遠藤諭のプログラミング+日記 第174回
我々は「AIがあるかないかの野蛮な時代の人たち」として理解されなくなっていく
レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチは『鉄腕アトム』のように見るべきなのか?
2025年01月07日 09時00分更新
レオナルド・ダ・ヴィンチがなんでも発明したわけではない
実家に帰ると自分がむかし読んだ本と対面することがある。今年の正月は、母親から「これはお前の本だろう」と澁澤龍彦の『太陽王と月の王』(大和書房刊)を渡された。1980年に出た本で、そのまま開いて読み始めたのだが、いま読んでもとても面白い。
ZEN大学のITの歴史の授業で、コンピューター以前の計算が目的ではない機械の話までたどることにした。「自動人形」や「チェスマシン」が、それぞれの時代に作られて、それがコンピューターに繋がっていくからだ。自動人形(オートマタ)は、そのままコンピュータサイエンスの用語「オートマトン」の語源になっている。それらに関する私の関心は、澁澤龍彥から始まったものだった。
『太陽王と月の王』には、「知られざる発明家たち」と題してレオナルド・ダ・ヴィンチがちゃっかりアイデアをいただいた(この表現、澁澤龍彥氏による)と思われる、ほぼ確実な3人の発明家を紹介している。レオナルド・ダ・ヴィンチといえば、さまざまな機械のアイデアを描いたスケッチがよく知られている。
ダ・ヴィンチが、ヘリコプター、潜水服、パラシュートなどさまざまなものを発明したと言われがちである。私も、ダ・ヴィンチの「自動回転式BBQマシン」は好きでミニチュアフィギュアも大事にしているのだが、澁澤は「彼のノートにスケッチされている機械が、すべて彼の発明であるかどうかは大いに疑わしい」と書いている。
その発明家3人というのは、ルネサンス期における最初の軍事技術者といえるコンラッド・キーザー(Konrad Kyeser)、タッコラ(Taccola)の名でも知られるマリアヌス・ヤコブス(Marianus Jacobus)、ダ・ヴィンチより10歳年上のフランチェスコ・ディ・ジョルジオ(Francesco di Giorgio Martini)だそうだ。
これら3人について、キーザーとタッコラは、Wikipediaの日本語ページがない。同時代の技術者・建築家であるフィリッポ・ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi)は、さすがに超有名なので私も知っている。日本で知られている「コロンブスの卵」のエピソードは、実は、ブルネレスキの話が日本の教科書で間違って伝えられたものである(「横井軍平指数」の高いiPhoneゲーム)。
コンラッド・キーザーに関しては、15世紀はじめからその著書は広くヨーロッパに広まっていた(読んでいただろう)。フランチェスコ・ディ・ジョルジオに関しては、フィレンツェのラウレンティアーナ図書館にある彼の著作には、レオナルド・ダ・ヴィンチによる書き込みがある。マリアヌス・ヤコブスについては、その発明がレオナルド・ダ・ヴィンチの技術スケッチの元になっていることが知られているらしい(単なる私の不勉強)。
澁澤によると、「ダ・ヴィンチは、子供のころから自分に興味のあるものは何でもノートに書きとめておく習慣だった」のだそうだ。前述のブルネレスキはクレーンやウィンチで知られているが、彼のウィンチは、タッコラもダ・ヴィンチもスケッチに描いている。特許も学会もないルネサンス期の技術は、ちょっとオープンソース・ソフトウェアに似たところがある。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、生まれながらの天才で、ずば抜けた構成力の持ち主なのは間違いないだろう。解剖やそのスケッチも、同じように先人はいるわけだが、圧倒的な描写力で説得力を持って迫ってくる。それに対して、キーザーやタッコラのスケッチは、エンジニアのアイデアノートみたいな「絵は下手だが言いたいことがある」という感じである。唯一対抗できるのは、彫刻家・画家でもあったジョルジオで、ウィトルウィウス的人体図はダ・ヴィンチに影響を与えたと考えられているらしい。
