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『角川インターネット講座』(全15巻)応援企画 第15回

【後編】鹿野司氏、堺三保氏、白土晴一氏「設定考証ブラザーズ」かく語りき

サイバー戦争よりも怖い「敵意を増幅させる装置」としてのインターネット

2016年01月17日 18時00分更新

文● 田口和裕 編集●村山剛史/ASCII.jp

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すでに実現している「ネットワーク化された戦場」が
フィクションであまり描かれない理由

白土 フィクションの軍事考証をやっていて思うのは、エンターテインメントにはネットワーク化された戦場のイメージがまだ浸透してないんだなあということですね。

 だって民間でもスマホやネットがあるくらいなんで、兵隊さんひとりひとりがネットワークにつながって、映像や指示を直接司令部とやり取りできる。要するに、今は決定権をもった人間が戦線にいる人たちに直接命令を送っているのね。でもその戦争のやり方をストーリーに落とした作品がまだない気がする。

 入れようとしたことはあるんだけど、脚本やコンテを書く人たちがイメージが湧かないらしく「なんでそんなことしなきゃいけないの?」ってなっちゃうこともたまにある。

鹿野 書き手もイメージが湧かないし、『視聴者も理解できないだろう』という判断なのでしょう。

白土 戦争作品は未だにインターネット化があまり進んでいないエンターテインメント分野かもしれない。ゲームでは「Call of Duty」シリーズとかあるんだけど、日本のエンターテインメントでネットワーク化された戦争のイメージをわかってくれる人は少ないですね。

 現実ではカリフォルニアにいる人たちがドローンを操縦して数万km彼方を攻撃しているわけですよね。

 ところがドローンでやってるものだから、自分が直接手を出せない情報を見聞きしすぎちゃってPTSDになる人たちが出てきている。その場にいないとどうにもできないことがあったりして、それがすごい心のストレスになる。

鹿野 みんな善良だからね。だから辞める人すごく多いよね。

 そうそう。人間はそこそこ善良にできてる。ドローンは良心の呵責なく人を殺せる恐ろしい兵器だと言われるけど、じつはドローンを使ってるほうが疲れる。ある程度自分にもストレスがかかるところにいたほうが殺しやすかったりするんですよ。

 そう考えると、じつはインターネットやIT技術の進化で戦争がやりやすくなっているわけじゃ全然ない。

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サイバー戦争よりも怖い
「敵意を増幅させる装置」としてのインターネット

白土 かと言って融和が進んだわけでもない。「アラブの春」のように、インターネットのおかげで情報格差がなくなり融和が進むんじゃないかと言われていた時期もあったけど、それも実現しなかった。

 ネットワーク化が進んだときは、それこそサイバー戦争みたいな世界になるんじゃないかと言われたけど、実際はインターネットによってお互いの敵意がキャッチボールのように膨らんでいくことのほうがよほど深刻だった。

鹿野 「アラブの春」でもそうなんだけど、実感としての感覚と言葉の感覚がずれるってことだと思うんだよね。

 確かに独裁者を倒して民主主義になればありがたいんだけど、それには住民が『民主主義とはこういうものだ』ということを理解するプロセスがいるんだよ。今まで独裁者がいたところに頭でっかちの人たちがインターネットで「独裁者を倒せ!」ってやってもわからないんだよね。

 言葉の上での民主主義をわかってる人と、肉体感覚としてわかってない人たちの世界でずれが起きちゃう。肉体感覚としてわかる言葉の世界と、上っ面の言葉の世界が乖離するというのがインターネットのコミュニケーションの問題なんだよね。

 しかも乖離した結果、何が起こってるかというと、憎悪が拡大しているんだよね。

白土 たぶんそっちのやり取りのほうが「戦争の脅威」という面ではすごいんじゃないか。

インターネットが戦争に利用されるとしたら国家間のサイバー戦争だと思っていたけど、実際は「個々人が憎しみをダイレクトにぶつけ合うことによって憎悪を膨らませる」作用のほうがやっかいだった(白土)

 そう。やってることはパソコンやスマホで文字を打ち込んでるだけだから、ある意味ローテクなことなんですよね。まったくSF的なことではない。

白土 グローバリズムと通信技術が発達すれば国家の力が弱くなると思った時期もあったんだけど、そんなことは全然なくて、やっぱり強かったなと。

鹿野 だけどそれはオレたちの寿命というすごく短いタイムスケールで考えてるからだよ。だってオレの子供の頃なんて、ソ連がなくなるとか東西ドイツの壁が壊れるなんて想像もしてなかったわけじゃない。そんなバカなことがあるわけないってSFにすら書けなかったからね。

 1990年代にデイヴィッド・ウィングローヴの『チョンクオ風雲録』という、強大な中国が支配する未来について書かれたSFを読んだとき、『中国が世界第二の経済大国になるわけないじゃん』って思ってたんだけど、昔の自分を叱りたいですね。

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鹿野 そりゃあ人口多いから1位になるに決まってるよ。どなたかが言ってたけど、「500年単位の歴史で見れば、一時的に中国は下がってたけど、また同じ所に戻ってくるんだ」って。

 中国は極端なところがあって、良いものはすごく良いんですよ。たとえば世界の最先端の遺伝子解析の論文はだいたい中国が絡んでるし、スーパーコンピューターの技術も高い。

 アメリカもそうだよね。すごいものはすごいけど街中にはろくなもの売ってないという。逆に日本が特別なんだと思ったね。

―― すべて中庸であることが足かせになる可能性はありませんか?

おもしろい文章を書く人は世の中にいっぱいいるけど、ネットでいくら書いても基本的にお金にはならないので、書き続けられる人は限られてくる(鹿野)

鹿野 この方針で変わらずにやり続けていれば他の国は真似できない。同じことをすると規模の戦いになっちゃうから人口が多いところに勝てるわけがない。

白土 じゃあその日本でインターネットはどうあるべきなんだろうかというとよくわからない(笑)

 そう。インターネットって結局安かろう悪かろうを促進してる感じがするわけですよ。原稿料は下がるわ印税は下がるわ掲載誌はなくなるわ、我々フリーはどうやって暮らしていけばいいんだっていう、それがぼくら3人の問題じゃないですか(笑)

白土 無料で読める文章がネットにたくさん溢れておりますから。

鹿野 無料で読める文章がいっぱいあるというのはすごく本質的な問題でさ、文章を書くプロになったばかりのころは、自分よりもよっぽどすごい人が世の中にはいっぱいいると思ったの。専業じゃなくてもすんごいこと書く人っているわけですよ。だけどそういう人たちはフリーになろうとか思わない。

一同 (爆笑)

鹿野 ちゃんとしてるからね。でもそういう人たちは、すごいことは書くけど継続的には書かない。だからだんだん、こっちのほうが上になっていく(笑)

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(次ページでは、「翻訳家「メメってなんですか?」 インターネットで設定考証はどう変わったか?」)

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