画像クレジット:Andrew Ng via Linkedin
アンドリュー・エンは、地球温暖化対策の一つとなり得る「成層圏エアロゾル噴射(SAI)」の影響を予測するAIエミュレーターを開発した。記者も実際に試してみた。
人工知能(AI)のパイオニアであるアンドリュー・エンが、シンプルなオンラインツールをリリースした。太陽地球工学モデルのパラメータをいじって、各国が反射粒子を大気中に散布して気候変動に対処しようとした場合に何が起こるかを試せるエミュレーターである。
太陽地球工学の概念は、1991年にピナトゥボ山が2000万トンもの二酸化硫黄を成層圏に噴出した時など、大規模な火山噴火の数カ月後に地球が寒冷化したことに気づいたことから生まれた。しかし、批判派は、このような物質を意図的に放出することには様々な逆効果があり、中でも、世界の特定の地域に被害をもたらしたり、温室効果ガスの排出削減の取り組みを阻害したり、あるいは国家間の対立を引き起こしたりする可能性があると懸念している。
エンが作った「プラネット・パラソル(Planet Parasol)」と呼ばれるエミュレーターの目的は、より多くの人々に太陽地球工学について考え、このような介入に伴う潜在的なトレードオフを探り、その結果を気候変動対策の選択肢について議論・討論する際に役立ててもらうことである。コーネル大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校、その他の機関の研究者たちと共同開発したこのツールは、AIが太陽地球工学の理解を深めるのに役立つ可能性についても光を当てている。
プラネット・パラソルの現バージョンは必要最低限の機能のみを備えている。ユーザーは、様々な排出シナリオと、ピナツボ火山噴火の25%から125%までのさまざまな量の粒子を選択できる。
プラネット・パラソルは2100年までの地球温暖化レベルを表す2本の分岐線を表示する。1本は太陽地球工学による介入をしない場合の気温の着実な上昇を示し、もう1本は選択したシナリオで温暖化がどの程度抑えられるかを表している。このモデルでは、ヒートマップ上で地域ごとの気温の違いを強調表示することもできる。
また、数十年にわたるさまざまな介入の程度を、上昇、下降、または曲線で表示し、反射性エアロゾルが放出された場合に何が起こるかを確認することもできる。
私は「終端ショック(termination shock)」と呼ばれるシナリオをシミュレーションしてみた。世界が太陽地球工学を高いレベルで利用した後、何らかの理由で突然これを中止または縮小しなければならない場合、気温がどれほど上昇するかを調べたのだ。その後起こりうる急激な温暖化は、地球工学のリスクとしてよく挙げられる。モデルでは、世界気温は、その後数年のうちに急速に上昇すると予想している。ただし、このシミュレーションにおいては、各国がそもそもこのような介入をしなかった場合の曲線にまで完全に戻るには数十年かかる可能性がある。
はっきりさせておきたいのは、これは温暖化と地球工学が最大限にまで進んだ場合の、誇張されたシナリオであるということだ。このようなことを提案している人は誰もいない。私は、何が起こるのか確かめるために、あれこれと試してみたのだ。なぜなら、エミュレーターではそれが可能だからだ。
自身でもこちらで試すことが可能だ。
エミュレーターは、簡素化された気候モデルである。地球の複雑に絡み合ったプロセスをシミュレーションするわけではないため、精度はそれほど高くない。しかし、実行に要する時間や計算能力は、それほど多くは必要ない。
外交官や政策立案者は、温室効果ガス排出に関して導入する可能性のある規則や義務がどのような影響をもたらすかについて、迅速かつ大まかに理解するために、エンローズ(En-ROADS)のような気候エミュレーターをよく使用する。
プラネット・パラソルのチームは、特に様々な太陽地球工学シナリオが与えうる影響を評価できる同様のツールの開発したかったのだと、コーネル大学の太陽地球工学を専門とする気候科学者で、プラネット・パラソル(およびそれ以前のエミュレーター)の開発に貢献したダニエレ・ビジョニ助教授は言う。
気候モデルは着実に高性能になり、地球のシステムプロセスをより高い解像度でシミュレートし、その過程でより多くの情報を出力するようになっている。AIは、そのデータから意味や理解を引き出すのに適している。膨大なデータセット内のパターンを特定し、それに基づいて結果を予測する能力も向上している。
