地デジの放送は「フルハイビジョン」じゃない
どっちにしても、ほとんどの視聴者にとっては画質なんてどうでもいい。問題は番組である。ところが地デジの番組はサイマル放送(アナログ/デジタル同時放送)なので、地デジでないと見られない番組はない。しかも「ハイビジョンの特長を生かした演出」は不可能だ。地デジの番組のほとんどは、アナログ放送と同じカメラで撮影するからだ。カメラのファインダーには16:9サイズの中に4:3の枠があり、カメラマンは(受信環境の大部分を占める)4:3に合わせ、16:9でも余計なものが映らないように撮影する。
こういう複雑な撮影は、動いている被写体で行なうのが大変なので、構図を気にする必要がなくて低予算のバラエティー番組が増えた。さらに「デジタル化経費」を捻出するため、下請けプロダクションに払う番組単価も削減されている。つまり番組の内容が画質の犠牲になるという、本末転倒が起きているのだ。しかしバラエティー番組に高解像度や大画面なんか必要ない。むしろ同じお笑い芸人の顔ばかり大画面で見ていると、気分が悪くなる。
さらに最近、多くのメーカーが売り物にしているフルハイビジョンというのは、消費者をあざむくものだ。地デジの放送は、周波数がフルハイビジョンの画素(1920×1080ドット)に必要な24Mbpsぶん確保できず、17Mbpsしかないため、1440×1080ドット、つまり4:3で放送して受像機で横に伸ばしているのだ。放送がフルじゃないのに、テレビだけフルにしても意味がない。地上波に限れば、普通に売っている1366×768ドットのテレビで十分だ(この違いは50インチ以上でないとわからない)。
地上波テレビしかない時代はもう終わった
海外で友人の家に行くと、リビングに大きなテレビが置いてあることはまずなく、奥の部屋に14インチぐらいのテレビがひっそり置いてあったりする。彼らにとっては家族や友人との会話や、読書や音楽が最上の娯楽であり、テレビはほかに娯楽のない貧しい人々のものなのだ。日本のように数チャンネルの番組を数千万人が見る国は、先進国ではほかにない。若者たちも、ウェブやケータイのようなパーソナルなメディアに移行し、単身世帯では半分もテレビをもっていない。
結局、わが家では2011年まで今のテレビを使うことにした。1日30分も見ていないので、それまでに壊れたら捨てる。DVDなどはPCのモニターで見られるので、不自由はない。地上波テレビは20世紀の遺物であり、今後は衛星放送やケーブルテレビ、さらにYouTubeやGyaoなどの多様な映像メディアと並ぶ媒体のひとつになるだろう。それは文化の多様性にとっても健全なことだ。
筆者紹介──池田信夫
1953年京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。1993年退職後。国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は上武大学大学院経営管理研究科教授。学術博士(慶應義塾大学)。著書に「過剰と破壊の経済学」(アスキー)、「情報技術と組織のアーキテクチャ」(NTT出版)、「電波利権」(新潮新書)、「ウェブは資本主義を超える」(日経BP社)など。自身のブログは「池田信夫blog」。
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