若手ディープテック研究者の育成を支援する産業技術総合研究所(産総研)の「覚醒プロジェクト」。この連載では、2023年度の覚醒プロジェクトに採択された研究者の研究内容を紹介する。
今回は、深層学習を使った条件付き逆問題解法によるマテリアル開発でカーボンニュートラル社会の早期実現を目指す、東京大学大学院 工学系研究科マテリアル工学専攻の藤井亮宏さんだ。
- 研究実施者:藤井亮宏(東京大学大学院)
- 研究テーマ:深層学習を使った条件付き逆問題解法によるマテリアル開発で,カーボンニュートラル社会の早期実現を目指す
- 担当PM:牛久祥孝(オムロンサイニックエックス株式会社プリンシパルインベスティゲーター)
カーボンニュートラル社会のために、マテリアル探索を効率化
カーボンニュートラル社会の実現に向けて注目を集めているのが、ペロブスカイト型太陽電池だ。現在主流のシリコン系太陽電池と比較し、薄くて軽く、ゆがみに強い。室内の弱い光で発電できるメリットを併せ持つ。国内で入手しやすいヨウ素が主成分であり、安定供給や製造コスト抑制も見込める。
シリコン系太陽光パネルの設置に適した広大な土地不足が課題となる今、高層ビルの壁面や屋内などにも設置可能なペロブスカイト型太陽電池は、再エネ電力の比率を高める切り札だ。
ペロブスカイト型太陽電池とは、「ペロブスカイト型」と呼ばれる結晶構造を持つ材料を使った太陽電池の総称であり、理論上は原子や結晶の大きさなどの組み合わせで膨大なパターンが存在する。その中から、条件を満たす組み合わせを効率よく探し出そうというのが藤井さんの研究だ。
「ペロブスカイト型太陽電池ではバンドギャップを最適化することで太陽光エネルギーをさらに効率よく変換できます」
*バンドギャップ: 価電子帯(電子で満たされているエネルギー領域)と伝導帯(電子伝導に寄与する電子のエネルギー領域)のエネルギーレベルの差。バンドギャップが存在しない=金属などの導体、バンドギャップの幅が大きい=絶縁体、その間にある小さなバンドギャップを持つ物が半導体である
他にも、鉛の使用量が少ないこと、社会実装可能な製造コスト、耐久性や安定性など、いくつものクリアすべき項目がある。これらの条件を一つ一つ探索していたら非効率だ。藤井さんは機械学習を用いたスクリーニング手法を開発し、マテリアル探索の高速化を狙う。
最適な結晶構造を求める「逆問題」アプローチ
目的のマテリアルを探索する方法、すなわち問題の解き方には順問題と逆問題のアプローチがあるという。例えば、f(x) = x2 という関数があったとき、f(2) や f(3) を計算して 4 や 9 と求めるのが順問題で、f(x) = 25 という問題で、x = 5 と解くのが逆問題である。
コンピューター上で物質の電子状態や各種の物性値を計算できるシミュレーション法(密度汎関数法; DFT)などは順問題にあたる。しかし、非常に計算コストが大きい。そこで、まず藤井さんは深層学習でDFTによるシミュレーション結果と近似させた ”代理” シミュレーター(学習済みモデル)を作成し、結晶構造から物性を予測できるよう計算コストを大幅に下げた。これまでナノレベルで用いられていた手法だが、原子レベルでも使えるように改良したのが特筆すべき点だ。
さらに学習させた代理シミュレーターを用いて、目的とするバンドギャップ等の物性を与えて、条件を満たす最適な結晶構造を求める逆問題アプローチを試みる。
「これまでの逆問題アプローチでは、主にデータベースを網羅的に探索する手法や画像生成AIのような生成モデルを使った手法が取られていました。前者ではすでに見つかっている結晶構造から探索するに過ぎず、新規マテリアルは探索の対象外となってしまい、後者では柔軟な条件付けが難しいです。私の考案した手法では、新規のマテリアルが見つかる可能性が高くなるだけでなく、要求に応じて条件を後から変更できる柔軟性も利点です。将来的に求められる要件が増えた場合でも、代理シミュレーターを入れ替えれば持続的に使用可能なモデルと言えます」
一般的に、シミュレーションで生成された分子が本当に条件を満たしているのか、保証はない。画像生成AIに「猫が遊んでいる絵を描いて」とプロンプトを入力しても、思い描いた絵が生成されるとは限らないのと同じだ。藤井さんの手法ではその点も考慮されている。提示された物質(x)がたとえこれまでに存在しない新規物質であったとしても、初めに入力した条件(y)と提示された物質xの物性(ŷ)がどの程度異なるかを数値で示してくれる。
「もちろん実験による実証と比べると精度は劣りますが、高速シミュレーションで目的とするマテリアル探索がかなう手法です」
