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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情第356回

業界に痕跡を残して消えたメーカー 激安PCで市場を席巻したTandy RadioShack

2016年05月16日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 今回の「業界に痕跡を残して消えたメーカー」はTandy RadioShackの話である。実を言えばRadioShack Corporationそのものは現在も存在しており、その意味ではまだなくなってしまったわけではない。

 とはいえ、2015年には会社更生法の適用を受け、自社ブランドでのマイコン投入はかなり昔に足を洗っている。なにより創成期のマイコン市場には欠かせない会社だっただけに、そのあたりを中心に解説したい。

TRS-80 Model II

革製品と編み物とラジオを売る
ハンドクラフト店がマイコンを販売

 Radio Shackという会社そのものは1921年にマサチューセッツ州ボストンで創業された。会社というよりもアマチュア無線向けのパーツショップである。ただしその後ショップの数を9まで増やしたり、通販を始めたりということで次第に大きくなっていったが、1960年代には苦境に陥る。

Popular Mechanics誌1962年11月号の広告より。284ページものカタログである

 この苦境を救ったのはテキサスで革製品を扱っていたTandy Corporationである。こちらはもともとHinckley-Tandy Leather Companyという名前で、Norton Hinckley氏とDave L. Tandy氏が興した会社だ。

 当初は革靴などを扱っていたものの、第二次世界大戦の影響で靴が売れなくなり、財布などを含む革製品一般に製品を移行する。

 その後Tandy氏の息子であるCharles Tandy氏が加わり、彼は革のビジネスを立ち上げるに至る。ここでHinckleyは靴製造に回帰するということで抜け、Tandy親子はレザークラフトに専念する形になった。

 1961年、社名はTandy Corporationに改められたが、この時点で同社は全米およびカナダに125の店を持っていた。さらにMerribee Art Embroidery Co.を買収する。ここは編み物を扱う会社であり、この後1963年にはRadio Shackを買収した。

 革製品と編み物とラジオ、という組み合わせは今では理解しにくいかもしれないが、当時はいずれもハンドクラフトという範疇であり、自作が趣味の人をターゲットに、さまざまな自作のキットや部品・道具を提供するというビジネスだったわけで、これはこれで筋が通ったビジネスの展開であった。

 そして、結果からいうとこの電気/電子パーツを扱うRadio Shack部門のビジネスが大きく伸びることになる。1975~1976年に同社はクラフト部門をTandy Leather Companyとして分離し、Tandy CorportationはRadio Shackを中心としたビジネスに専念することになった。

 分離後の1977年の時点で、TandyのRadio Shack部門は全米に3000以上の店を構えるに至った。これに先立ち1975年にはMITSがAltair 8800を発表しており、年間1000台あまりを販売していた。

 これを見て、Tandyでマイコンを扱うアイディアが出てきた。ただ当時TandyはNational SemiconductorでSC/MPなどの開発経験があったSteve Leininger氏をコンサルタントとして雇い入れ、彼の助言を元にキットではなく完成品として販売することを決める。

 また、当時販売されていたマイコンはいずれも数千ドルの価格帯であったが、Tandyはもっと低価格で提供することにこだわった。というのは、当時Radio Shackで一番高価だった製品でも500ドルであり、1000ドルを超えるような製品は到底扱えない、という声が高かったかららしい。

 開発費は15万ドルに満たない程度というケチケチぶりであり、これもあって最初の製品であるTRS-80 Model Iは最終的に1.7MHz駆動のZ-80に4KBのRAMを搭載したモデルで399ドル、これにカセットテープベースのデータレコーダーと12インチの白黒モニターをセットした構成で599ドルという、当時としては破格の価格で1977年8月に発表された。

 ちなみに最初の生産台数は3500台を予定していたという。当時はTRS-80が売れるかどうか、社内でも懐疑的な声が多かった。最悪売れない場合にはRadio Shackの各店舗で在庫管理などに使えばいいという発想の元、ほぼ店舗数に等しい数をまずは生産するということにしたそうだ。

 ところがふたを開けてみると、大きな騒ぎになった。TandyがTRS-80 Model Iを発表したその日にニューヨークでテロリストによる爆弾騒ぎ(1名死亡、7名負傷)があった。

 製品発表そのものが目立たなかったにも関わらず、同社にはTRS-80を買いたいという電話が1万5000件殺到して交換機がパンク。25万人が前払い金100ドルの小切手を郵送してくるという騒ぎになった。結局1977年だけで1万台以上を出荷、合計では20万台以上を売り上げることになった。

 TRS-80は日本にも結構入ってきていた。それも秋葉原や大阪日本橋のような大都市だけでなく、地方都市のマイコンショップにもTRS-80がデモ機として鎮座しており、筆者も触った覚えがある。

 価格は覚えていないが、1977年当時の為替レートは年初が1ドル292円、年末が1ドル240円程度だったので、間を取って1ドル250円とすると本体のみで9万9750円。モニターとカセット込みで14万9750円というところ。

 実際にはこれに輸入の手間賃やショップの儲けも乗せていたので、本体のみで20万円弱、モニターとカセット込みで30万円を切るくらいではなかったかと思われる。

 また1970年代末から80年代前半には、日本でも事業を展開しており、日本向けのTRS-80も存在した。こちらは当時(1979年6月)で本体のみで17万9800円という価格だった。

 月刊ASCIIを初め、当時いくつかのパソコン雑誌にはTRS-80用のプログラムリストが平均1つくらいは載っていたと記憶する。TRS-80は単にアメリカだけでなく世界中で販売された機種の1つとしても差し支えないだろう。

 連載301回で取材した、ロンドンのScience Museumにも当然のようにTRS-80は展示されている。

Science Museumに展示されているTRS-80

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