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アキバを作った“永遠の店長” ぷらっとホーム 本多弘男会長

“本多のオヤジ”のこと ――店舗の人 本多会長――

2008年07月17日 04時00分更新

文● 塩田紳ニ

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「本多通商からぷらっとホームへ」

 本多会長は、本多通商が立ち行かなくなって会社を整理したあと、ぷらっとホームという店の店長になった。その後、現在の「ぷらっとホーム株式会社」ができ、今に至る。今回は、同社の鈴木社長に、本多会長について伺った。

鈴木氏写真その1

ぷらっとホーム 代表取締役社長 鈴木友康氏

 鈴木社長は、ASCIIの「パソコン通信ハンドブック」に刺激され、通信に興味を持った。そしてこの本に掲載されている本多社長の写真を見て、本多通商へ行ったのがつきあいの始まりだという。当時、海外では、すでにパソコン通信サービスがブームで、いくつもサービスが立ち上がっていた。日本でも、法律が改正され、ユーザーがモデムを自由に接続できるようになった。実はこれ以前は、電電公社(現NTT)に申請を出し、モデム自体も電電公社から購入する必要があった。ところが上記のように電話機が自由化され、ユーザーはモデムも自由に買ってきて接続できるようになったのである。パソコン通信は、こうした状況にうってつけのアプリケーションだったのだ。当時は、PC-9801シリーズが全盛期で、ワープロや表計算といったソフトウェアにより、普通のオフィスでも利用が始まりつつあった。その中でパソコン通信は、趣味として、パソコンの新しい応用分野として注目され、多くの店がモデムなどを扱い始めていた。

 当時(というよりも1985年よりも少し前だと記憶している)、本多会長は、米国の「The SOURCE」や「CompServ」というパソコン通信サービスの代理店になったり、スターターキットを扱っていた。当時は、店頭で、スターターキットを購入、それに含まれている通信ソフトやIDを使ってサービスにアクセスし、本契約をするというのが一般的な形だった。

パソコン通信ハンドブック 実践編表紙

「パソコン通信ハンドブック 実践編」 文中登場した「パソコン通信ハンドブック」の続編。ここにも本多会長が登場している

本多会長が登場しているページ。本多通商が運営するネットワーク「JANIS Japan Amateur Network Information Service」の紹介記事だ (事情により、写真を一部改変しています)

 通信が縁で、鈴木社長は、本多会長とつきあうようになる。その後、大学を卒業して日商岩井に就職、通信ビジネス関連の部署に配属された。しかし、その仕事の中で、本多社長と出会うことも少なくなかったという。米国のサービスや機器などの代理店をたどると本多さんがこれを日本で扱っていたからだ。本多社長は、新しもの好きである。ちょっとでもブームの兆しが見えると、それを米国から買ってきて店頭に並べる。だから、本多通商には、普通の店にはないような製品が多かったのだ。

 そうしているうちに、本多通商がうまくいかなくなってしまう。会社を整理したあと、しばらくして、本多会長は、「ぷらっとホーム」という店の店長になる。電子部品を扱う会社が運営する秋葉原の店舗で、本多会長は、また、「店長」になったのだ。

 ぷらっとホームはワークステーションを扱うなど、やはり普通の店ではなかった。筆者は、当時、某社でワークステーション関連の仕事に携わっていたのだが、そこで本多会長と再会することになった。プラットホームでワークステーションを扱うということで挨拶にみえたのである(もちろん筆者にではなく、事業本部長にだが)。ただ、設計のエンジニアの中には、やはり本多通商に出入りしていた者が少なくなかった。本多会長は、何人かを呼び出しては、「また、店にも来てよ」と言っていた。

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