コンビニのおにぎりはおいしいけれど、ある水準以上にはならない
[遠藤] さっきは耳欲って表現しましたけど、この欲求を食欲に例えると「コンビニのおにぎりはおいしいけど、ある水準以上にはならない」みたいなところでしょうか(笑)。話のレベルを下げちゃってすいませんが。
[麻倉] 生きていくには全然問題ないですけれども、それ以上のおいしい生活をするには足りないって意味では、まったく同じだと思いますよ。
「CDやウォークマンがいけない」と言えるかもしれない。アナログレコードの時代はがんばらなければ、いい音がしなかったんです。それなりの投資をしないといけないし、だからこそ女の子も部屋に呼べる。「俺、結構がんばったぞ」って。でもCDをヘッドホンを聴けば、そんなに考えなくてもそこそこいい音で聴けてしまうでしょ? これが、一種の平準化を生んでしまった。
音楽の楽しさを知るための場をもっと
[遠藤] 個人的にはラジオのガッカリ度も影響してるんじゃないかと思います。“FM放送のAM化”みたいなこともずいぶん言われてきましたが、身の回りでいい音楽に触れる機会ってずいぶんと減ったんじゃないですかね?
昔のラジオ放送には、学校みたいな意味合いもあったと思うんです。その曲にまつわるエピソードもあれば、ライナーノーツのようなものもある。ジャズだったら、演奏しているミュージシャンの不幸なバックグラウンドとか。そういう広がりを知るチャンスがすごくあったと思います。
[麻倉] 背景や誰がどんな風に演奏したものかっていう情報もそうなんだけれど、曲の聞き所をしっかりと伝えてくれていたと思いますね。『題名のない音楽会』の山本直純とか、黛 敏郎とか。昔はテレビでもラジオでも、うんちくがたっぷりあって本当に面白かった。ところがいまはそういう番組が減っている。唯一N響アワーで池辺晋一郎先生がときどきピアノを弾きながら解説するぐらいです。アナリーゼ(分析)をしっかりやってあげることで音楽への興味がもっと増すと思うんですよね。
そう考えて「名曲が名曲たるゆえんって何でしょう?」っていう内容の講義を津田塾大学でしています。「一生使える音楽の鑑賞力を付けよう」というのが目標で、「音楽にはひとを感動させるしかけがあって、それをうまく活用できているのが名曲なんですよ」と教える。「この曲のどこがあなたのこころをくすぐるのか考えてみよう」というのが内容です。
[遠藤] なるほどね。そういうの、もっとやってほしいですね。
デジタルはゼロと1なんかじゃない
[麻倉] FM放送が、いまみたいな雰囲気になっちゃったのには、レンタルレコードの影響が大きいと思いますよ。昔はレコードも高かったから、みんなエアチェックしていました。でも、レンタルなら聞きたいものを、聞きたいときに借りられる。単にヒットチャートを追いかけたいだけなら、いつ流れるか分からない放送よりも便利になった。
「それなら」と、ラジオは別の道筋を探るわけです。「アメリカ風のDJがトークしながら、バックグラウンドでかっこいい音楽を流すぞ」って、そんな“クルージングミュージック”的な色彩が強くなってきましたよね。でも、NHKのFMは今も昔も、大きくは変わってないですよ。
[遠藤] 大卒の初任給が2万円の時代にレコード1枚が2000円とか、いまでは考えられないぐらい高級品でしたからね。
[麻倉] 僕は基本的にライブ派だったから、せっせと録音し続けてきたんです。契約上の関係もあって、基本的にライブはレコードにはならないんです。録らなければ一生聴けない。そういう一期一会の関係なんです。
僕はFMの音が大好きです。アナログらしい“いい音”がする。面白いのは、FM放送で流れている音も元はデジタルなんだってところです。CD初期の時代に、デジタル録音した音をわざわざスチューダーの2トラック38cm/秒のテープに保存して、もう一度デジタルに戻すっていうテクニックがありました。一度FMというアナログの段階を通って出てきた音はとても優しい雰囲気になるんですよね。
[遠藤] 音楽の話とは離れてしまうのですが、日本のコンピューター教育のとんちんかんなところは、最初から「コンピューターはゼロと1で動いている」と教えることだと思うんです。でも、プログラムを書いて自分の実現したい世界がある人にはまったく関係ないことで、一部のハード屋さんだけが意識すればいい。コンピューターだってアナログを目指しているはずなのに、先にへんな先入観を与えてしまう。
[麻倉] デジタルっていうのは曖昧さを残さないから、必然的に硬くクリアーな方向に行くし、まったりとはしないですよね。でも、究極的に言うと「デジタルの目的はアナログだ」とも言えるんです。そう言う意味では、デジタルの明瞭感に、アナログ的なフレーバーをどのぐらい入れるかが、今後重要になってくるはずです。
(次のページに続く)