スタンフォード大学のエンの機械学習グループは、増え続ける気候関連の一連のテーマにAIを適用している。 他のプロジェクトでは、メタン排出源の特定、森林伐採の要因の認識、太陽エネルギーの供給可能性の予測をするツールを開発している。エンは、スタンフォード大学で開かれているAI・フォー・クライメート・チェンジ(AI for Climate Change)のブートキャンプの監督も支援している。
しかし、気候変動の脅威と、研究分野の発展におけるAIの役割を考慮して、エンは太陽地球工学(太陽放射管理、solar radiation management:SRMと呼ばれることもある)の可能性を探求することにますます多くの時間を費やしていると語る。
気候変動への対策として「できることはたくさんあり、社会全体で取り組むべきです。何よりもまず脱炭素化です」と、エンはメールに綴った。「そして(脱炭素化に加えて)、SRMはエンジニアや研究者が大きな違いを生み出せる分野のひとつであることから、私は今、気候関連の取り組みのほとんどをSRMに注力しています」。
2022年の論文で、エンはAIが太陽地球工学の研究においていくつかの重要な役割を果たす可能性があると指摘している。その役割には、反射粒子を散布する「高高度ドローンの自律的操縦」、特定の地域における地球工学の影響のモデリング、手法の最適化などが含まれる。
プラネット・パラソル自体は、リーズ大学とオックスフォード大学の研究者が開発した別の気候エミュレーターを基に構築されている。この別のエミュレーターは、物理法則に基づいてさまざまなシナリオにおける地球の平均気温を予測する。エンのチームは機械学習を活用して、太陽地球工学のさまざまなレベルから生じる局所的な冷却効果を推定したと、スタンフォード大学の研究グループに所属する大学院生のジェレミー・アーヴィンは言う。
しかし、このツールの現行版の最も明白な限界のひとつは、結果があまりにも魅力的に思えることだ。私がテストしたシナリオでは、太陽地球工学によって今後数十年間の気温上昇予測がきれいに打ち消されていた。そうなるのもわかる。
そのため、このようなツールを気軽に使うユーザーは「素晴らしい、やってみよう!」と結論づけるかもしれない。
しかし、太陽地球工学が世界平均の気温上昇抑制に役立つとしても、保護オゾン層の破壊、局地的な降雨パターンの乱れ、農業生産性の低下、感染症の分布変化など、依然として負の影響を与えることが考えられる。
これらの影響は、今のところ結果には組み込まれていない。さらに、気候エミュレーターは、非常に複雑な社会問題に対処するようにはできていない。たとえば、このような可能性を研究することが、気候変動の根本原因に対処する圧力を軽減することにつながらないだろうか?地球規模で機能するツールを、地球規模で公平に管理することは可能だろうか?プラネット・パラソルは、これらの質問に答えることはできないだろう。
バッファロー大学の環境社会学者で『アフター・ジオエンジニアリング(After Geoengineering。未邦訳)』の著者であるホーリー・バック助教授は、同様の観点から、このようなツールのより幅広い価値に疑問を投げかけている。
太陽地球工学についてバック助教授が調査をしたフォーカスグループでは、人々はモデルが作り出した結果を見なくても、温暖化を抑制できるというコンセプトを容易に理解することが分かった。
「人々は、何がうまくいかない可能性があるのか、降水や異常気象にどのような影響があるのか、誰がそれを制御するのか、問題の根本に対処できないことが人類の存在にとって何を意味するのか、などについて知りたいと思っています」と、バック助教授は電子メールで述べた。「そのため、実際に誰がこれを利用し、どのように利用するのかを想像するのは困難です」。
ビジョニ助教授は、研究チームは何よりもまず、主要な課題と懸念を強調するようにしていると説明した。さらに、不確実性、トレードオフ、地域への影響をより総合的に実感できるように、時間をかけてツールを改善していくつもりだと付け加えた。
「これは難しいことで、皆さんの見解には私もかなり苦慮しました」と、ビジョニ助教授はメールに綴った。「しかし同時に、完璧で繊細な分析ができるバージョンの登場を待つよりも、指摘を書き留めてユーザーからのフィードバックを活用して改善していくことに価値があるという結論に達しました」。
ツールの価値について、アーヴィンは、温度低下が明確に示されることで「より強い、より持続的な印象」を与えることができると付け加えた。
「私たちは、潜在的な実装に先立ち、その他の懸念領域に関する科学を前進させるためのさらなる研究を呼びかけています。そして、このツールが成層圏エアロゾル噴射(stratospheric aerosol injection:SAI)の効能を理解し、今後の研究を支援する一助となることを願っています」とアーヴィンは述べた。