バッテリーによって作られてきた体験
せっかく電池について考えるきっかけを与えてくれたので、もう少し電池が規定する我々の体験について、触れておきます。
筆者が高校生だった頃、PHSからケータイへ乗り換えた時は、やはり大人になった気分でした。どうしても、ケータイの方がモバイルサービスとして格上という印象が非常に強かったこともあります。
実際のところ、バッテリー持続時間が大幅に減ることに気づいて、複雑な気持ちになったことを覚えています。筆者が持っていたNTTパーソナルのPHS「パルディオ312S」は、待ち受け時間は500時間、連続通話時間6時間でした。しかし乗り換えたNTTドコモの「mova P205 HYPER」はそれぞれ220時間と115分。
高校生の小遣いと当時のケータイ料金から考えると、通話をしょっちゅう利用したり、結局通話料がかかり、しかも他社のケータイやPHSに送る機能を備えていなかったショートメッセージを大量に利用してはいませんでした。それでも、つながる(つながる可能性がある)時間の長さを気にしていました。
高校生の時にモバイルデバイスに触れて、バッテリーの持続時間が、重要な尺度になっていたことに気づかされます。身の回りのあらゆる製品がバッテリーになっていくことで、バッテリーを中心とした体験のとらえ方が、我々の生活を支配しつつあると思いました。
テクノロジーの面倒をみなくなる未来
今後も人類が利用するエネルギーは、おそらく電力を中心とした物になると考えています。その点で自動巻きやソーラーパネル搭載の腕時計のように、必要な分のエネルギーをデバイスの中で作り出す方法が現実的になることを目指していくことになると思います。
スマートフォンを思い浮かべると、ほとんどの場合、我々の活動時間の方が、スマートフォンのバッテリー持続時間よりも長く、電池がなくなると、継ぎ足しで充電をしたり、モバイルバッテリーを持ち歩いたりして、電池の面倒をみている状態です。
道具でありながら、コミュニケーションから移動、決済など、生活の広範を依存している存在を「よく世話しなければ」困ってしまう存在なのです。
その面倒を見なくてよくなることは確かに「進歩」ですが、他方で、さほどスマートフォンという存在に興味を持たなくなることを意味するのではないか、と思いました。
今回のGalaxy Note 7の問題は、まだまだ我々が、電源という点でテクノロジーの面倒をみなければならない時代が続いていることを印象づけてくれます。
筆者紹介――松村太郎
1980年生まれ。ジャーナリスト・著者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。またビジネス・ブレークスルー大学で教鞭を執る。米国カリフォルニア州バークレーに拠点を移し、モバイル・ソーシャルのテクノロジーとライフスタイルについて取材活動をする傍ら、キャスタリア株式会社で、「ソーシャルラーニング」のプラットフォーム開発を行なっている。
公式ブログ TAROSITE.NET
Twitterアカウント @taromatsumura
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