このページの本文へ

大谷イビサのIT業界物見遊山 第58回

HPE買収を機にインターネットの拡大を支えてきたその偉業を振り返る

2兆円の価値を培ってきたジュニパーネットワークスの四半世紀

2024年01月26日 11時00分更新

文● 大谷イビサ 編集●ASCII

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

 HPE(Hewlett-Packard Enterprise)におよそ2兆円で買収されることになったネットワーク機器大手のジュニパーネットワークス。現在の認知度は通信・IT業界のみにとどまっているような気がするが、革新的な技術によって、ネットワーク最大手であるシスコの有力な対抗馬として四半世紀も君臨し続けてきた。ここではインターネットの拡大を支えてきたジュニパーネットワークスの功績を改めて掘り返してみることにした。

インターネット崩壊が本気で議論されていた1990年代後半

 ジュニパーネットワークスが設立された1996年は、インターネットが個人ユーザーの手に届き始めた時期だった。インターネットやLANを支えるネットワーク機器の需要は急拡大していたが、市場はシスコ1強であった。のちにHPに買収されるスリーコムやケーブルトロンといった名門、アルカテルやルーセントなど交換機系ベンダーなど対抗馬はいたが、ルーターのオリジネーターという技術的なアドバンテージにより、シスコの圧倒的なシェアを実現した。

 マルチプロトコルを売りにしていたシスコのルーターだが、インターネットの基盤であるIPネットワークでも標準的な装置として幅広く用いられた。特にコアルーターのCisco 12000 GSRは、キャリア・ISPのコアネットワークで不可欠な存在となった。当時のインターネットはよくも悪くも「シスコルーターの集合体」だったのだ。

 一方、1980年代に生まれたシスコルーターが、急拡大したトラフィック増に対応できなかったのも事実。2000年前後を振り返ると、なにしろバックボーンのトラフィックは数百倍、数千倍に拡大したわけで、既存のアーキテクチャの改良ではすでに限界だったのだ。キャリア・ISP対応のためにCisco IOSのバージョン管理も複雑になり、ノンストップオペレーションへの対応にも時間がかかった。バックボーンの処理能力不足で、「インターネットは崩壊する」と、本気で議論されていたこともある。

 この状況に風穴を開けたのが、当時ベンチャーだったジュニパーネットワークスだった。創業当初は開発資金すらままならない状況だったが、1997年に同社の製品の基盤となるネットワークOS「JUNOS」をリリースした。バージョンアップのたびに再起動が必要になるモノリシックなソフトウェアであるCisco IOSに対して、JUNOSは機能ごとに独立させたモダンなモジュール構造を採用。シンプルなバージョン管理、キャリア・ISPで渇望されていたノンストップオペレーションを実現した。

IPネットワーク前提にルーターを再設計したジュニパー

 そして、1998年にはこのJUNOSを搭載した「M40」ルーターをリリースする。シスコのGSRと異なるアーキテクチャを用いたジュニパーのルーターには、IPネットワーク前提に設計し直したモダンなネットワークOSであるJUNOSに加え、IPルーティングに特化したASICが搭載され、従来の限界を打ち破る高速な処理が実現された。今となっては当たり前だが、フォワーディングプレーンとコントロールプレーンの分離も、当時は革新的だった。

 うなぎ登りに拡大するインターネットトラフィックをさばくのに必死だった当時のキャリア・ISPは、決して安価なわけではないジュニパーの超高速ルーターに飛びついた。キャリア・ISP対応で重要だったMPLS(Multi Protocol Level Switching)もJUNOSでいち早く実装。新製品・新機能を次々と発表したジュニパーはルーターのシェアを伸ばし続け、同社のキャリア・ISP向けルーターのシェアは一時期3割を超えた。

 ちなみに当時私はネットワーク雑誌の副編集長だったが、日本法人設立直後だったジュニパーの技術担当者のインタビューを興奮気味にとってきたのは、先見性を持ったデスク担当だった(関連記事:ISPを支えるジュニパーの超高速ルータ)。奇しくも2000年初頭は日本でもブロードバンドが本格化していた時期。校正で記事を読んだ私は、その先進性に驚き、ネットワークの新時代を予感したものだ。なお、冒頭の写真はM40の後継機種であるM40eで、M40のオフィシャルフォトはすでにジュニパー社内(少なくともAPAC)にはないという。四半世紀の時間の経緯を感じさせる。