自身の強みを生かすために再び研究の道へ
藤井さんは物理シミュレーションの研究で修士号を取得し、村田製作所で工程開発エンジニアとして半導体製造の垂直立ち上げに従事した。仕事は楽しかったが、「シミュレーション、物理、プログラミング」という自己の強みをさらに生かせる分野を求めた結果、機械学習に親和性を感じて、AIベンチャーのエクサウィザーズに転職。深層学習アルゴリズム開発の傍ら、ニュースレターやSNSで技術情報を発信するなど存在感を高めてきた。2021年に出版した『現場で活用するための機械学習エンジニアリング』(講談社)は実務者目線の技術書として高評価を得ている。
次第に「物理系のシミュレーションと機械学習を合わせたら、やりたかったAIを用いた新規マテリアル探索ができるんじゃないか」と思いが募るものの、当時の業務では希望する分野を扱える可能性が低い。湧き出る興味を抑えきれず退職し、大学に戻り博士号の取得へ方向転換したという。純粋な研究欲求が行動のベースだ。
「高校から大学に進学したときは、義務感で出席してしたところが少なからずありました。しかし実務を経験してから大学に戻った今は、『この部分をもっと学びたい、引っかかっていた部分を学び直したい』と常に意欲を持って研究できます」
SNSで知ったという「覚醒プロジェクト」の魅力については、300万円という支援金だけでなく、実施機関である産業総合研究所(産総研)が社会実装を推進する研究機関である点も魅力だったという。
「覚醒プロジェクトで利用できるABCI(AI橋渡しクラウド)は、並列でジョブを投げると一気に高速で計算でき感動しました。ジョブ管理システムによって適切に管理されているため他のメンバーに遠慮せず、同時に大規模な計算を流せるのは優れた仕組みで、企業も運用を見習うべきだと思います。
また、世界トップクラスの研究者であるPMの牛久祥孝先生と2週間に1度の頻度で密に議論できる機会もすごくありがたいです。同年代の牛久先生はお話しやすい一方で、たった3歳しか離れていないのに第一線で活躍されている。モチベーションの向上にも繋がりますね」
覚醒プロジェクト1期では最年長だ。社会経験も積んだ藤井さんから、若手メンバーのことはどう見えるのか。
「中には修士1年で参加されている方もいるので、不安な点も多いかなと推測します。けれども意欲的に参加されていますので、自信を持ってほしいですね。今はぼんやりとしか見えなくても、次第に明確になることも多いのではないかと思います。とはいうものの、私も牛久先生を前に、『3年後、牛久先生のような活躍ができるのだろうか』と不安は感じています(笑)」
子を持つことで変わった環境への意識
「データサイエンスという言葉を世間で聞く機会は増えましたが、まだ『難しそう』という印象を持っている方も多いのではないでしょうか。データサイエンスを活用すれば、効率が上がり業務がもっと楽になると広まればいいなと思います。
そのためにも研究成果を論文として世界に発信して、研究分野を前進させるのは研究者としての使命の一つだと思っています。論文を出すことを最優先に掲げて、ここまでできたら論文にまとめようとか、ここがもしダメでもその手前までで論文にしようとか、内容とスケジュールを考えて研究しています」
現在は東京大学に在学中だが、自宅は大阪にある。基本的に自宅で研究し、月に数回ほど研究室へ出向く。自宅で1歳と8歳、2人のお子さんを育てながらの研究生活だ。2022年末には研究と子育て両立のコツをnoteで公開した。
「実は今日(取材日)も、子どもが2人ともインフルエンザにかかっていて、ちょっと大変なんですよ……。やはり子育て世代にリモート環境はありがたいですね。休憩時間にパッと家事を終わらせたり、抱っこしながらでもオンライン会議に出席できたりと、本当に助かっています。
子育てをしたからこそ、環境問題により興味を持つようになり、今の研究テーマにつながった面もあります。独身時代は正直なところ、自分がいなくなった後の世界にそれほど興味を持てなかった。今では、地球環境や日本というコミュニティをどのように維持していくのか、責任を持ってコミットしたいという意識も芽生えました。まずは現在の研究を成功させて、ペロブスカイト型太陽電池の普及に貢献できたらと思います」
カーボンニュートラル社会の実現に向け、AIを駆使してマテリアル探索を進める藤井さん。情熱の源は研究への欲求、そしてお子さんへの深い愛情にあった。
■覚醒プロジェクト 公式Webサイト
http://kakusei.aist.go.jp/
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