なぜプラズマを続けられなかったか
ところで、パナソニックがプラズマテレビ事業の赤字から脱却できなかった理由はなにか。それはいくつかある。
ひとつは、想定以上に液晶テレビの技術革新が速く、プラズマテレビが得意としてきた大画面の領域にも、液晶テレビが踏み込み、シェアを拡大してきた点にある。
これにより、プラズマテレビの成長が市場予想よりも鈍化。パナソニックが掲げた計画値に到達しなかったことが影響した。
パナソニックは、2010年度には、年間1000万台のプラズマテレビの出荷を計画していた。だが、2010年度の出荷実績は、752万台。これをピークにプラズマテレビの出荷台数は大きく減少。そこから2年後の2012年度にはわずか192万台にまで縮小した。
これだけの規模縮小にも限らず、先行投資したプラズマディスプレイパネルの生産拠点は、大規模な設備を持っていた。
すでに2007年に稼働した尼崎P4(PDP第4工場)までで、42型換算で年間1000万台の生産規模を確保。さらに、尼崎P5(PDP第5工場)では、年間1200万台の生産体制を整えるべく投資計画を打ち出し、合計で年間2200万台規模の需要にまで耐えうる体制を整えたのだ。
P5はほとんど稼働しないまま、事業終息を迎えることになったが、2012年度の192万台という出荷実績に比べると、想定したフル生産時の10分の1以下の生産量に留まったことになる。これだけの過剰投資は、当然のことながら経営に大きな負担となる。
さらに、海外での価格競争の激化や、急激な円安の進行により、日本国内でパネルを生産しているという体制が逆効果になった点も見逃せない。
2008年以降の日立製作所やパイオニアのプラズマテレビ撤退によって、国内ではパナソニック1社となったことも、プラズマテレビ陣営としての勢いを無くすことにつながり、逆に液晶テレビの躍進を後押しすることになったといえよう。
パナソニックは、すでに生産を行っていない大阪府茨木のP1、P2に加え、2014年3月末までには兵庫県尼崎市のP3、P4、P5の事業活動を停止する。
津賀社長は、「テレビ向けのパネルは、他社の購入を前提にする」と語る。液晶パネルは、姫路工場で自社生産しているが、自社生産分だけでなく、中小型テレビ向け液晶を中心に外部から調達する姿勢をみせる。また、次世代テレビの有機ELテレビも、パネルの自社生産は行わない姿勢をみせる。
プラズマテレビ事業の終息は、パナソニックに新たなテレビ事業の可能性を生み、そして、その反省をもとに新たなビジネスモデルで取り組むことになる。
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