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週刊セキュリティレポート 第52回

日本のサイバー刑法 その4

ついに成立したサイバー刑法に懸念点はないか

2012年08月06日 06時00分更新

文● 富安洋介/エフセキュア

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 第49回50回第51回とサーバー刑法を紹介してきました。成立した法律では、法案提出時に懸念点とされていた部分の多くは解消されているように見えます。それでは心配する部分はまったくないのでしょうか。

それでも残る懸念点

 この法律で、ウイルスを他人に被害を与える目的で作成や提供した人間以外が処罰されるようなことがあってはいけません。前回紹介した法務省「いわゆるサイバー刑法に関するQ&A」などの内容を見る限りは、そういった心配はほとんどないように思われます。しかし、払拭しきれていない部分があったのではないかと思います。

 1つには、処罰対象とされるコンピュータウイルスについて、もう少し限定的に記述するべきであったのではないかと思います。ソフトウェアには非常に多種多様なものがあり、何がウイルスなのか判断が難しいケースもあります。筆者はアンチウイルスベンダーの人間ですが、ウイルスとして検出するかどうかの判断が分かれる「グレイウェア」はアンチウイルスベンダーにとって頭の痛い問題となっています。法務省のホームページで公開されている「いわゆるコンピュータ・ウイルスに関する罪について」を見ると、プログラムの動作がウイルスかどうかを判断する観点として、以下の記述があります。

法務省ホームページ、「いわゆるコンピュータ・ウイルスに関する罪について」より抜粋。太字と下線は筆者によるもの

 「社会的に許容し得るもの」というのは、また随分あいまいな表現に思えます。

 たとえば、2010年に「岡崎市立中央図書館事件」と呼ばれる、蔵書検索システムから図書情報を取得するソフトウェア(クローラ)を作成し利用していたユーザーが逮捕されるという事件がありました。この事件では、クローラの動作について、専門家からはきわめて常識的な動作であると認識されるものの、捜査関係者からは攻撃プログラムと認識されたために「偽計業務妨害罪」での逮捕に至ってしまったという経緯があります。このような専門家と実際の捜査関係者とで、ITの常識に大きなギャップがある現状では、「社会的に許容し得るもの」という言葉はぶれ幅が大きすぎるのではないかと思います。

逮捕だけでも重大な影響がある点への配慮を

 前述のQ&Aなどの中では、繰り返し目的がない場合には罪の対象とならないことが繰り返されています。しかしたとえば、「ウイルスに感染したPCを放置した場合に、『無断で他人のコンピュータにおいて実行させる目的』で放置している」とみなされるようなことはないのでしょうか。

 もちろん、悪意をもってウイルスを拡散しているPCをこの法律で取り締まれないとすると、それはそれで問題です。しかし、感染に気付かず放置していたり、あるいは気付いたとしても何らかの理由で対策が行なえなかった場合に、逮捕される可能性はありませんでしょうか。たとえば、ウイルスの中には、OSのシステムファイルをマルウェアと入れ換えるようタイプがあります。このタイプは単純に削除してしまうとOS自体が動作しなくなるため、正規のファイルをコピーし直すなど、復旧に時間がかかるケースが考えられます。仕事や学業の都合などで、そういった復旧にかける時間を確保できず、しばらく放置されてしまうという可能性は十分にあり得るのではないでしょうか。

 法律に則れば、こういった事態は「無断で他人のコンピュータにおいて実行させる目的」ではないため、犯罪として成立しないと考えられます。ですが、捜査関係者にとっては、目的は外から見て簡単にわかるものではなく、捜査や取り調べを通じて見出していくものと思われます。実際に判決がどうなるかということだけでなく、逮捕や捜査による長期間の拘束というだけでも、十分に社会的に、また実生活上での影響が大きいといえます。

 法律設立時には、こういった懸念点があったため、法律の適切な運用を求める付帯決議が採択されていました。付帯決議には法的な拘束力はありませんが、捜査関係者には、逮捕や捜査のもつ社会的影響力を考え、この点を十分考慮することが求められているといえるでしょう。

警察庁による平成23年中のサイバー犯罪の検挙状況などについて。ウイルスに関する相談受理件数が、サイバー刑法が成立した平成22年より急速に増加している

筆者紹介:富安洋介

エフセキュア株式会社 テクノロジー&サービス部 プロダクトエキスパート
2008年、エフセキュアに入社。主にLinux製品について、パートナーへの技術的支援を担当する。


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