◆自動車エリアでは農耕機具からTYPE Rまでがズラリ勢揃い
続いて4輪の市販車エリアへ。まずは最初の四輪車であるT360。「丸っこくてカワイイですね」と新唯さん。「最初は軽トラックだったんですね」と作業車両だったことに意外といった表情です。
そして、Honda四輪参入時のS500など。本田宗一郎さんはS500を市販する際、ボディーカラーに赤をラインナップしたところ、当時の運輸省から「赤は消防車の色。 ゆえに認可ならん」とのお達しが。これに本田さんは「ヨーロッパではスポーツカーは赤が当たり前。“認可ならん”とは何事だ」と激怒して怒鳴り込まれたのだとか。結果、S500に赤が誕生。以後、Honda車には“赤”が欠かせない物となりました。唯さんはその話に興味を抱きつつも、S600クーペの車内に興味があるみたいです。
当初、軽トラックとスポーツカーだったHondaのラインアップ。乗用車が加わったのは1967年のことでした。N360は31馬力のエンジンに大人4名が乗れる室内。そして当時31万3000円という低価格で人気となりました。「この見た目、今の軽自動車に似ていますね」と唯さんが言う通り、現在のN-Oneにデザインは受け継がれています。
先ほどマスキー法の話をしましたが、そのCVCCエンジンを搭載したのが初代シビックです。米国におけるHondaブランドを確立した1台といえるでしょう。
シビックはその後、Hondaを代表するクルマになります。ラインアップも3代目では3ドアハッチバックのほか、4ドアセダン、5ドアのシャトルと拡充。「ワンダーシビック」の愛称が付けられました。翌1984年には1.6L DOHCエンジングレードも追加され、レースでも採用されるようになりました。シビックのスポーティーなイメージはこのあたりから始まったように思います。
1980年代のHondaで忘れてはいけないのがシティでしょう。まさに町の人気者といった感じで、よく見かけました。オープンカーのカブリオレに、スポーツモデルのブルドッグ……。唯さんはカブリオレの室内がカワイイと写メをとります。
ラインアップは高級車にも。Honda初の3ナンバー車として、1985年に登場したのがレジェンドです。日本車で初めてSRSエアバッグを採用したほか、モデル末期には世界初のFF専用トラクションコントロールも搭載されました。私事ですが、筆者の父親が最初に買ったクルマで、子供の頃乗ったなぁと懐かしく思いました。
S500からスタートしたオープンスポーツカーは、一時期開発が途切れたのですが、Beatによって復活します。ミッドシップに直4エンジンを搭載。その思想はS660へと受け継がれました。
「赤バッジ」の名で親しまれているHondaのTYPE Rが日本で登場したのは、1992年のNSX-Rから。その後、インテグラ、シビックにもラインアップされ、ボーイズレーサーたちに人気を博しました。チャンピオンシップホワイトのボディーは実にカッコイイです!
S2000も忘れてはいけない1台。Hondaのスポーツカーは、やっぱりオープンカー! そんな気持ちにさせてくれます。
Hondaのプロダクトは二輪・四輪だけでなく、発動機や農耕器具にも及びます。その歴史は1953年から続き、私達の生活を支え続けてきました。ここでも本体の色は赤なのですね。