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情報の取り扱い説明書 2015年版 第8回

タブレットが売れ、デスクトップとノート型は売れない

PCが売れないのはジョブズが目指した理想の終了を意味する

2015年08月19日 10時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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「自らの創造性の拡張機器」から「誰かの創造性の閲覧機器」へ

 ここには明らかにわれわれを取り巻くメディア環境の変容、人間とコンピューターとの関係の変質があるように思う。私はマーケッターでもジャーナリストでもないので、これらの数字から今後のビジネスの潮流などを提言するつもりはない。

 しかし、ちょっと異なる角度からこのデータを解釈すると、パソコンというものが「自らの創造性の拡張機器」ではなく「誰かの創造性の閲覧機器」になってきているのではないか。

「リサーチバンク」による「タブレット端末に関する調査(2015年)」。タブレット端末の使用用途のほとんどが「情報の閲覧」に集中しており、ユーザーによる情報の「入力端末」ではなく、あくまでも情報の「受信端末」として利用されていることがわかる

 自分などは1990年代の初頭からデジタルの可能性に魅せられ続け、挙げ句の果てにアスキーに入社して雑誌編集者にまでなってしまったような人間だから、パソコンが誰かの創造性の閲覧機器になってしまった、というナイーブなノスタルジーが含まれていることは否定しない。

 しかし、そこに一抹の「寂しさ」や「侘しさ」だけではなく、ある種の「危なっかしさ」が潜んでいるのではないかという予感も拭い去れないのである。

もともとは自動計算機だったのが、創造性の拡張機能へ

 コンピューターの起源をどこに見出すかという問題は、定義次第でいくらでも解釈可能だろう。たとえば1901年に発見された「アンティキティラ島の機械」は天体の運行を計測するための歯車式計算機と言われている。これもアナログとはいえ、コンピューターの元祖と呼べるかもしれない。

 自動化された計算機という観点で言えば、19世紀イギリスの数学者であるチャールズ・バベッジが開発した蒸気を動力とする「階差機関(Difference Engine)」もコンピューターの一種と言えるだろう

 コンピューターの歴史とは、自動計算への欲望から出発し、突き動かされて進化してきたと言っていい。膨大かつ複雑な数値の自動計算への欲望は「AI=Artificial Intelligence」(人工知能)への萌芽でもある。

 しかし、そこへコンピューターを単なる計算機とは異なるものとして捉える「IA=Intelligence Amplifier」(知能増幅)という新しいコンセプトが生まれてくる。その理念は1984年のにリリースされた「Macintosh」のテレビコマーシャルに象徴的に描き出されている。

1984年1月22日、全米が注目するアメリカンフットボールの試合「スーパーボウル」放映の際に流された「Macintosh」のテレビコマーシャル「1984」。機械文明が支配するディストピアを個人の力が克服するというパーソナルコンピューターの理念が表現されている。監督は「ブレードランナー」を撮った直後のリドリー・スコットが担当

 アップル社を創業した2人のスティーブは、スティーブ・ウォズニアックが1950年生まれ、スティーブ・ジョブズが1955年生まれであり、いわゆる第二次世界大戦後に生まれた「ベビーブーマー」世代である。

 この世代の多くは、「American Way of Life=物質主義的なサバービア(郊外生活)の典型的な幸福感」に疑問を抱きつつ思春期を迎えた連中であり、成人する前後には泥沼化するベトナム戦争への嫌悪と反感から、ヒッピー・ムーブメントに身を投じる若者たちとなった。

 2人のスティーブはまさにそうした時代の気分を自らの創造性の拡張機器としてのパーソナルコンピューターに結実させた。Macintoshの宣伝用キャッチコピーとして使われた「The Computer for the Rest of Us.」(ごく普通の人々のためのコンピューター)という言葉が、「何者にも支配されない個人の創造性」をいかに重視していたかを物語っている。

 パーソナルコンピューターの誕生が、1960年代アメリカのカウンターカルチャーの文脈と切っても切れない縁を持っている理由もそこにある。

(次ページでは、「パソコンが元々持っていた理念のゆくえ」)

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