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政府系研究機関が始める新たな人工知能普及作戦とは

連載
アスキーエキスパート

国内の”知の最前線”から、変革の先の起こり得る未来を伝えるアスキーエキスパート。KDDI総合研究所の帆足啓一郎氏による人工知能についての最新動向をお届けします。

 日本経済活性化の重要な施策として、人工知能の研究開発が取り上げられている。その人工知能関連研究を推進するため、関連省庁である総務省・経済産業省・文部科学省がそれぞれ抱える研究機関の中に、新たに人工知能を中心テーマとして据える研究センターが創設されている。

 本記事では、これらの研究機関のうち、文部科学省が管轄する理化学研究所の配下にある革新知能統合研究センター(以下、AIP)が目指す人工知能関連研究のあり方について、筆者がAIPの杉山将センター長への取材を通じて得られた情報を交えて紹介する。

これまでの経緯

 本連載の執筆を通じて、人工知能に関して議論をさせていただく機会が増えている。その機会の1つとして、文部科学省の職員と打ち合わせしたことがあり、その打ち合わせをきっかけとして、人工知能に関する研究成果を実用化する難しさについて述べた記事を寄稿させていただいた。

 同記事は、文部科学省との打ち合わせで得られた情報、およびその後に筆者が行なった調査などを元に執筆している。一方、その記事を執筆した時点ではまだAIPが本格的に立ち上がっていなかったということもあり、実際にどのような研究者を集め、どのように研究開発を進めようとしているのかについては把握できていなかった。

 その後、昨年末に都内で開催された「情報系WINTER FESTA」という学術系イベントに筆者が参加した際に、同イベントで招待講演を行なっていたAIPの杉山将センター長と初めて直接お話をする機会があった。その場では短い立ち話どまりだったが、招待講演の中で紹介されていたAIPの活動について興味がある旨を伝えたところ、間もなく立ち上がるAIPの東京拠点への訪問のお誘いをいただいた。以降、その後(2017年1月)にAIPを訪問した際にうかがった情報を中心に紹介する。

AIPのエントランス。AIPの東京拠点は本年1月開業。コレド日本橋内という、アクセスの良いロケーションにある

若くしてAIPを引っ張る杉山センター長

 AIPは、安倍内閣の次世代人工知能戦略の目玉の1つとして創設が発表され、2016年4月から組織として立ち上がっている。ただし、この時点ではまだ組織の立ち上げが発表されていたに過ぎず、その後研究者の招聘を進めるなどの準備期間を経て、東京拠点の活動が開始されたのは、筆者がAIPを訪問した2017年1月からである。さらに、同年4月にはAIPに所属する研究員が大幅に増え、いよいよ本格的な活動が始まっている。

 AIPの創設が発表された際に大きな話題となったのが、同センター長に抜擢された杉山将教授の若さだ。ほかの政府系の人工知能研究機関(情報通信研究機構・ユニバーサルコミュニケーション研究所/脳情報通信融合研究センター、産業技術総合研究所・人工知能研究センター)では、それぞれの分野で長年研究の実績を積んできた大御所をセンター長に据えているのに対し、AIPのセンター長に登用された杉山教授は41歳(当時)で、今も研究の現場で自ら研究を進めている、現役バリバリの研究者だったからである。

杉山将・AIPセンター長

 実際、筆者が杉山センター長とAIPの東京拠点でお会いした際にも、自身が参加している国際学会における動向や、その中での日本のプレゼンスの低さの問題について熱く語るなど、AIPの活動を自ら引っ張っていくという強い意気込みを感じた。筆者の個人的な経験の中では、日本ではAIPのような大規模な研究機関の長には、どちらかというと悠然と構える人が多いが、こうした方々とは対照的に前のめりに思いを語る杉山センター長の雰囲気は心地よく、筆者としては楽しく打ち合わせさせていただいた。

未開拓な領域で勝負するAIPの研究ミッション

 AIPが特に注力しているのは、人工知能に関する理論など、いわゆる基礎研究の領域である。

 データ・ドリブンな応用研究は、データを多く保有する米巨大IT企業の独壇場であり、日本の研究機関が容易に太刀打ちできる領域ではない。これに比べると、理論系の研究は個人でも勝負できる領域であり、かつ未開拓な領域でもあることから、AIPの中心的な研究領域として取り組まれている。

 たとえば、今の人工知能ブームを牽引する深層学習(ディープラーニング)も、中身がブラックボックスであるゆえ、実はなぜうまく動作するのかがわかっていないのが実態である。そのため、深層学習が出力する結果は人間には理解できないことがままある。

 今後、人工知能は囲碁のようなゲームのみならず、生活やビジネスのあらゆる領域に浸透していくことは必然である。日常生活や経済活動において人工知能による判断への依存が高まると、人工知能のユーザーである人間が理解できないような結果を示すだけでは、混乱を招く場面が増えることが容易に想像できる。すなわち、今後の人工知能には、単に良い結果を出力するだけでなく、その理由をわかりやすい形で提示する「透明性」が求められる。そして、この透明性を確保するためには、正しい理論の確立が重要な要素となる。

 また、今の深層学習は巨大IT企業が抱える超・大規模な計算機環境での動作が前提となっていることが多いが、今後の人工知能はこうした一極集中型のみならず、あらゆるヒトやモノに搭載される可能性も高い。すなわち、人工知能関連のアルゴリズムを低い処理能力の計算機環境で実行していくニーズが高まる可能性がある。その場合、大規模な計算機環境でなんとなくうまく動いているアルゴリズムを、精度を落とすことなく省力化する必要がある。そのためにはアルゴリズムの理論をきちんと理解することは大きな武器となる。

 上記のような背景および、日本国内では米国や欧州、アジア諸国と真っ向勝負できる計算機環境や実データが少ないという実状とを照らし合わせると、AIPが理論系の基礎研究に注力するのは必然である。杉山センター長はこの領域で世界最先端を走っている数少ない日本人の研究者であり、このミッションを率いる人材としてはうってつけの人材といえる。

人工知能を実用化するための人材育成とは?