ここで一歩引いてみるべきは、澁澤も指摘しているとおり、彼の技術はあくまで実験室的で実用には適しないものが少なくなかったことだ。レオナルド・ダ・ヴィンチが、長きにわたって評価されていたのは画家としての才能だったのだ。そのテクノロジーに関するスケッチは、ダ・ヴィンチが思いめぐらせたものが現出したもので、手塚治虫の『鉄腕アトム』のような気分で見るべきだといったら言い過ぎだとは思うが。
スマホ感覚で、何冊もの本をどんどん読んでいける16世紀のハイパー読書機
『太陽王と月の王』で、3人の発明家の次に「やっぱり出てきた!」となったのは、私の大好きなアゴスティーノ・ラメッリ(Agostino Ramelli)の「回転式書見台」である。ラメッリのほうは、レオナルド・ダ・ヴィンチよりも後の人間で、ダ・ヴィンチの死後10年ほどして生まれたイタリア出身の技師、軍事技術者である。
ラメッリについては、週刊アスキーのコラムで一度だけ触れている(紳士のたしなみに学ぶ、プログラミングの話)。そこでも紹介したのが、その著書『種々の精巧な機械』(Le diverse et artificiose machine=1588年刊)に掲載されている「回転式書見台」だった。
どんな機械かといえば、見てのとおり大きな木製の回転装置にのせた12冊の本を次々に閲覧することができるというものだ。いまから450年ほど前にも本好きがいて彼らの気持ちと通じ合えるような気もするし、21世紀のいま我々がスマートフォンでザッピングしてサイトやSNSを次々見ている感覚に近い気もする。
ラメッリの『種々の精巧な機械』は、日本の古本屋で検索すると復刻版がいくつか登録されているが、たいていかなり高いお値段になっている。なかなか買えなかったのだが、いまやInternet ArchiveやThe Science History InstituteのMuseum & Libraryなど、ネットで閲覧、あるいはダウンロードできる。
読んでみると、195個もの機械についてイタリア語とフランス語の対訳で解説がされている。「回転式書見台」については、「これは美しく、芸術的な機械で、研究が好きな人、そのなかでも体調がわるくなりやすい人には非常に便利です」などと書かれている。また「回転しても本は同じ状態を保つ」ことが特徴であり、「大きくも小さくも作ることができる」とある。そして、作りたい人は車輪の各部分の比率を観察すればできるようにしてあるとも書かれている。
たしかに、ホイール部分はカットモデルになっているし中身らしい歯車の組み合わせも分かるように描かれている。しかし、この歯車の組み合わせで本当に同じメカが作れるかというと少々あやしい。ちょっと無責任な感じがするのだが、ご興味のある方は原文をご覧あれ(イタリア語、フランス語ができなくてもグーグルレンズとChatGPTの翻訳でバッチリ読める)。
ラメッリの本の絵の情報だけで回転式書見台を作れるのか? と書いたのだが、割と最近、これを作ったというニュースを見たことがあるかもしれない。2018年に、米国ロチェスター工科大学のケイトグリーソン工科カレッジの学生グループが2つの回転式書見台を製作しているのだ。この書見台については、ロチェスター工科大学の「Turning the gears of an early modern search engine」というニュースや、アトラス・オブスキュラの記事に詳しい。
ところで、この回転式書見台についてFacebookにポストしたところ、ASCII.JPでもしばしばお世話になっている塩田紳二氏が「これって、機械式Memexって感じですよねぇ」とレスを付けてきた。
Memexというのは、コンピューター以前の科学技術計算に使われた微分解析機で知られる米国の研究者ヴァネヴァー・ブッシュが1945年に示した「情報機器」のアイデアである。ハイパーテキストの概念が登場したことで有名だが、その本質は「計算処理」から「情報処理」へという歴史的転換を高らかにうたったことかもしれない。
しかも、個人の能力に焦点を当てたところに凄みがあった。本やメモや通信の記録など、人間の記憶を拡張し補完する。それは、当時は誰もが知っていたマイクロフィルムや電気機械式の制御機構といった技術で作れるじゃないかと示してみせた。
