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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第1回

アニメでも箱庭は作らない 「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」監督に聞く【前編】

2010年07月17日 12時00分更新

文● 渡辺由美子

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ほのぼのの中で、戦争の実感を出す

―― 現実を入れるという点で言えば、カナタたちは、日常のすぐそばに戦争がある環境にいましたね。戦争というカナタたちにとっての当たり前を描くために、どんなことを考えられましたか。

神戸 最終的にはそこはファンタジーになってしまいますよね。自分たちの実感として、戦争の経験がないので。でも、その中で少しでも反映できたらと思ったのは、戦争の体験談です。僕の場合、世代的に父親や母親、叔父たちが戦争体験者なので。

 昭和10年生まれの父親の話で印象的だったのは、食べる物にすごく苦労したということでした。とにかくすべての記憶が食べることに結び付いている。遊びと呼んでいるものが「ぬすみ食い」だったらしくて。

 近所にイチゴ畑があって、みんなでほふく前進して這って進んでイチゴを採って、寝っ転がったまま食べるんです。じゃりじゃりの土がついたものをそのまま。畑の主に見つかったら、みんなでわーっと逃げるという「遊び」をよくやっていたという。

 作品で反映できたとしたら、そうした人たちの体験談ですね。

戦場などのシーンには、悲しみや苦しさだけではなく、そうした人間が感じる生身の体験がリアリティとして取り入れられている

―― 戦争のリアリティの出し方として、戦いの緻密な描写で出していく方法もあるかと思いますが、「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」では、それを人間の描写で出していったということですね。

神戸 ええ。だからこの作品で描いていたのは「終戦」の雰囲気なんですね。実際には停戦なんですけど、終戦の安堵感みたいなものが出るといいなと。街の人々の中には、まだ戦争のつらい記憶が生々しく残っているんだけれども、戦争自体はとりあえず終わったんだ、よかった、みたいな。

 第1話でオープニングにした、カナタが列車で赴任先のセーズの街に向かうところも、終戦の安堵感が出ればいいなと思ったシーンですね。役者さんたちにも、緊張がようやく解けたという感じでやって欲しいとお願いして演じてもらいました。

貨物列車にゆられて赴任先のセーズへ向かうカナタ。気のいい兵士からもらったキャラメル缶を持って(第1話OPより)

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