バグとグリッチ
最近、私が気に入っている神田神保町の「GLITCH・COFFE&ROASTERS」(グリッチ・コーヒー&ロースターズ)というカフェがある。狭い店内の5分の1は占めてしまう巨大な焙煎器もだが、なんといっても「GLITCH」という名前がいい。(今回は「週刊アスキー連載中の『神は雲の中にあられる』より転載です)
“GLITCH”というのは「 【名詞】【可算名詞】《口語》1(機械・計画などの)欠陥、故障 〔in〕。2電力の突然の異常」(Weblio)という意味だが、私的には「millennium glitch」(2000年問題)がすぐに頭にうかんだ。
要するに、“Bug”(バグ)が、プログラムやハードウェアの欠陥のことだとすると、それの発症が“Glitch”(グリッチ)なのだ。バグについては、よく語られているし私も『近代プログラマの夕』(拙著=ホーテンス・S・エンドウ名で絶版だが)でくわしく書いたことがあるが、グリッチは、その現象と直接対面する“よりエンジニア的”な言葉である。このカフェの場合も、お店のサイズ(豆屋でもない)には不相応な自慢の焙煎器が、とつぜん暴走(グリッチ!)、店主があせって対応するなんて事態を想像したくなる楽しそうな名前である。
さて、ある日、そのGLITCHに向かうべく神保町の裏通りを歩いていると、@mhidakaさんにバッタリであった。某U社のプログラマでアンドロイド界隈でも活躍する彼は、開口いちばん「今度、秋葉原で技術書の同人誌即売会をやるんですよ」と言うのだった。“技術書”、“同人誌”、“即売会”と聞いて、その日から私は、その“技術書典”(“展”ではなく“典”である=理由は聞いていないが)という催しを、とても楽しみにしていた。
6月25日(土)、東京メトロの末広町駅からほど近いガチャポン会館の斜め向かいにある秋葉原通運会館で、その“技術書典”が開催された。私が出かけたのは、人気書はどれも売り切れたあとの午後3時過ぎだったが、それでも十分に楽しかったしそれだけでなく刺激された。その背景にある思想は、彼ら(TechBoosterというサークル)自身の『技術書をかこう! ~はじめてのRe:VIEW~』という同人誌にすこし見える(Re:VIEWというのはEPUB等を生成するツールでこれも技術書である)。
その“はじめに”を読むと、「世の中には、いろいろな種類・性質の技術書がもっと溢れてほしい」と書き出されており、ここが重要なのだが「ブログでいいじゃないか、という声もあるかと思いますが、筆者の考えは違います。ブログは書きたいことを書き、分かる人だけ分かればよい、というメディアだと考えます。一方、本とはひとつのテーマについて、頭からお尻までわかりやすく理解できるよう設計しパッケージ化したものです。
また、かかわる人も2人以上とし、レビューや推敲を繰り返すことで品質や嘘のなさを積み重ねていきます。この考え方に従うのであれば、本とは《作り方》を指すのであり、紙という物理的な形式を取る必要もないのです」とある。
これって、「なぜ同人誌」を作るのか? というとても本質的なところに通ずる文章だと思う。そして、おせっかいにも誤解をおそれずに、この先を追加させてもらえば、本とは《作らない手はない》ものなのだ。本というのは、思考におけるバーチャルリアリティともいうべき装置で、著者の頭の中を“追体験”できることに最大の価値がある。それに対してブログは、いわば外化されたしゃべりの記録といったところである(それはそれで大いに意味もあるが)。
だからこそ、プログラミングに限らず新しいことに踏み出して世界をひろげられるプログラマは、いまでも本を漁って読んでいる(著者の脳をコピーしている)。つまり、技術書典が教えてくれているのは、同人誌とか技術書というところの議論ではなく、“本が人に対して何ができるか”という話なのだ。
秋葉原通運会館といういい感じの枯れたたたずまいは、初期コミケの大田区産業会館にも通ずるところがある。コミケットが、“人に対して何をしたか”といえば多くのすぐれた作家たちを育てた(なかには世界的な作家も)。それから、“軽オフセット印刷”というテクノロジーを味方につけたというのが、コミケットの成立要因の1つだ。Re:VIEWの解説本で触れられていなかった部分としては、“オンデマンド印刷”が主催者たちのテーマの1つ。
事実、当日販売されてオンデマンド印刷で増刷り分が会場に納品されたサークルもあったそうだ。誰もがやらなくてもよいけど(読むだけでも10分の1くらいの価値はある)、同人誌は楽しいし、テクノロジーも、Glitchもまた楽しい。『ウーパールーパーを支える技術』とか売り切れで買えなかったのは、残念。

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