 AIPのウェブページには、同センターのミッションとして「革新的な人工知能技術の開発」のほかに、人工知能に関する「人材育成」という記述がある。この「人材育成」を見て、一般的には思い描くイメージは、同センターに所属する若い研究者の育成、すなわち、学術的な研究を進め、世界で活躍する研究者を育成することであろう。

 当然ながらAIPでも次世代の研究者を育成することは重要なミッションの1つであるが、AIPが目指す人材育成というミッションには、実はもう1つの側面がある。それは、人工知能を実用の場面で活用できる人材の育成である。そして、その対象はAIPに所属する研究者のみならず、人工知能関連技術を実際の現場で利用する企業に所属する人材も含まれているのである。

 一般的な「産学連携」の取り組みとして代表的な形式として、共同研究あるいは委託研究が挙げられる。研究機関である大学と、実業を回している企業がそれぞれの役割を分担することにより、共同で学会発表をしたり、企業サイドの実業に貢献したりするような研究成果の実現を目指すプロジェクトとして実施されることが多い。

 こうした共同研究・委託研究はときに大きな成果を生み出すこともあるが、実態としてそこまでの結果に結びつくことは少ない。そもそも、研究の実用化自体が難しい課題であることも1つの要因だが、それ以前に研究機関と企業との役割分担や協力体制が不十分なために、期待される成果が得られないケースも数多い。

 企業からの要望は得てして自社の既存事業に結びつく具体的なものが多いが、こうした要望は、研究機関にとっては論文にするには細かすぎるため、前向きに取り組むモチベーションが上がらないことがある。逆に、企業が研究機関側の意志を尊重し、大きな自由裁量を与える形の共同研究も多いが、この場合は、逆に研究機関側が自由に研究をしすぎることもままあり、最終的に企業にとって「使える」成果が得にくいという結果になることもある。

 杉山センター長も、所属大学で数多くの共同研究プロジェクトに携わっており、うまくいったプロジェクトとそうでないプロジェクトのそれぞれを経験している。それをふまえ、AIPの産学連携では、上記のような従来型の共同研究を是とせず、研究者はなるべく研究に専念できる体制が組めることを前提としている。ポイントとなるのは、企業側の課題を共同研究先の研究者が解決する形ではなく、研究者による指導を仰ぎながら、企業側が自身で解決するという方針である。

 この方針には2つの効果が期待される。1つは、前述の通り、研究者が自身の能力をフルに発揮できる研究に専念することにより、よりインパクトのある研究成果が生まれること。もう1つは、企業側がAIPの研究者の支援を得ながら、自社内での人工知能関連技術を自ら手を動かして利用することにより、現在の産業界に不足している人工知能を現場で扱える人材が増加することである。

 また、研究者も企業との協業を通じ、ビジネスの現場で求められている課題に実際に触れられる機会を得ることにより、重箱の隅をつつくような「研究のための研究」ではなく、後のインパクトに結びつく良好な研究テーマを発見できる可能性もある。

AIP内の共用スペース。オープンな空間を作ることにより、AIPに所属する研究者間、ならびに協業企業の担当者とのディスカッションを促す

研究から現場へ人工知能関連技術を広げるチャレンジ

 AIPの産学連携に対する考え方は、杉山センター長の過去の経験に基づいて導出されたものであり、研究者の立場からは筆者も強く賛同する。その一方、企業人としては、従来型の共同研究とは異なるため、協業を目指す企業の中には戸惑うところも多いと思われる。なぜなら、産学連携プロジェクトへの企業側の期待の多くは、自社にない技術や知見を持つ研究者が、自社の課題を効率的に解決することにあるからである。

 しかし、繰り返し本連載で述べている通り、人工知能関連技術を活用するためには、完成された技術をそのまま現場に投入するというアプローチでは不十分である。実際には、現場のデータの実態をよく知る担当者の協力を得ない限りは、せっかくの技術も宝の持ち腐れになってしまいかねない。

 AIPが目指す企業との協業は上記のような実態を勘案した結果導き出されたものと思われる。高い技術力をもった研究者やエンジニアが、求められるニーズに合わせて所属企業を渡り歩くことが可能な米国などと比べ、人材の流動性が低い日本において人工知能関連技術を広く普及させるためには、各企業に所属している人材を活用することが有用だからである。

 公的な研究機関発の人工知能関連技術の広まりがどこまで実効性があるのか、今後のAIPの成果を見守る必要があるが、日本の社会情勢に合わせた施策として筆者も大いに注目したい。

アスキーエキスパート筆者紹介─帆足啓一郎(ほあしけいいちろう)

著者近影 帆足啓一郎

1997年早稲田大学大学院修了。同年国際電信電話株式会社(現KDDI株式会社)入社。以来、音楽・画像・動画などマルチメディアコンテンツ検索の研究に従事。2011年、KDDI研究所のシリコンバレー拠点を立ち上げるため渡米し、現地スタートアップとの協業を推進。現在は株式会社KDDI総合研究所・知能メディアグループ・グループリーダーとして、自然言語解析技術を中心とした研究開発を進めるとともに、研究シーズを活用した新規事業創出に取り組んでいる。電子情報通信学会、情報処理学会、ACM各会員。経済産業省「始動Next Innovator 2015」選抜メンバー。

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