 思い返せば、当時はジュニパーだけでなく、多くのベンチャーが新世代のルーターを開発していた。また、Cisco Catalystをしのぐ人気を誇ったエクストリームネットワークス(関連記事:LANをギガビットに導いた紫の遺伝子の軌跡)や、ロードバランシングにとどまらず、レイヤー7でのスイッチングという新しいジャンルを切り拓いたF5ネットワークス、ASICを用いた高速ファイアウォールを展開したネットスクリーン(関連記事:ファイアウォールを再定義した「NetScreen」の10年)など、シスコに対抗しうる新興ベンダーが次々と登場。まさにネットワークのルネッサンス期だったのだ。

HPE+ジュニパーはAI前提のネットワークをどのように描くのか?

 シスコの時価総額が世界一になった2000年からすでに20年以上の年月を経たが、結局のところネットワーク分野でのシスコの優位点は衰えなかったと言えよう。2004年にはGSRの弱点を克服すべく7年ぶりにハイエンドルーター「CRS-1」をリリースし、捲土重来を期す。稀代の経営者であるジョン・チェンバーズの卓越した経営手腕に加え、圧倒的な資金力と開発力でネットワーク処理のシリコン化、モジュラー型OSへの移行、M&Aによる新領域などを進め、新興企業の追従を許さなかった。

 市場をリードし続けるシスコに対し、多くのネットワーク機器メーカーが合従連衡を繰り返す中、ジュニパーはシスコの対抗馬であり続けた。2004年のネットスクリーン買収でセキュリティ分野にも進出し、その後もM&Aにより、スイッチ、ワイヤレス、仮想化、データセンター、SD-WANなど分野で幅広い製品ポートフォリオを実現してきた。ただ、一貫しているのは、シスコのようにサーバーやWeb会議などのサービスに手を出さず、ネットワーク分野にフォーカスしてきたことだ。

 そして、今回のHPEによる買収。四半世紀で培ってきた技術力、製品ポートフォリオ、顧客ベースに約2兆円という買収金額が付くのは、個人的には妥当だと思う。それくらいネットワーク分野の技術革新に大きな貢献をしてきたベンダーだからだ。

 特にHPEは、旧ヒューレット・パッカード時代の2009年に老舗のスリーコムを買収したが、なかなかエンタープライズネットワークの分野でシスコを超えられなかった歴史を持つ。そのため、今回のジュニパーの買収には胸に秘めるものがあるはずだ。買収の会見でHPEは、2015年のアルバネットワークス買収の成功に自信を持ったというコメントがあったが、幅広いジュニパーのポートフォリオをどのようにHPEとして展開していくのか、今年は戦略面を問われることになる(関連記事:HPEのJuniper巨額買収、狙いは「AIインフラ」と「AIOps」)。

 一方で、パブリッククラウドという新しいコンピューティング形態がネットワーク機器の存在意義を大きく揺るがしているのも事実。チップのコモディティ化とネットワークOSのオープン化もあいまって、クラウドのハイパースケーラーは自らのデータセンターを自ら設計したネットワーク機器・ODM製品で運用するようになっている。エンタープライズのシステムは、クラウド上に展開されるようになり、「企業内ネットワーク」の境界線もあいまいになっている。そのため、ネットワークベンダーは「もはやライバルはシスコなんだっけ?」という問いを自らに課さなければならない。

 そして、業界を大きく塗り替える生成AIの台頭。今回の買収で大きなテーマとなるのは、AIを前提としてネットワークをどのように再設計していくかである。コンピュートがネットワークに溶け、巨大なAIを構成するようになる近未来。ジュニパーを仲間に迎えたHPEがどのような次世代インフラを描くのか、興味は尽きない。

大谷イビサ

ASCII.jpのクラウド・IT担当で、TECH.ASCII.jpの編集長。「インターネットASCII」や「アスキーNT」「NETWORK magazine」などの編集を担当し、2011年から現職。「ITだってエンタテインメント」をキーワードに、楽しく、ユーザー目線に立った情報発信を心がけている。2017年からは「ASCII TeamLeaders」を立ち上げ、SaaSの活用と働き方の理想像を追い続けている。

カテゴリートップへ

この連載の記事
  • 角川アスキー総合研究所
  • アスキーカード