そうした理想の機械を妄想したのだとすると、たしかに、理想の読書環境を考えたラメッリの「回転式書見台」は、このMemexにとても近いものに思えてくる。ハイパーテキストの情報から情報へのリンクは、回転式書見台の本から本への回転で置き換えられる。
ところが、前述のアトラス・オブスキュラの記事によると、17世紀から18世紀には「回転式書見台」に相当するものがいくつも作られているのだそうだ。ラメッリの回転式書見台は、その後、さまざまな国の人々に翻案されるほどの人気アイテムだったというのは、私も知っていた。しかし、実際に作られてもいたとは今回調べてはじめて知ることができた。Wikipediaの回転式書見台の英語記事(Book Wheel)を見てほしい。いくつもの回転式書見台の写真が掲載されているではないか。
これらの写真を見ていて改めて気が付くのは、ラメッリの時代の本は、やたらと大きくて重いものが多かったと思われることだ。欧米の本は、いまでもやたらと大きくて重いものがある。16~18世紀といったら革装でラメッリも書いているように体調がわるくなりやすい人には、この書見台が有難いと思えるような物体だったことが十分考えられる。
ということは、私は、根本的なところで勘違いをしていた可能性がある。「16世紀にこんなザッピング感覚のトンデモな機械を妄想した奴がいた」とか「こんな無駄っぽい機械は大好きだ」というのは、少々的外れの可能性がある。というのは、同じ『種々の精巧な機械』にのっている機械のほとんどは、実用目的と考えられるものがほとんどだからだ。当時の主要な動力源の1つは水なので、水を扱う回路設計を思わせるものが多い。
回転式書見台ほどではないが、有名なものにロータリーポンプを説明した図がある。
我々は「AIがあるかないかの野蛮な時代の人たち」と言われるようになる
レオナルド・ダ・ヴィンチにしても、アゴスティーノ・ラメッリにしても、専門家の方もおられるのだと思うが、500年も前の人たちなので謎の部分も多い。それを私も含めて専門家でない人が、何かの説明のために「この人がスケッチを描いている」などと引用すると、伝聞的に「その人が発明した」くらいの変化はおきてしまいそうである。
いちばんありそうなのが、「偉人伝」と言われる子ども向けの本などで、わかりやすく周囲のことを省略してしまう。するとその人物だけがスーパースターとなりがちである。私は、たまにKADOKAWAのまんが学習シリーズの歴史本のお手伝いをさせてもらうことがあるのだが、かなり丁寧に編集していても紙幅には限りがある。ダ・ヴィンチ以前の3人の発明家の存在がなくなってしまいそうである。
澁澤龍彦は、コンラッド・キーザーとマリアヌス・ヤコブスとフランチェスコ・ディ・ジョルジオの3人の名前くらいは憶えておいてよいだろうと書いているのだが、この3人の名前を空で言える人は少なくとも日本ではあまりいないと思う。
「回転式書見台」も、21世紀に注目されるのは、メディアがすっかり変わって本の重さのことが忘れられはじめているからだなどと言いたくなくる。
我々が500年前のダ・ヴィンチやラメッリの時代を正確につかめないのだとしたら、我々の時代は将来的に理解されるだろうか? 「AIがあるかないかの野蛮な時代の人たち」くらいにおおざっぱにまとめられる可能性があると思うのだがどうだろう。その道をまっしぐらに向かっているのが、2025年のいまなのではないか?
遠藤諭(えんどうさとし)
株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。MITテクノロジーレビュー日本版 アドバイザー。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役などを経て、2013年より現職。趣味は、カレーと錯視と文具作り。2018、2019年に日本基礎心理学会の「錯視・錯聴コンテスト」で2年連続入賞。その錯視を利用したアニメーションフローティングペンを作っている。著書に、『計算機屋かく戦えり』(アスキー)、『頭のいい人が変えた10の世界 NHK ITホワイトボックス』(共著、講談社)など。澁澤龍彦は、16歳か17歳の頃に『澁澤龍彦集成』(桃源社)に収録された「黒魔術の手帳」あたりから興味を持った。
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