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【特別企画】「真の敵が現われている。自由を守るために行動しよう」─Richard Stallman氏が立教大学で講演

2003年05月01日 23時11分更新

文● 編集部

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Stallman氏はGNUプロジェクトを開始後、それまで在籍していたMITを離れ、GNUプロジェクトに専念するようになった。「MITにいると自由なソフトウェアを開発できなくなる危険があった。NDAにサインさせられるおそれがあったんだ。だからMITを離れることにした。私はそれ以来、仕事にはいっさいついていない」という。

1985年、テキストエディタ“emacs”を開発し、自由なソフトウェアとして提供を開始した。当初はFTPサーバを通じて配布していたが、当時はまだネットワークに接続されていないコンピュータを利用している組織も多く、「テープなどの有形メディアで送ってほしいという要望が多かった。だから、1本150ドルでテープを送ることにした。私はそれで、自分が食べていくだけの収入を得ることができた。そもそも暮らしていくのにお金はそれほど必要ではないんだ。高いものを買う、そのためにお金が必要、という悪循環に入らなければ、十分生活できる」。

一方、“フリーソフトウェア”なのに150ドルは高いという人たちもいたという。そのような主張に対しては「ここで言っている“フリー”は“言論の自由”のような意味なんだと説明している。無料かどうかは重要ではないんだ。だから、お金を払って手に入れた人もいれば、いっさいお金を払わずに手に入れた人もいるし、私ではない誰かにお金を払った人もいるかもしれない。でも、emacsが自由なソフトウェアであることには変わりないんだ」と説明したそうだ。

Stallman氏が考える自由とは、以下の4つを含んでいる。

0、実行する自由
ソフトウェアを実行するための目的などを制限してしまうのは自由ではない。プログラムを自由に走らせられること必要。
1、自分で修正したり研究したりする自由
ソフトウェアを自分のコントロール下におく自由がある。端末はソフト会社のものではなく、ユーザーのものであり、端末の上で動作するソフトウェアはすべての機能が開示されていなければ自由ではない。自由でないソフトウェアには、ユーザーの個人情報を知らない間にどこかに送信したりするといった“隠れた意味”やバグ、あるいは自分には合わないといった問題がある。そのような問題を解決するためには、ソースコードが公開されていて、自由に改良できなければならない。
2、隣人を助ける自由
友達にソフトウェアを分けて上げることが違法だとすれば、友情も違法だというのと同じ。隣人にソフトウェアを配布する自由が必要。人を助けるという大切な気持ちを当局や体制が否定するとしたら、大切な思いを損なうことになる。“海賊版”という言葉があるが、船を攻撃するのと隣人を助けることは意味が違う。人を助けることに恐ろしさを感じる世界はおかしいし、自由ではない。
3、自分のコミュニティを作る自由
改変したソフトウェアを自由に配布することで、自分のコミュニティを作る自由がある。かつてのMITのように、知識を共有するコミュニティを作る自由がある。

プログラミングができない人に対しても「社会全体に修正の自由があることは大切。プログラムができない人は、ソフトウェアをそのまま使うか、自分で勉強するか、ほかの人にお願いするかといった選択の自由がある。そしてそこにビジネスチャンスがあるんだ。私は85年からFSFで販売していた、emacsのカスタマイズをビジネスにしていた。自由なソフトウェアをサポートすることは、自由市場をサポートすることと同じだ。この仕事で私は年に7週間働くだけで生活できるようになった。ソフトウェアの改変は十分ビジネスになるんだ」と語った。

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