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印南敦史の「ベストセラーを読む」 第20回

『赤ちゃんポストの真実』(森本修代 著、中公文庫)を読む

赤ちゃんポストは「子どもの権利」という視点で考えるべきだ

2024年01月11日 07時00分更新

文● 印南敦史 編集●ASCII

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赤ちゃんポストに預けられた子どものその後

 とはいえもちろん、悲しいことばかりではない。赤ちゃんポストに預けられたあと里親に引き取られ、幸せに暮らしている子どもだっている。

 春男(筆者注:里親の仮名)と話していると、廊下を翔太が通り掛かった。
「ゆりかごのこと、聞きたいって」
「はい」と素直に部屋に来てくれた。翔太は、10代の活発な少年に成長していた。スポーツが得意で、がっちりしていた。
 赤ちゃんポストについて話すとき、腫れ物に触るような雰囲気は全く感じられない。
「ゆりかごがあったから、ここの家に来ることができて、今の生活があります。ゆりかごに入れられたことは、自分の運命だった。よかったと思っています。今の生活は楽しいです。満足しています。今のお父さんとお母さんに会えてよかったです」
 翔太はそう言ってはにかんだ。(108ページより)

 その一方、会ったことのない実親の情報は、子どもが自らの人生を肯定するために必要なものでもあるようだ。里親に育てられ、現在では2児の母になっているという女性はこう述べている。

 「子供の立場から言いたいのは、養子縁組で幸せな家庭に入り、愛されればそれで幸せじゃないか、というのは違うということです。それは全然違うんです。どんなに養親に愛されても、実親が分からないことで子どもはどれほどの苦しみを味わわなければならないのか。生まれてきてよかったのか、生まれてきたらいけなかったんじゃないかと悩むんです。親が分かっている人には理解してもらえないかもしれませんが、深く悩み、不安を抱え続けます。養親に愛されればオッケーじゃない。全然オッケーじゃない。ずっとずっと苦しみ続けるんです」(123〜124ページより)

 補足しておくと、この女性は養父母から愛情たっぷりに育てられたと実感しているそうだ。だが、「だからハッピーエンド」だとまとめられるほど簡単な問題ではないのだろう。それは当然のことである。

 別な表現を用いるなら、赤ちゃんポストが是か非かという根本的な部分も含め、これは絶対的な答えの出ない問題なのだ。そのせいか読み進めながら、著者自身が答えにたどり着けず、苦悩しているようにも思えた。

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