiCalc”という文字だけがデカデカと出ている。これを1ページまるまる使ってやったらそれなりのインパクトはあっただろうが、このサイズでどこまで期待できるか微妙だ

 これに続き同年6月4日にニューヨークで開催されたNational Computer Conference(NCC)で正式に発表された。VisiCalcという名前そのものは、最終的にFylstra氏が決めたものだ。“Calcu-ledger!という名前はいかにも泥臭く、それもあっていくつかの名前がリストアップされており、その一覧の中から決められたのだという。

 そのVisiCalcの名前は、WCCFやNCCで強く印象付けられたらしい。ニューヨークタイムズに掲載された、National Computer Conferenceのレポート(Layman's Trip into the Mega-Mega Land of Computers:レアマンの、コンピューターのメガ-メガランドへの旅)では、「信者たちが集まっているにも関わらず、コロシアムの看板画家たちは黄色いキャンバスに太黒い“VISICALC”の文字を記してパンテオンに追加している。皆が“VISICALC”を歓迎している」という記載があったほどだった。

 このNCCの展示の後、まず夏頃に少数の早期顧客にVersion 1.35をリリース、そして10月頃にVersion 1.37を本格出荷する。価格は当初の計画通り100ドルであったが、32KBのRAMに加えてカセットI/FまたはApple Disk II(FDD)が必要となった。

 結果、既存のApple IIのユーザーであっても少なからぬ(1979年当時で2000ドルほど)追加投資が必要であり、Apple IIを持っていないユーザーなら4000ドル近い出費が必要になった。このうちRAMに関しては、当初のApple IIこそわずか4KBのRAMしか実装していなかったが、DRAM価格の下落にともないApple Computer自身がRAMを48KBをフル装備したモデルを発売するようになって事実上解決している。

 そしてVisiCalcは、Apple IIをビジネスユーザー向けマイコンとして拡販する、まさしくキラーソフトになった。実際、他のマイコンではこれにあたる機能を持つソフトは存在しなかったからだ。表計算ソフト、という新しいソフトウェアのジャンルがここで生まれたことになる。

 もっとも厳密に言えば、メインフレームの上では表計算ソフトに近い概念のものはすでに存在しており、必ずしもVisiCalcが最初というわけでもなかった。とはいえ、これをマイコンで動くようにした最初の製品がVisiCalcであったことは間違いない。

VisiCalcの画面。Apple IIだとテキストモードで40桁×24行の表示となるので、今の表計算ソフトと比べると著しく狭く感じるのは致し方ないところ。それでも2画面に分離したり、文字の左右寄せや“*”によるグラフ表示などを可能にしているのがわかる

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