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科学技術振興機構の広報誌「JSTnews」 第61回

【JSTnews1月号掲載】イノベ見て歩き/戦略的創造研究推進事業ACT-X「水媒介架橋による細胞機能発現を促す人工ECMの実現」、研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP)産学共同(育成型)「細胞に合わせたテーラーメイド型培養基材の開発」

量子ビームが生み出す新しい細胞培養用ゲル材料

2026年01月15日 12時00分更新

文● 島田祥輔/写真●島本絵梨佳

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大山 智子。量子科学技術研究開発機構 高崎量子技術基盤研究所 上席研究員。2020~25年ACT-X研究代表者/2022~26年A-STEP研究責任者

 社会実装につながる研究開発現場を紹介する「イノベ見て歩き」。第27回は、ガンマ線や電子線などの量子ビームを使って、細胞を体外で培養するための土台と なるたんぱく質ゲル材を開発している、量子科学技術 研究開発機構高崎量子技術基盤研究所の大山智子上席研究員に話を聞いた。体内環境を再現することで、創薬や再生医療にも活用できると期待されている。

産業や医療を支える基盤技術
「細胞に合った環境」を作る

 群馬県高崎市にある高崎量子技術基盤研究所は、季節によってはチョウやトンボが飛び交う自然豊かな場所だ。その自然に囲まれるように、さまざまな量子ビームの照射施設がある。量子ビームとは、高度に制御した放射線のことで、ガンマ線や電子線、イオンビームなどがある。先端材料の開発やがん治療などにも使われており、産業や医療を支える基盤技術だ。

 同研究所の大山智子上席研究員は、大学生の時に量子ビームの可能性に惹かれ、研究を始めた。大山さんは「量子ビームは、分子や原子といった小さいレベルで物質の性質を大きく変えることができます。これによって、人の役に立つ材料を作ることができるのではないかと考えました」と当時を振り返る。半導体製造におけるナノ加工において、目的とする化学反応を効率良く引き起こすための量子ビーム照射技術の開発を続けてきた中で、同研究所に入った時に細胞培養の課題を知ったことが転機となった。

 細胞培養とは、プラスチック製などの容器上で細胞を増殖、維持することだ。細胞の性質を解析したり病気の原因を解明したりするために欠かせない実験だが、細胞が接する容器は体内とは全く異なる環境のため、体内と容器上では細胞の振る舞いが変わってしまうことが多い。大山さんは「私たちが自分に合った布団でないと眠れないようなもの」とユーモアのある例えを添えながら「生命科学には詳しくなかったのですが、目に見えないほど小さな細胞が環境に左右されることに驚きました。そこで、私の専門分野である量子ビームで、細胞培養に適した材料を作ることを目標にしました」と話す。

テーラーメイド型の研究開発
姿勢保つ「遅筋」の作製に成功

 細胞は、体内では細胞外マトリックス(ECM)と呼ばれる構造に囲まれている。ECMの主な成分はコラーゲンというたんぱく質であり、体内からECMを抽出、精製するとたんぱく質がバラバラになる。そこで、化学薬品を使ってたんぱく質を再びつなげ、それを土台にして細胞を培養する方法がある。しかし、化学薬品の使用には大きな課題があると大山さんは指摘する。「細胞は、たんぱく質の中にある『細胞接着配列』という部分に接着して成長します。化学薬品は細胞接着配列を壊してたんぱく質をつなげてしまうため、細胞が接着しにくくなるという根本的な問題がありました」。

 そこで大山さんは、JSTの戦略的創造研究推進事業ACT-Xに応募。たんぱく質の加工技術を開発し、実際に培養基材として使うための研究開発に取り組んだ。その結果、たんぱく質の水溶液にガンマ線や電子線を照射すると、水分子が分解されてOHラジカルという酸化力の強い活性酸素が発生し、たんぱく質を結合させてゲルを形成することがわかった(図1)。この時、細胞接着配列以外の部分を主に使うため、細胞はたんぱく質ゲルに問題なく接着する。また、ガンマ線や電子線は滅菌効果を持つため、ゲル材作製と同時に培養に適した滅菌ゲルになるというメリットもある。

図1 たんぱく質の水溶液に量子ビームを照射すると、水が分解されOHラジカルが発生する(左)。フェニルアラニン(F)やチロシン(Y)など特定の部位にOHラジカルが導入されて架橋点になり(中央)、たんぱく質が結合してゲル化する(右)。

 大山さんの開発したたんぱく質ゲル材は、成分・硬さ・形状を高精度に制御できる。使用するたんぱく質の種類を変えれば成分が変わり、その濃度や量子ビームの照射量を変えることでゲルの硬さを調節できる。また、量子ビームを照射する時に型に当てておくと、表面にマイクロメートル単位の幅を持つ凹凸構造を作ることも可能だ(図2)。

図2 プラスチック容器の底に形成したたんぱく質ゲル材。色が付いているように見えるが、これはマイクロメートル単位の凹凸構造での光反射によるもので、実際には無色透明である。

 2022年からは、JSTの研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP)で、培養する細胞の種類ごとに適したテーラーメイド型のたんぱく質ゲル材を作るという研究開発に取り組んでいる。その成果の1つが、筋肉のうち姿勢や日常動作を支える「遅筋」の培養だ。従来の容器では遅筋の性質を持つ筋肉を培養できないため、筋肉の病気や、加齢による筋肉の衰えなどが原因で心身の活力が低下するフレイル予防の研究が十分に進んでいない。大山さんが、体内の筋肉の柔らかさと線維形状を再現したゲル材を作製し、その上でマウスの筋肉細胞を培養したところ、従来のプラスチック皿で培養した時よりも遅筋に特徴的な遺伝子の発現量が上昇し、線維状に整列することが明らかになった(図3)。「周囲の環境を整えるだけで細胞の振る舞いがこんなにも変わるのかと、筋肉の研究をしている専門家も驚いていました」と大山さんは話す。

図3 筋肉細胞を従来の硬い培養皿で培養しても遅筋の特性は示さず、細胞の向きもそろわないが(左)、体の中の筋肉の柔らかさや線維形状を模倣したゲル材で培養すると、遅筋の特性を持つ整列した筋肉細胞が得られる(右)。

企業と連携し幅広い応用実現へ
フレイル予防や創薬貢献に期待 

 今回の成果は、フレイルの予防や改善につながる研究だけでなく、薬や機能性食品の開発における実験、さらには培養肉の作製などへの活用が期待されている。他にも、再生医療における細胞シートの作製にも応用できると考えられており、すでに動物実験では、大山さんが開発したたんぱく質ゲル材を使って培養した細胞シートの移植実験の有効性が示されている。今後は企業と連携して、ゲル材作製法の最適化や品質管理にも取り組みたいとしている。

 また、大山さんは現在、他の研究者と共に「生体模倣システム」の創出を目指している。これは、組織や臓器の機能や環境を手のひらサイズで再現したバイオデバイスだ。iPS細胞から各種細胞を作り、大山さんのたんぱく質ゲル材上で培養した組織モデルや臓器モデルを配置し、さらにその応答を検出するナノ粒子型センサーなどを加えて構成する。これにより薬の効果や毒性、疾患のメカニズムなどを詳細に解析できるようになり、動物実験の代替手法として期待されている。量子ビームという物理学を生命科学に活用する学問融合が新しい培養技術を生み出す、まさにイノベーションの好例といえる研究だ。

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